第7話後の祭り

  街からは楽しそうな祭り囃子が聞こえてくる。燭台のろうそくに火を灯した。もう日は殆ど没していて、黄色く揺らめく灯りにホッと息を吐く。テーブルの上に散らばった調薬の道具もそのままに、椅子に腰かけた。


「怖かった……」


 もう一度息を吐き出してまだ震える身体を抱き締めた。あの真っ黒な瞳が、歪んだ口元が恐ろしくて、あんな顔を以前にも見たことがあったのに、この国に来てからすっかり忘れてしまっていたことにようやく気付いた。


 最初から違和感があった。何故か急に距離を詰めてきて怖くて離れたくて、でも指導医としてそういうわけにいかない。あの時、実習生の受け入れを快諾したことを早々に後悔していた。


 もう一度息を吐き出して、放ったままの道具を片付けていく。本当はこうしたことも実習生がするべきことなんだろうけど、初めに頼み込んで嫌な顔をされてからはもう言葉にできなくなっていた。


 粗方片付け終わってから、燭台を持って廊下を照らす。もう誰もいないことを確認すると机の引き出しから小箱をひとつ取り出した。





 ルスキニアにいたときも似たようなことがあった。あれは二つ上の人で、本人曰く、落とし物を拾ってくれたから気があると思ったらしい。こちらにはそんな気は微塵もなく、やんわりと断るが、それも伝わらずどうすべきか迷い、何度目かの告白の時に他に気になる人がいると嘘を吐くことにしたのだ。それが火に油を注ぐ結果となり、あらんかぎりの暴言を浴びせられた。大騒ぎになって先生たちの目に止まり、何故か私が寮で謹慎ということになった。謹慎が明けると学校内ではあらぬ噂で溢れていた。その人が噂を流したのは分かっていた。もともとハーフエルフということで遠巻きにされていたし、友達もいない身としてはもうどうしようもなくて、とにかく耐えるしかなかった。


 しかしそれが両親の耳に入った。当時はどうやって知ったのかと思ったが、リベルタに入隊し、両親の仕事を知った今なら分かる。あらゆる情報網を持っていたひとつから寄せられたのだろう。


 両親は激怒した。忙しいのにルスキニア医学学校に両親が来た。お父さんが校長先生と話している間、お母さんはひたすら「あなたは悪くない、何も悪いことをしてない」と繰り返した。両親が来たことにより、ようやく事情の確認があった。


 ずっと付き纏っていたこと、何度も告白を断っても理解してくれなかったこと、諦めてもらうために仕方なく嘘を吐いたこと、その嘘で逆上して暴言を吐かれたこと、何故か自分が謹慎になり、明けてみると学校中に虚偽の噂が溢れ返っていたことを伝えた。そして先生立ち会いのもと本人同士の話し合いが持たれ、あなたに好意を抱くことは今も、未来もないと伝えた。その結果、また怒ったその人に頬をひっぱたかれ、お父さんが見たこともないくらい怒って、喧嘩に発展しそうになる結果となったが、一応の終息となった。


 今でも考える。もし初めに好きではないと言っていたら頬を張られるくらいで済んだのだろうか、1度目の告白は呼び出され2人きりだった。もしかしたらもっと酷い目に遭っていたかもしれない。好きな人がいると嘘を吐くと逆上された、この場合、恋人がいるのなんてもっとダメだろう。だから応えられないとしか言えなかった。


 まだ明かりがある部屋の扉をノックする。すぐに中から聞き慣れた声が返ってきた。静かに扉を開け、そこに――


「ジルバさん」


「ミスティア、仕事は片付いたか?」


 まだ机に向かっている愛しいの姿があった。不安でいっぱいだった心に安心が戻ってくる。優しく微笑んだ彼が手を止めて空いてる隣の椅子を引いた。


「もう少しやるの?」


 その椅子に腰掛けた。まだ机には書類やら黒板が転がっている。お互い忙しいのもあって恋人らしいと思えるようなことは全くできていない。外に出てみんなにこの関係を知られてしまうことも憚られたのもある。ただ2人きりのときはこんな風に肩を寄せ合っておしゃべりをして、手を重ね合った。


「いや、もう終わった――どうかしたのか? 顔色があんまり良くない」


「ちょっとだけ疲れただけ。そうだ、これ……」


 さっき引き出しから取り出した小箱を彼の目の前に置く。


「きっとみんな契りの祭りで浮かれてるし、奥方様もレイ君のお世話で大変だろうから――お誕生日おめでとう」


 今年は珍しく秋分の日が早まるとお触れが出ていた。だから彼の誕生日が契りの祭りと同じ日で、みんな浮かれて忘れちゃうだろうな、と思っていた。小さくてもお祝いしたかった。尤もプレゼントを買ったのは昨日になってしまった。この時期は男の人向けの宝飾品があまり出回らないので仕事の合間にお店を覗き込んでは悶々と悩んでいた。


