16-挑戦の決意 

 メイリンは目を見開き、絶句した。


「姉上が……宝飾品を?」


 ――あのカバンは、宝飾品を持ち出すためだったのね。たくさん身につけていらしたのは、いつもどおりだけれど。


 春紅をよく知るメイリンは、なんとなく納得した。

 春紅は、「この家に残された唯一の娘」として、母のゆかりの品を独り占めしようとした。母を奪われた春紅には、その資格があると思ったのだ。

 ――それは、間違っている。

 父のため息は切なげだった。母は春紅だけの家族ではない。


 父は「おそらく、当座の生活費にするつもりなのだろう」と肩をすくめ、微笑んだ。


「心配はいらない。お前の兄が、宝飾品を扱う組織に手を回している。売りに来たら受け取ってもらい、後で当家が買い戻す手はずだ」


 メイリンはほっと息をつき、「……愚かですねえ」とつぶやいた。憐れむような気持ちが生まれ、眉をひそめる。


 父は机の上の手紙を手にし、ヒラリと振ってみせた。


「ここに書かれているところからすると、ふたりは南の地方につてがあるらしい。童試に合格し、国立学校を修了しているのだから、引く手あまたという話だ」

「そうですね。ちゃんと合格したうえの修了なら……そうでしょうね。でも、なぜあんな替え玉の話なんかを?」


 父は眉をくいっと上げ、少し重々しい声で言った。


「博然君は……酒乱だな。小心者が、勇気を出そうとして慣れない酒を飲んだのだろう」


 ――たぶん、父の推測は正しい。その「つて」とやらも、あんなことを言ってしまえば、いずれ崩れてしまうだろう。


 ***


 翌々日、残された3人の家族は庭の菊花を摘み、墓所へ向かった。

 父が花を選び、メイリンが摘み、兄が布でくるんで持った。


 馬車の中、兄が口を開いた。


「昨日、最初の宝石が売られたと報告がありました」


 父は無表情にうなずく。


「ふたりは既に険悪な雰囲気だったと報告がありました」と続ける兄に、父が重ねた。

「頼りにしていた『つて』は母親の系統で、その母親が昏倒し、連絡が取れないのだろう」


「業者はふたりをなだめ、そこそこの値で宝石を買って、信頼を得て、帝都内に住む場所まで紹介したそうです」


 業者の名前を聞いた父は、ほっとした表情を見せた。


「いちばん都合のいい店に行ってくれたのは有り難い」


 そして、メイリンの方へ身を乗り出し、穏やかだが重みのある声で言った。


「お前には、ふしだらな姉がいる。その事実は、後宮でお前の立場を暗くするかもしれない。だが、起きたことにこだわっても意味はない」


 兄がうなずいた。


「帝国は血筋より実力を重視する。それは女性である妃候補でも同じだ。父上と私で出来る限りの対応をする。寵愛が得られずとも……お前は立派な『書巻令嬢』だ。後宮でも必ず居場所を見つけられる」


 メイリンは心臓が締め付けられるような緊張を覚えながら、家族のまなざしに守られる重みをかみしめた。

 ――最後に、もう一度だけ聞いてみよう。


「父上、どうしても妃候補として後宮に入らなくてはいけませんか?」

「ずっと春紅の宿題をやっていたのはお前であろう。ふだんの教育時の態度と宿題の出来映えに差がありすぎると、5年前には既に私に問い合わせが来ていた」


 メイリンはバツが悪い思いでうつむいた。

 

