第28話

 とまれ、陽子の寮生活はそれまでと変わらなく続いていた、と言えた。

 地球生まれの陽子は、火星で生まれ育った生徒たちより背が低い。

 ここの生徒だけでなく、火星生まれの若者は、女性でも一八〇センチ以上は当たり前にある。並んで歩くと、すぐに分かってしまうのだ。「純テラ」とかいう蔑称にも、甘んじなければならないのか。

 そんなことを考えていると、終業のチャイムが鳴る。

 この日は部活のない日だったので、学校には残らない。しかしまっすぐ寮に戻る気もない。

 いそいそと校門をくぐり、坂道を下ると、煉瓦造りの建物が見えてくる。


 学校に近所にある公立の図書館。ここは、学院の生徒たちのたまり場になっている。この世界では貴重品ですらある、物理書籍フィジカルブックが大量にあるからだ。 

 電子データでない物理書籍フィジカルブックを愛することこそ「L」の印。そして「自由」の証。

 どうしても、電子書籍は閲覧履歴がどこかに残ってしまう。検閲の可能性が否定できず、その意味では「自由」とはいえない。

 物理的なアイテムとしての「本」こそ、「L」のシンボルだった。地球時代から連綿と続いている「教養」がそこには息づいている。

 吹抜けのロビーは開放感に溢れ、一階と二階を結ぶ螺旋階段の周囲には本棚が並び、階段を降りるとずっと壁面に本棚が続く。まるで無限に続く合わせ鏡のようだ。

 そこは、陽子のお気に入りの場所だった。

 樹々に囲まれたレンガ造りの建物。よく手入れされた薔薇の生け垣。空調の効いた書架に、しずかな閲覧室。


 その中でも陽子が素敵な場所だと思っているのが、閲覧室から張り出したバルコニーの回廊。ここは外の光がさんさんと入り、椅子やテーブルがいくつか並んでいる。

 陽子たちの定位置になっているのは、いちばん奥のテーブルだった。

 そこには本について語り合える仲間がいる。文学の本、哲学の本、歴史の本。様々な本を読み、思いを語り合って、知らない世界を知り、人格を陶冶する。

 それは、いつも変わらない、豊かな時間のはずだった。


 しかし、この日は、様子が違っている。

 いつもの席に行こうとすると、もう何人かが集まっていたが、そこから棘のある声が聞こえてくる。

 隣の席に陣取っている少女を、数人が囲んで、なにやら問い詰めているのだ。そして、彼女たちの制服は、陽子と同じ熒惑女学院のものではないか。

「あなた、その格好でここに来るの?」

 彼女は、図書館に来るにはずいぶん場違いに思える格好をしていた。

 金髪で頭頂部だけ黒いロングヘア。脱色しているようだ。

 薄桃色の肌と、はっきりした目鼻立ちは、コーカソイドの血が混ざっているようにも思えた。

 へそが見えるほど短いTシャツにブラウスを羽織り、下半身を覆うのはダメージジーンズ。この辺りではあまり見かけないスタイルの服装だ

 一見して、「L」ではないように見える。


 あまつさえ、因縁をつけているのは、清花たちのグループではないか。

 なにをやってるのだろう。果たして、耳をそばだててみると、こんなやりとりをしているのだった。

「……ですから、その席、どいてくださる?」

「なんで、ですか?」

「ここは、わたしたちの指定席なのよ」

「……だれが座ったって、いいじゃないの。指定席なんて、そんなもの、あるの?」

 少女が口答えをすると、清花は激昂した。

「あなた、どちらのひと?」

「学校なんて、行ってないよ」

「へえ」

 蔑むような返事をしたのは、同級生の貫井郁恵だ。清花たちのグループでは「腰巾着」のように振る舞っている。


 おおかたの「非L」は学校に行っていない。陽子のように自宅でラーニングを受けている子どももいると言うが、お世辞にもレベルの高いものではない。

 それを見とがめて、彼女はこう、ことばを叩きつけたのだ。

「あなた『非L』でしょ」

 そのことばに、どきりとした。

(清花さん、あなたも、なの……?)

 ひとがひとを差別したり、いじめたりするのは、見るのも嫌だ。止めなくては。

「とっとと、ここから出て行きなさい」

 清花は嘲笑する。


 しかし。

「非L」が図書館ここに入れるのか? 入ってなんの意味があるのか。

 陽子もそう思ってしまうくらい、この国で「L」と「非L」の住むところや居場所が違うのは当たり前のことだったのだ。

 清花は言う。

「その耳にはまっているもので、わかるでしょう」


 じつのところ、「L」と「非L」の区別は、すぐにつく。

 彼女は耳たぶに、かつての補聴器のようなものをつけている。

 それはAI翻訳機だ。「L」がしゃべる「日本語」を「非L」が理解できる「第二日本語」に翻訳することで、誤解のないコミュニケーションが取れるというのだ。

 しかし。

 彼女が手に取っている物理書籍フィジカルブックは「第二日本語」では書かれていない。彼女は「読めない」はずなのだ。

 だからといって、弱い立場の子を、よってたかっていじめていいわけでもないだろう。看過できずに、陽子は歩み寄り、口を出した。


「ちょっと、なにやってるの? やめなさいよ」

「あら、塚原さんは口を出さないでくださる?」

 清花は口を尖らせる。

 郁恵は清花の言葉を引き取って、「非L」の少女に投げつけた。

「この子ってさ、生意気にも、図書館に来て、本なんか手に取って、拡げちゃってさあ」

 俯いたままの彼女に、郁恵は蔑むような口調で告げる。

「かっこだけ真似したってダメなのよねえ。それに、あなた方が図書館ここに来たって、なにを読むの? あなた方の読める本なんて、ひとつもないわよ」


 そして嘲笑をぶつけた。

「あなたがたは、文学なんて読みませんよね?」

 少女はキッとなって口答えする。

「読まないですよ。だからどうしたの」

「『自分には教養がない』と、はっきり言われましても、ねえ……」

 清花はそういって唇を歪め、郁恵たちと目配せし合った。



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