第31話

「受験戦争」が否定された理由は、もうひとつあった。

 子供の学力には、親の文化資本がかなりの割合で反映されている。文化資本が豊かな家庭に育った子供は、総じて学力が高い。究極的に、そこに「平等」はないのだ。文化資本に乏しい親が、遅まきながら学歴の「効用」に気がついて、我が子に勉強を強いても、もう遅い。そんなことをさせる意味はあるのか。ならば、別々の道を歩ませた方が当人にとっても幸せなはずだ。

 だがそれは、実力主義(メリトクラシー)に見せかけた優生思想ではないか……。

 陽子は、すこし前に学校の図書室で読んだ教育社会学の物理書籍(フィジカルブック)に、そうあったことを思い出した。

 阿蘇カタストロフの混乱を逃れて「地球」から運ばれた、百年も前に印刷されたものだという。

 かつてもあったその構造は、火星の「日本」でさらに深化したようだった。

 現在では「L」と「非L」との婚姻率は低いし、子どもを作る例は皆無だという。


 さらに「非L」の紗絵羅に捺されたスティグマのようなものは、彼女の名前にも感じられる。

 二十世紀の終わりから二十一世紀の初めまで、あまり教養のない下層の家庭では、子供に奇異で標準から外れた名前をつけるのが流行ったそうだ。「キラキラネーム」とかいうらしい。

 そのうち、キラキラネームは教養のない無作法な親がつけるものだという「常識」が生まれた。

 だから、「L」の子息に、キラキラネームは存在しない。

 旧来から使われてきた当たり前の名前を、当たり前につける。子供の名前で自己顕示しようという手合いは「L」には存在しない。


 火星の「日本ひのもと」でも、この国のありようの大筋は変わっていない、ということになっている。

 この国の憲法も地球の「日本」と同じものを使っている。二十世紀に発布されていらい、二十一世紀になっていくつかの条文が付け加えられ、あるいは細かな修正が加えられただけで、当初の体裁は現在に至るまで保たれていた。あの条文もそのまま変更されずに残っている。

 じっさい、非Lはこの国の憲法が定めるところの、「人権」においては、何一つ変わらない権利を享受していた。参政権もあるし、国会には与野党合わせて十数人の非Lの議員もいたのである。

 さらには思想、表現の自由、結婚の自由があり、職業選択の自由もあった。国民皆保険制度の恩恵にも浴し、ベーシックインカムも支給されていたのだ。

 しかし――権利があることと、それを行使することは、別のことである。

 非Lのひとびとは上級学校に進学するものは少なかった。進学しても、工学や情報処理のような実業系の学校が多い。ほとんどの子供は職業訓練校に行くか、そのまま就職するのだ。もっとも、しない者も多い。納税者番号に紐付けされたベーシックインカムは支給されているので、生活に困ることはない。そのため、「大家族」を志向するものもいる。十人くらいで同じところに住んで家計を一緒にすれば、ベーシックインカムだけで食べていけるのだ。

 勢い「大家族」はある種のスティグマとされた。

 もっとも紗絵羅の家庭環境は、いまの陽子には、知るよしもないのだが――。


 彼女との関係は、自分だけの秘密、ということにしよう。

 同室のエリカにも、容易に言えないことだった。

 なぜかというと、現在の「日本(ひのもと)」では、「L」と「非L」、違う立場のひと同士が不用意につながることは、よろしからざること、だとされているからだ。

 この時代から振り返る二一世紀は、ひとびとが繋がり、そして混乱が起きた時代だとされた。

 二〇世紀末、軍事や研究目的で使われていたインターネットが一般にも開放され、世界中の情報に手軽にアクセスできるようになった。さらに二一世紀になって、ソーシャルネットはひとびとを繋げた。地球の裏側のひとびととも、意見を交換することができるようになった。しかしその代償は、収拾のつかない混沌だった。

 それは、二一世紀初頭、ネットメディアが爆発的に普及したとき発生した弊害がもたらした教訓だった。

 小さなものは友達のあいだのトラブルから、大きなものは国家間の諍いまで、いろいろなトラブルが発生したが、そのおおもとは「距離やバックグラウンドの情報なしに、だれとでも繋がれる」「軽い気持ちで投稿したことが全世界に発信される」ことにあったのだ。

 その結果、ディスコミュニケーションが発生したのだ。ディスコミュニケーションは諍いを呼び、諍いは社会不安を呼んだ。社会不安はやがて、巨大な混沌へと向かっていった。

 二一世紀の混沌以来、ひとびとの一部はソーシャルネット文化に否定的になった。各自のバックグラウンドを問わずに「だれとでも繋がれる」ことが忌諱されるようになり、なんらかの共通項のあるもの同士が交友関係を持つことがよしとされていた。

「ことばには、気をつけなさい」

 よく言われる注意だが、この国ではそれ以上の意味合いを持っている。「L」と「非L」を識別するのは、その言語環境だからだ。

「第二日本語」を使っている「非L」たちは、「L」にとっては「ことばの分からない」「文化を理解しない」ものとして遇されている。

 だからなおのこと、自分が所属している集団にふさわしいことば遣いをしなければならないのだ。

「人間」であるために――。

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