「不自然にならないように、手加減はしていたつもりでしたが……」

「絶妙だった。実は、お前を妃候補にと強く求める声は以前からあった。だが、華家が手放さなかったのだ」


 ――それで妃候補を免れていたのね。そこだけは、博然様に感謝するべきかしら


「妃教育の宿題は面白かったです。堅苦しい課題もありましたが、国立学校の宿題とはまた違う楽しさがありました」


 兄がニヤリと微笑む。


「父上の言うとおりだ。お前が男子であれば、立派な士大夫になっていただろうに」


 父が兄にうなずき、そしてメイリンをじっと見た。


「実は、お前が望んだ『女官としての役職』との条件について、帝宮側も条件付きで受け入れる意向を示した」 

「え? 本当ですか!」


 馬車の中なのに、メイリンは勢いよく立ち上がりそうになり、ふたりに笑われた。


 父は「後宮は寵妃として子どもをもうけるだけの場所ではない。妃の資質によっては、仕事……役職が与えられる」と重々しく言った。


「先日お前は帝宮蔵書閣で手柄を立てただろう?  後宮で蔵書閣を管理する仕事に就く妃候補としても、お声がかかっていると、昨日お話があった」


 書巻を愛するメイリンにとって、蔵書閣はまさに理想郷だった。

 あの時、学者様と語り合い、貴重な書巻に触れられた幸せな記憶がよみがえる。


 ――あの夢のような時間を、役目として果たせる可能性があるなんて、幸せすぎておかしくなりそう。


「とはいえ、すぐに蔵書閣担当として認められるとは限らない。現在、後宮には妃候補教育を終えた姫君たちが次々と集まりつつある。皇帝陛下一族の血を引く藩王家の蕭貞シャオジェン姫をはじめ、気位の高い高貴な方々が多くおられるのだ」


 ――怖っ!

 メイリンは子どものように怯えた。


 国立学校の生員婚約者同士の付き合いでも、馬鹿馬鹿しい主導権争いや妬みが絶えず、メイリンは早々に距離を置くようにしていた。

 後宮では、妃たちとの間で起きる摩擦はその比ではないだろう。


 妬み、権力争い、そして策略。そのどれもが複雑に絡み合い、巻き込まれると面倒どころでは済まない。

 後宮という世界は、蛇がうごめく闇だ。少し足を踏み入れれば、絡みつく罠に捕らえられる。逃げ場はない。

 そうメイリンは予想している。

 

 父が厳しい口調で「まずはその方たちと交流を深め、そののち各自の役職につくこととなろう」と言う。


  ――やはり……イヤだなぁ。父上は簡単に言うけれど、どうやって交流すればいいの……?

 気位の高い姫君たちに囲まれる場で、不調法な書巻好きが話に入れるだろうか……。

 ――贅沢な衣装の話や、後宮特有の複雑な人間関係……私には到底加われない話ばかりだろう。


 候補たちの何気ないひと言、何気ない仕草の裏に、どんな意図が隠されているのか。それを読み解く知識と経験は、メイリンにはない。

 ――姉上ともう少し向き合っておくべきだった。でも、悪趣味だから、かえってまっさらな方が良いかしら?


 恐怖が胸を締めつけ、息苦しさを覚える。


 その不安が顔に出ないよう、メイリンはぎゅっと首をすくめた。

 すると、兄が優しく微笑んで言った。


「メイリン、お前は誰よりも賢いし、努力家だ。それに、お前の真摯な心は、必ず周りの人を動かす力になる。書巻の知識も立派だが、それ以上に、お前にはひとを惹きつける何かがある。それは私と父上がちゃんと知っている」


 優しい言葉に、メイリンの胸がじんと熱くなる。兄は軽く肩に手を置き、ぽんぽんと叩いた。メイリンはほんの少しだけ力が抜けた。


「兄上……ありがとうございます」

 

 不安が消えたわけではない。自分にそんな力があるなんて、信じられない。

 それでも、家族の期待を裏切るわけにはいかない。

 姉・春紅の失態を補うことで、春紅の人生も少しは良い方向に向かう可能性がある。


「はい、父上と兄上の期待に応えるよう励みます。よろしくお願いいたします」


 メイリンは背筋を伸ばして深く頭を下げた。


 ***


 ――だが、その挑戦は波乱含みだった。

 後宮に入る前から、姉の「置き土産」が影を落とす。

 書巻に描かれる理想とは裏腹に、現実の試練が彼女を試すのだった――


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