国王への報告書(第三王女の公務記録)

ささやん

第1話 第三王女(私)の帰国

グラン・フォルティシア城に隣接する、騎士団の鍛錬場は、まだ夜の冷気を残している。

ただ、東の空が赤みを差し始めていた。

私の感覚からすれば、もうすっかり朝だと思ったのだけど夜明け前だわ。

「本当に違うのですね」

私の横で同じように柔軟体操をしている乳姉妹のシルフィアも同じ感想のようだ。

「東の土地の朝が早いと聞いていたけど」

私より3つ上の彼女は私と二人きりなら、ほぼタメ口になる。

「じゃ西の土地なら、もうお昼かしら」

「それは早すぎ」

もっともそれを許しているのは私だけど。

私が木剣を手に取るのを見てシルフィアも木剣を手に取る。

相対する彼女は私より少し背が高いけど、細身だ。

肩までのストレートの黒髪で切れ長の涼しい眼をしている。

彼女は気にしていないだろうけど王都では殿方どころか一部の小娘には大人気である。

一方、私は、全然目立っていない。それはもういいわ。

「じゃ、始めましょうか」

そして型どおりの乱取りが始まった。

カツン、カツンと、二本の木剣が乾いた音を朝の鍛錬場に響かせる。

乱取りとはいえ、だんだん力が入ってくる。

「5の型」「6の型」・・・・・「9の型」

さすがに息が上がってくる、それを見たシルフィアは後方に跳んで中断を宣言した。

まだ、半分くらい型が残っているが私も頷いて木剣を杖にして休憩する。

「まだ、旅の疲れが残っているようね、私もだけど」

そう言うけどシルフィアは、そんな素振りは決して見せない。

一昨日、私は彼女と王都から帰国した。

昨日は昼から帰国報告会、そして私のためのちょっとしたパーティがあった。

確かに、旅の疲れはあるし別の疲れもある。

私はすっかり明るくなった東の空を見つめた。昨晩、少し飲み過ぎたようだ。

シルフィアからタオルを受け取って汗を拭く。

そして改めて木剣を持って、息が上がった理由に気が付いた。

素振り用の重い木剣だったのだ。それで乱取りしたら…こうなるわね。

「…確かに私、疲れてるわ」

心の底から溜息が出た。


「おや、朝っぱらから誰が訓練しているかと思ったらリアーナじゃないか」

その声を先頭にガヤガヤと騎士達が鍛錬場に入ってくるのが見えた。

「ダリウス、おはよう」

私は声を掛けて来た男に挨拶をした。がっしりした体型と声はよく知っている。

シルフィアの双子の兄だ。なのに全然似ているとは思えない。

「おう、じゃないな、おはようございます、リアーナ様」

「少しは剣の腕は上がったかい?」

「失礼な言い草だわ、当たり前でしょ」

シルフィアは実兄を嗜める。もっともそれに怯む風はない。私に対してタメ口を許しているけど度を越える事は多い。

「確かに酒は強くなったみたいだが」

昨晩のパーティにダリウスがいたのは思い出した。

覚えていない何かを私はやらかしていないか心配になって顔が青ざめる。

シルフィアは黙って、木の剣を握り直して軽く振った。

「減らず口は治っていないようね」

それを見て、周りがざわつく。

誰であろうと挑発を黙って見過ごすダリウスではないのを皆が承知している。

よくある兄妹喧嘩なのだけど、それぞれが腕に覚えがある同士だから興味深々なのだ。

それは分かるけど、言われた私が怒っていないので止めないと行けない。

「やめなさい」

私はシルフィアの手首を抑えて剣先を下げさせ、ダリウスにつかつかと近づく。

私に引っぱたかれるのは覚悟しているのだろう。

昔からそうだ、私をからかっては皆から怒られているし殴られてもいる。

それでも許しているのは、私にとって口ほどに悪い人間ではないから。

私にとって陰口を叩かれるより、まし。

というか、私に陰口を叩く人をやんわり撫でてくれたのが彼だから。

「馬鹿ね…」

ダリウスの顔を見上げるくらいまで近づくと私は無造作に左手を前に出した。

ドンっと鈍い音が、ダリウスの腹部からした。

ダリウスは一瞬、天を仰ぐと、たまらず身体を曲げて私の前で片膝を着いた。

「ら、雷撃の拳かよ」

苦しそうに片目を瞑りながら、私を見上げる。

「言葉には気をつけなさいよ、ダリウス」

そう答える私に近づいたシルフィアの髪がピリピリ音を立てて広がった。


温めのシャワーを浴びて、モーニングドレスに着替えると私は部屋を出た。

廊下でシルフィアが、私を待っていた。

彼女も朝食に呼ばれたらしい。

不満はないけど、そういう朝食らしい。

「おはようございます、お父様」

ダイニングルームに足を踏み入れると、すでに父であるエドリック・アヴァンティス5世国王陛下が椅子に座していらした。温かな朝の光が差し込む部屋には、焼きたてのパンと数種類のジャム、色とりどりのフルーツ、そして香ばしいスープの匂いが満ちている。

