11-粗末な装束
メイリンの外出には、父の許可が必要だった。
その際は、管家である
忠成は杏杏の祖父でもある。童試には合格していたが、士大夫の道は選ばず、奉家の管家として仕えている。
「春紅の件だな」
「はい、姉上に宿題の手伝いを頼まれました。本来はご自身で調べるべきかと思いますが……授業でご苦労されないか、心配です」
父は「メイリンがまとめれば、春紅がそつなく発表はこなすだろう。よろしく頼む」と重々しく言う。
メイリンはホッとして、一礼して微笑む。
しかし、父は表情を暗くして「妃候補教育担当者から、こんな書状が届いた」と言う。声には、微かな苛立ちがにじんでいた。
差し出された書状を目で追う。見事な筆跡に、目の肥えたメイリンも感心する。
“春紅姫様は落ち着かぬところがある。蔵書閣での調査が難しいようなら、奉家の者に代行を”
メイリンは書状の文言を読み終えるより先に、理解していた。
――要するに、姉上を蔵書閣に入れたくないということね。
香を焚きしめた衣装で賑々しくやってくる妃候補たちの中でも、春紅は問題児なのだろう。
貴重な書籍のある場所に入れたくないという意図は理解できた。
メイリンは苦々しい表情の父に何と言うべきか分からず、「はい」とだけ答えた。
父が「春紅は実に美しい。しかし……妃候補教育には向いておらんな」とぼそりとつぶやく。
箸を動かしていたメイリンと兄の俊熙は、思わず顔を見合わせた。
「お前たちの母が早世したから、あれのおばからの指導で、惣領娘として頑張ってきた春紅には感謝しているが……」
父は言葉を濁し、目を伏せた。
メイリンは、心の中でつぶやいた。
――確かに、よく頑張っている面もある。でも、どこかズレているのよね、姉上は。
朝の仕度に時間をかけ、美しい姿を見せることにこだわるより、朝食の時間を守る方が、ずっと信頼される。
――そういう常識が、どうして分からないのかしら。
おばは父の妹だ。
メイリンが婚約した頃、体調を崩して、帝都を離れた。
春紅は、そのおばを嫌っていた。
反動のように好き勝手に振る舞って、教えを誰にも乞わない。だから、ズレていく。
春紅は、華やかで目立つことこそが自分の役目だと信じているようだった。
たとえば、家族だけの席でも妃候補らしく振る舞おうと、豪奢な衣装やきつい香りを欠かさない。
――きっと、自分の理想をかなえ、周囲の期待に応えようと無理を重ねてきた姉上なりの努力なのだろう。でも、遊びで寝坊したら、それも台無し。
メイリンはそっとため息をつきながら、食事を終えた。
――今度うまく誘導してみよう。遠回しに、優しく、が鉄則ね。
メイリンが「蔵書閣の調べ物、しっかりとやって参ります」と宣言すると、父が「よろしく頼む」と厳かに言った。俊熙も同意するようにうなずく。
――姉上のことを支えるのも私の役目だとしたら、この宿題は完璧にこなしてみせる。
メイリンは心の中で静かに誓った。
***
今回、春紅たち妃候補に課された課題は、歴史書『蒼瑛大紀』の写し書巻を参照し、指示された時代の後宮での文化を調べることだった。
メイリンの家には多くの蔵書があるが、『蒼瑛大紀』写しの所蔵は許されておらず、蔵書閣に行くしかない。
俊熙が筆写した一部をもらい受け、宝物のひとつにしているが、時代が違う。
春紅が担当するのは蒼瑛帝国の
醍穏帝は文化を奨励し、学問を重んじた君主として知られている。
その時代の後宮がどのような場所だったのかを探るのは、メイリンにとっても初めての挑戦だった。
メイリンは、期待で胸が高鳴るのを感じた。
――妃候補教育、姉上に押しつけられて毎日のように宿題をやっているけれど、いつも面白い。特にこれは……ものすごく興味深いわ!
