第26話
しかし。
社会に「L」がいれば、「L」でないものもいる。
この火星の「
「L」と「非L」には、わかりやすい違いがあった。それは、「ことば」だった。
「非L」が使っている「日本語」は「第二日本語」と呼ばれるものである。
学びやすく、コミュニケーションに齟齬をもたらさないよう簡略化された日本語で、単純でわかりやすく、誤解されない代わりに比喩や複雑な構文が廃されており、「文芸的な表現」には適さないとされている。
たとえばこのことばで「詩」を書くことは難しい。ことばの美しさは「第二日本語」では要求されないからだ。単純な娯楽読み物なら、話は別だが。じっさい、「非L」向けの「第二日本語」で書かれた娯楽読み物は、ネットや電子書籍に氾濫している。
そして、「非L」が「日本語」を習得したり、教えたりすることは、禁忌(タブー)とされている。かれらは脳の構造上、「日本語」を使いこなせない上に、使いこなせないまま使うと錯誤と邪推をもたらし「社会にとって危険」だとされるからだ。
かれら「非L」は「文化的」なものに縁がない、とされる。そのため、教育水準も所得水準も低く、かれらの多く棲む地域は犯罪率も高く、迂闊に歩くことはできないという。
かれらはぼろぼろの服、あるいは奇矯な出で立ちで路上にたむろし、すこしでも金目のものを見せようものなら襲いかかる。公共のものはすぐに壊され略奪される。
かれらは政治的な定見を持っていず、刹那的に考え、煽動に乗りやすいとされている。
二一世紀後半、社会の舵取りが実質的に「L」たちの手に委ねられるようになってから、この国は長い低迷を脱した、と言われている。
だが、陽子はしだいに、引っかかるものを感じていた。
そう思うようになったきっかけは、少し前、陽子が属しているホームルームクラス有志が、「非L」居住区に出向いて、子供たちに読み聞かせのボランティアを行った研究発表をしたことだ。
この学院の必修教科である「自由課題」の一環である。自分たちでテーマを設定し自主的に進め、「創意工夫」あふれる授業が繰り広げられる。
今回発表をしたのは、日比野清花だった。
彼女の積極性は学院内でも評価されている。でも陽子には、彼女の熱意はどうも、空回り気味に見えてしまう。その有様も微笑ましく受け取られている。これも「余裕」なのかもしれない。
「団地というところがありまして、非Lのひとたちが集住しているところです」
映像が変わった。そこには同じ規格の建物がずらりと並んでいる。
「地球年齢三歳から七歳のお子様を対象に、現地の公民館でお話会を開催しました。子供たちの情操教育のためです」
そして、現地の映像が流される。子供たちに囲まれて読み聞かせをしている清花が映る。
「わたしは、童話の読み聞かせを担当しました。なかなか、いい雰囲気でしたわよ」
映し出されるホロ画像に説明を入れながら、清花はそういっていた。
「でも、子供はどうも反応がいまひとつで……やっぱり『非L』のお子様は、刺激の強い娯楽が好みのようですね」
そういって、にっこり笑った。邪気がない笑顔だ。
「わたくし、『非L』のみなさまにきちんと会ってお話をしたのは、はじめての経験でした。安いお仕着せの服を着て、みんなおんなじ表情。目玉はガラス玉のよう。話を聞いていてもそれが頭に入っているのか分からない。そんな印象でした」
「そうなんですか」
生徒の合いの手に、清花は続ける。
「生活状況の把握の一環として、あるお子様のお宅を訪問させていただいたんです。それがこの映像ですが、
映像が流れた。
「いちばん驚いたのは、お台所がないことでした」
「ええっ」
聴衆から、わざとらしいような合いの手が入る。
たしかに、その映像に映された部屋には、台所は見えない。
「非Lの方々は、料理をなさらないの?」
「いつも、外食をしてるんですか?」
「でき合いのものを買ってくるか、食堂に食べに行くのだといいます」
「食堂」とは公設の子ども食堂で、貧困層に対する福祉の一環として、無料もしくは安い値段で食事を出している。
「お料理をされる方もまれにいますが、それでも手の込んだものは作らないようです。スーパーでミールセットを買ってきて、付属のレシピの通りに作るみたいですねえ」
「あれこれ工夫して、献立を作る喜びを知らないのでしょうか」
「料理って、文化なんですのにねえ」
生徒たちから口々に感想が出るが、なにか、画面に映るひとびとを下に見ているような感触だ。
発表の中で、彼女がぽろっと口に出した印象的なことばがある。
「まるで、動物みたいな一生ですね」
たしかに、陽子もそう思ってしまった。しかしそれは、彼女たちの発表の仕方が「動物園で見た動物の生態発表」のようだったからではないか。
そんな眼で「人間」を見るのは、よいことなのか?