慌てて、朝食に遅れた事を詫びた。だって姉さんももう着席していたから。

「おお、よく来たな、リアーナ。そして、フォルティシアも」


父の隣には、姉であるフォルティシアが優雅に座っていた。栗色の髪を美しく編み込み、真っ白なドレスに身を包んだ姉は、まるで絵画から抜け出してきたかのようだ。そして、私のすぐ後ろには、付き人のシルフィアが控えている。彼女はいつも通りの落ち着いた表情で、私の隣に静かに立ったので私の横に無理やり着席させる。

「お父様がお呼びになられたのなら、構いませんわね」

「構わん、身内だけだからな」

その言質を取って、無表情なシルフィアに微笑む。

追加の朝食が準備されていくのを見て、さすがの彼女も恐縮している。

国王との朝食は第三王女との食事とは侍女にとって意味合いが全く違う。

「おはよう、リアーナ。今日もいい天気ね」

姉は優しく微笑み、私に視線を向けた。その美しさと、洗練された所作は相変わらずだ。ただ、シルフィアを眼中に入れていない。長姉は、口には出さないけどお父様が下した許可を快く思っていないのだろう。

メイドが温かい紅茶を注いでくれた。シルフィアは恐縮しながら自分にも注がれる紅茶を見ていたのは面白い。そう言えば、女王、お母さまがいない。おそらく昨晩のパーティでお疲れなのだろう。

もう一人の姉は、おそらくまだ王都(あっち)にいるはず。

「さて、今日の予定を聞く前に…」

父はスープを一口飲むと執事に政務の話を止めさせた。

こういう時の私の勘は当たる。

父はにやりと口角を上げ、私を真っ直ぐに見つめる。政務を優先する話を始めた。

「そういえば、リアーナ。今朝、鍛錬場で騎士三位のダリウスを倒したそうではないか」

その言葉に私の横で食事の手を止めていたシルフィアがピクリと反応したのが分かった。

姉もまた、驚いたように目を見開く。まぁという口をするけど声には出さない。

「いいえ、片膝を着かせただけです、それに不意打ちですけど」

私は少し気まずそうに答える。シルフィアが呼ばれた時点でこの進行は予想はしていた。

「ふむ、ふむ。それでも彼は騎士団の中でも指折りの実力者だぞ?」

お父様は面白そうに顎に手を当て、楽しげに笑う。

「あやつとシルフィアの対戦もおもしろそうだな、勝てるか?」

「お父様!そんな無益な事はさせません」

私は思わず声が高くなったので、お父様は罰が悪そうに言葉を足した。

「そうだな、これ以上序列が変わると面倒だ」

シルフィアは、私の同行して国には不在だったので騎士としては八位から二十位に落ちていた。それでも彼女は私の侍女であり護衛であり友人としては一位だから問題ないわ。

「えっ?」

(ダリウスが三位から落ちるの?)

「我が娘に、皆の前で膝を着かされたのは事実だ」

その視線が、一瞬だけシルフィアの方へと向けられた。

私は彼女にダリウスの弁明せよと視線を向ける。

実の兄だから、彼女が遠慮しているのだ。

お父様は、私に彼女の発言を許可するように頷いた。

シルフィアはそれに気がついて少し慌てながら答えた。

「姫様の雷撃の拳はいわゆる初見殺しで、いかなる勇者も回避は無理かと存じます」

お父様は、勇者でも無理ねと軽く頷いた。

その言葉に、私はとんでない事を口走ってしまった。

「そうね手加減したからダリウス…殿の態度もかなり大げさなのよ」

シルフィアは冷めた視線を私に向けると蜂蜜をたっぷり塗ったパンを差し出した。

シルフィアから(黙ってて)の圧を感じたので黙ってパンを咥える。

はしたない事この上ないけど誰も気にしていない。


「ええ、驚きましたわ、お父様。まさかリアーナが、私にはとてもとても…」

長姉が遅ればせながら感想を言った。そしてが私と父を交互に見る。

私はといえば、パンをもぐもぐ食べるだけで黙って成り行きを見守る。

(落しどころがわからない…)

お父様は国王として、その部屋に居た者全員に会話の口外禁止を命じた。

「特にリアーナが手加減してというくだりは、忘れるように」

そして国王は、父として私に向って言った。

「それにしてもリアーナ、王都で一体どういう鍛錬をしていたのだ? おかしくないか?王都のご夫人方は皆強いのか?はっはっは!」

お母さまも王都出身だと分かっていてのご発言なのだろうか。

父の豪快な笑い声がダイニングルームに響き渡る。その笑い声を聞きながら、私はカップに残った紅茶を飲み干した。

内心では少々呆れつつも、父と姉が私の成長を喜んでくれているのが分かり、少しだけ誇らしい気持ちになった。シルフィアは相変わらず無表情だけど、その瞳の奥には、かすかな満足の色が見て取れた。

ふと思い出したように、お父様が私に話しかけてきた。

「やっぱり、朝から普通に肉がいいか?」

私の返事を待たずに執事に目くばせすると、執事が小走りで部屋を出て行った。

「いや、別に…」

そう答える私の眼の端にシルフィアが微笑んでいるのが見えた。

その後、政務の話よりも、武術で名を馳せた先祖探しでお父様が盛り上がったことは当然よね。

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