「ありがとう。開けてもいいか?」


 頷いて彼が中を開けるのを待つ。贈ったものは藍色のループタイだ。1度だけ見た正装にループタイをしているのを見たから。きっと、もっと良いものは持ってるんだろうけど、これが私の精一杯だった。


「大事にする。また着けたら見せるよ」



「うん。楽しみにしてるね」


 大事そうに箱に閉まったそれにホッと息を吐く。喜んで貰えて嬉しい。本当に好きで、大事な人だ。


「俺からも……」


 目の前に小さな木箱を出された。思わぬ物が出てきて目を見張る。


「え――」


 見上げると頬を赤く染めた彼がそこにはいた。


「少し前、南の国に公務で行っただろう? 南の国の貝殻を使った髪留め、作ってくれと頼んでおいたんだ。似合うと思って」


「――開けても良い?」


 頷いた彼を見て開けると光沢のあるピンク色の小さな貝がついた髪留めが中に収まっていた。


「綺麗……ありがとう。付けてみても?」


「あぁ」


 はねているおくれ毛を耳にかけて落ちないように小さいピンで挿した。彼の方を向くと、すっとその大きな手がこちらに伸びた。


「似合ってる」


 彼の手が髪に触れる。それが熱い。


「ありがとう、大事にするね」


 笑うと少しだけ可愛くなる彼の顔を見つめる。


(あ――)


 甘えるような顔をした彼に胸が高鳴る。こういう顔をしたときはキスをするときだと覚えてしまった。きゅっ、と唇を噛んで、ぐっと近づいた。熱を持つ指先を絡めた。彼のもう片方の手が背中に回る。触れるだけのキスをして、見上げると耳まで赤くした彼がそこにいた。


「まだ、お互い慣れないな……」


「うん……」


 離れ合ってお互い顔を反らしてしまう。触れた唇が熱い。本当はこうして傍にいるだけでいい。それがどれ程のお互い幸福か知ってしまったから。彼がいなければ、私はここにいない。


「――そろそろなんか食べに行こう」


 まだ少し頬の赤い彼が立ち上がった。


「そうだね、食堂に……」


「なんだ聞いてないのか? 今日は食べる人が少ないからサラが作らないって言ってたぞ」


「そうなの!?」


 全くの初耳だった。


「だからどこか食べに行こう」


 彼が優しく笑って手を差し伸べる。それを易々と取ることはできない。


「契りの祭り、行きたかったんだろ?」


「……みんなに、知られちゃうよ」


 こんなに好きなのに、こんなに好きだと示してくれるのに私達の間には埋まらないものがある。どれだけ同じだと思っても、私は忌み嫌われる混血児だ。


「俺の上着を貸してやる、フードを被ったら見えない。だから一緒に行ってくれるか? 俺はミスティアと恋人らしいことをしたい。それに、今日は俺の誕生日なんだからわがまま言わせてもらうぞ」


 思わぬ言葉に笑ってしまった。ずっと塞ぎ混んでいた気持ちが溶けていく。泣き笑いになりそうになるのを堪えながら手を取った。彼の優しい笑顔が嬉しい。今日くらい楽しんでも良い、そう思えた。




おまけ

「わ、大きいね」


 リベルタの私室に置いておいた地味な色のフード付きの上着を渡す。ミスティアは笑いながらそれを羽織ると前のボタンを留めていく。そしてフードを被ってストンと腕を下ろすと見事にスカートの裾から下しか見えない姿になってしまった。


「……袖は折った方が良さそうだな」


 フードを脱いで明るく笑った彼女がちまちまと袖を折り畳んでいく。


「暑くないか?」


 まだ綺麗そうな上着を渡したが、今の季節には少し生地が厚かった。


「えへへ、ちょっと暑いかも」


 頬を紅く染めたミスティアが「でもいっぱい食べても見えないから良さそう」と笑った。 


(ちょっと今日は可愛さがすごいな)


 仕事中でも可愛い仕草をするのに祭りのせいかそれともその格好のせいか今日は限界値が越えている。


「明日の朝の分まで食べる気か?」


「またそうやって私が食いしん坊みたいな言い方する!」


 いや、実際、と声に出そうになったが男物の上着をなんとか着こなすミスティアが頬を膨らませていて、あまりにも可愛くてこっちが持ちそうにない。


「……それやっぱり脱いでくれないか? ちょっと可愛すぎて他の男に見せたくない」


「えぇ、何それ……やだよ脱がないよ」


 ぐぅっともうこちらが我慢するしかなくなってしまった。それを知ってか知らずかミスティアは早く行こうとここ一番の笑顔を浮かべた。

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