彼女の思いをよそに、発表は続いた。
「しかし、わたしたちの社会では、硬直化とともに、貧富の格差の拡大が大きな懸念材料になっています。素質のある子供をすくい上げていれば、かれらの生活向上にも資することになるのです」
彼女は、文科省の公式見解そのものの回答をした。「優等生」にふさわしいとも言えた。
いちおう、制度上では「非L」が「L」になることは、不可能ではない。
幼児期と初等教育の時期に受けるテストで一定の成績を上げ、専門機関の調査で資質があると判定されれば、「L」が通えるグラマースクールに入学する資格が得られる、という。
しかし、かりに良好な結果が出ても、そちらの人生を歩ませるものは多くないという。
それは、かれらの人生哲学が関係しているらしい。
「非L」に生まれたのだから、親きょうだいや周囲のひとたちと同じように「非L」らしく生きるのが、いちばん幸せ。
今や「飢える」時代ではない。国民ひとりずつにベーシックインカムが支給され、最低限度の生活は保障されている。
ならば、刻苦勉励するより、日々を気楽に楽しく生きていた方がいいではないか。どうせある程度以上の地位に就けるわけではないのだから――。
しかし、あまり大っぴらに言われないことではあるが――。
ごく少数だが、「L」の子息にも「非L」と判定されるものが、いるという。
しかし、早期の特別な教育によって遜色ない「知性」を得ることは、できるというが。
まさか、清花は、自らの出自に後ろ暗いところがあるのではないか。
だからことさら、差別的に振る舞っているのではないだろうか……。
陽子だってこれまでの生活で「非L」に接触したことはなかったが
そんなことを思っていると、突然、清花は陽子に話を振ってきた。
「塚原さん、あなたはどう思いました?」
「……ええ、たいへん興味深いお話でしたが、でも」
「でも?」
陽子の意図を訝るような反応が、清花から返ってきた。陽子は戸惑いながらも口に出した。
「なにがしあわせかは、そのひとによって違うんじゃないでしょうか。清花さんがなさってることは、いけないとは思いません……いえ、もちろん、それ自体は『いいこと』なんです。でも第三者によって、なにがしあわせか一概に決めつけられないものがあると思います」
「……ふうん、塚原さんは、そう考えるんですねえ」
微妙な表情をした。清花は話を打ち切って、別の生徒に質問を振った。
清花はおそらく「いいことをしている」と思っているのだろう。たしかに、形式的にはそうだ。
結局はみなにとっても、非Lとは、「自分たちには関係のないひとたち」だった。
一生のなかで、まともに交わることはないひとびと。大した教育も受けず、社会に出て働き、家族を作り、そして死んでいく。社会の中では「その他大勢」のような存在である。自分たちの「下」に置いているのはあきらかだ
それが透けて見えるかのようなことばを、清花は口にしているのだ。
陽子は対抗すべく、ことばををひねり出す。
「どんな生き方をしても、それ自体尊重すべきではありませんか」
「でも、人間的でないでしょう」
清花はいった。
そのとき、空気が変わったように感じた。
陽子以外のみなは、そのことばで得心したようだった。
人間的。
それは、日常的に耐忍できるとされる範囲の「不合理」を許容し、延命させるマジックワードだった。
陽子の父親もよく、そんなことを言っていた。
子供のうちは「多少」危ない目に遭った方がいい、軽い怪我や麻疹にかかった方がいい――麻疹は決して軽い病気ではなく、かつては死ぬこともある病気だったと、のちに知ったが――。それは「L」が無自覚の前提としている倫理観。「人間らしい生活」だった。
「非L」はそんなことに頓着しないのだろうか。そんな「不合理」は無造作に葬っているのだろうか。たとえ「文化」を踏みにじることになっても。
誰かが言っていたことばを思い出す。
「論争に勝つための、いちばん知的に怠惰な方法は、相手が『人間性を欠いている』と決めつけることだ」と。
陽子は黙って、論議はそれきりになった。
しかし陽子はそれ以来、「非L」のことが心に引っかかり続けた。
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