妃みたいに派手な世界、絶対イヤだけれど、宿題の手伝いは正直楽しい。
今回の課題で得られるのは歴史の学びだけではない。
当時の人々や、妃たちがどう暮らし、教育されていたのかを知る絶好の機会になる。そんな予感がしていた。
***
帝宮には管家の忠成が杏杏と共に付き添ってくれることになり、輿ではなく馬車で行くことになった。
輿よりも広い窓から帝都の景色が見渡せる。街は賑わい、人の往来が多い。
時折馬車が大きく揺れるのは、遠征に注力するため、帝都の道路整備が後回しにされているからだろう。
帝国暦579年現在の逗然王朝第12代皇帝・紅蓮帝は、昨年初めての遠征に出た。
そろそろお帰りになるという。
長城のある北地方を攻める辺境民族のいくつかに対し、堂々と渡り合って和睦をなした武人との噂を耳にした。
メイリンは父に「皇帝陛下は、先帝陛下の大義に基づく抑圧支配を断ち切る糸口を見出されたと理解しています。帝国の面目を保ちつつ、辺境民族との和睦を早期に成立させたおかげで、帝都の経済は今後安定するのでは」と質問したことがある。
父は面食らったような表情をして、「その質問を誰にも言ってはならない」と小声で言った。
そして、「お前が博然君の立場に生まれたら、どんなにか良かったろう」とさらに小声でつぶやいた。
***
そんなことを考えていると、帝宮の通用門に到着した。
気づくと、杏杏がぽかんと口を開けて壮麗な帝宮を見上げていて、忠成にそっと小突かれている。
緊張が和らいだ。
――杏杏たち使用人のためにも、しっかり妃となる姉上をお支えしよう。私にはきっと出来る。
許可書を見せて、後宮にある蔵書閣へ……と思ったら、案内されたのは、意外なことに帝宮外宮の方の蔵書閣だった。
まず、量は少ないが、なかなか手ごたえのある筆記試験を受け、続いて口頭試問があった。
「よろしいでしょう」
メイリンは礼装をまとっていたが、その上に黒い粗末な「装束」と呼ばれる衣を羽織り、「装束巾」をかぶるように言われた。
応対した者たちの一部が同じような装束をまとっている。同じ色の者と茶色の装束の者が居た。
茶色をまとった者に廊下を案内されながら、「この装束は学者を示します。学者とは学ぶ者であり、名前を持ちません。初学者は黒をまとい、茶色は中堅の学者です」と説明された。
いよいよ蔵書閣だ。
杏杏は付き添えず、忠成だけが同行する。
メイリンは澄ました表情を保つのに必死だった。早鐘を撞くように胸が高鳴る。
その実感が、こそばゆくて、くすぐったくて、少しだけ怖い。
天井の高い建物は最近流行の最新設備が施されていた。
一方で、木枠細工の明かり取り窓は、200年ほど前に流行した意匠だ。この場所の歴史を実感する。
――醍穏帝陛下も、きっとこの窓を見上げ、光に照らされたのね。
大勢の同じ装束を羽織った学者たちが、その窓からちょうど良く差し込む光の中、本を積み上げて読みふけっている。
黒、茶色……何人かは白だ。
ちょっと怯えたメイリンに、忠成がぴったりと付き添ってくれる。
該当の『蒼瑛大紀』の借り出しの手続きをして、閲覧席に運んでくれた。
席にメイリンが落ち着くと、他の学者の使用人と同じく後ろに控えて見守ってくれている。
杏杏はここには入れない。
少し心もとない気持ちになり、震えを抑える。
――夢にまで見た場所に、今、自分が立っている。
なのに、足が震えそう。声を出せば、裏返りそう。
けれど、書巻を紐解いた瞬間、不安は音もなく溶けていった。
メイリンはすぐ落ち着いた。読書に没頭したからだ。
時々読むのを止めて情報を書き付けながら、夢中になった。
やがて、メイリンは思わず「あれ?」と声を上げた。「おかしいなあ……」と小声で言いながら、前の頁をめくる。
ふと、誰かの視線を感じた。
敵意はない。にもかかわらず、その唐突な気配に、メイリンの心臓は大きく跳ねた。
そっと顔を上げると、白装束の男がこちらを見つめていた。
明かり取り窓から差し込む逆光の中、彼の粗末な白装束が淡く輝いていた。
清潔ではあったが、縁が丁寧に補修されている。
幾度も袖を通された装束を、大事に着ているようだ。
「どうした?」
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