第24話

 寄宿舎の門を出て、校門に至る傾斜の緩い坂を下っていくと、先に登校していた制服の一群に追いつく。

「ごきげんよう」

 すれ違う生徒たちと挨拶を交わす。

 学校の周囲は緑豊かな公園と住宅地。「都心」に位置しながら、都会の喧噪や猥雑とは隔てられている空間だ。

 道路脇に植えられている並木のイチョウは、どれも太く大きく、根を張っている。

 遊歩道には通学する生徒が列をなし、しずかなこの地域が、いっとき華やぐ時間帯だ。


 遠くにはオフィス街の高層ビルが林立しているのが望まれる。道路には自動運転の電動シェアヴィークルが行き交う。

 シェアヴィークルは「東京とうけい」市街地での主力交通機関だ。路面から供給される電気で駆動し、オンデマンドでどこへでも行ける。自動運転車の普及で、鉄道の活躍する分野は都市内の大量輸送や都市間の高速輸送のみになった。


東京とうけい」は一大消費地であり、「知」の集積地だ。

 そして、小惑星帯や外惑星は一大資源供給地帯となっていった。

 火星開発と並行して資源探査の手が伸び、メインベルトにある小惑星には、巨大な資源発掘プラントが作られていて、「日本ひのもと」の莫大な生産量の源泉になっている。


 さまざまな不自由があった火星に移住する代償として、その債券が早期に火星に移住したひとびとに割り当てられた。光速の限界による株式市場の分断によって、「日本人」以外が買うことはできなかった

 大半の「L」はその債券を所有していた。そして現在では膨大な利息がついて、資産は何十倍にも膨れ上がっている。それが初期入植者の子孫が多い「L」と、主にニューカマーからなる「非L」の巨大な経済格差の要因でもあった。


 皆が教室に集まってさざめいていると、そこに割って入るように、予鈴のチャイムが鳴る。

 教師がやってくる。

 授業が始まる。一時間目は総合学習だ。


 学院には、知識の伝達よりも重要なことがある。それは交流することによる人格の陶冶だ。授業で教わることより、教師や生徒たちから暗黙のうちに教えられる知識や意識、メンタリティ――ヒドゥン・カリキュラムこそ、この学院での生活で学ぶべきものである。

 授業では国語、歴史など人文系のカリキュラムが重視されている。無論理数系の才能がある生徒もいるが、「人文教養」は「L」がすべからく身につけるべきものだとされている。

 授業中は、気の抜けない時間が続いた。


 午後三時。今日の授業が終わった。

 放課後は自由な時間だ。

 学寮の中庭。パーゴラの下にあるテーブルを囲んで、四人の少女が語り合っていた。

 噴水が中庭の中央にあって、その周囲の花壇はいつも「地球」の季節に応じた花が植栽されている。今花壇を彩っているのは、パンジーだ。

 しかし、ここに集う少女たちのいちばんの関心事は、「恋」でも「ファッション」でもなかった。

「日本」とはなにか?

 彼女たちは、飽きもせずその談義を繰り返していた。

 学生食堂で、寮の娯楽室で、学校の休み時間にも、彼女たちのいちばんの関心事は、それだった。

「日本文化」の精髄とは、なんだろうか。その文化をどう継承すべきか。そのためには、学園生活でなにを学んで身につけるべきか。

 流行りのファッションとか、最近お気に入りのカフェとかの話をしていても、いつの間にか、そのことに行き着いてしまうのだ。

 それがこの寮に寄宿している四人の、ここしばらくの日常だった。

 話のはじめは、他愛のないものではあったのだが、いつしか、みなは真剣にそのことを語り合っているのだった。


「わたしはいま、『日本書紀』を原文で読み進めています……。おおらかな日本の神話。これこそ日本の神髄ではないでしょうか」

 村尾エリカが言った。「日本」有数の企業グループを束ねる総帥のひとり娘で、スラブ系の血が入っている。

「お言葉を返すようですが」


 半畳を入れたのは、日比野清花だった。

「明治大正のモダニズムこそ、素晴らしいと思いませんか。西洋近代を日本が昇華して独自のものに高めた。あの戦争がなかったらどんなに発展したことか」

 彼女は幼年部からの生え抜きだが、どこか俗物的な雰囲気を纏っている。

「文明開化」以降の、西洋の影響を受けた諸々の近代文化は、国情と相まって特異な成熟を遂げた。彼女はそれを偏愛しているようだ。

「いえ、第二次世界大戦後、昭和から平成にかけての文化こそ、わたくしたちが誇るべきものです。


 この国が高度成長、バブルを経て経済的に発展して、爛熟したサブカルチャーの果実。二〇世紀中盤から二一世紀に花開いた、マンガやアニメ、コンピュータゲーム、そしてネット文化のようなポップカルチャー。

 きらびやかなそれらの文化は世界を席巻しました。そして世界中にフォロワーを生み、ミームは生き続けています。それが「日本」が持つソフトパワーの大きな要素になっているのです」


 林明美が話を引き取って持論を披露する。黒い瞳に背中まで伸びたストレートの黒髪。 初対面のとき「わたくしはハヤシではなくリンです」と言われた。その読みが示すとおり、中国にルーツを持っているそうだ。

 いつぞや自分を「客家はっかの家系だ」と言っていたのを、陽子は聞いたことがある。

 客家は漢民族のなかでも広東省や福建省に華北から移住した集団の末裔とされる。中華文化圏に属するが独自の言語と文化を保ち、独立心が旺盛とされている。いわゆる「華僑」の主力にもなったという。

 彼女に感じる進取の気風も、彼女に流れている「血」のなせる業だろうか。



 陽子はエリカと、清花は明美と、寮で同室だった。

 寮の部屋で上級生と下級生が同室になるのは、この学院の伝統である。

 共同生活を送る中で先輩に生活面の指導と、知的な感化を受ける。そしてこの学院の生徒にふさわしい教養と所作を身につけるのだ。

 その絆は、卒業したあともずっと続くという。

 それは社会の中で役に立つ人脈になって、ずっと上層部で活躍を続ける原動力になるという。

「……みなさまがた、お話もいいですけど、紅茶のお味はどうかしら?」

 エリカはいった。


「ティー・クリッパーの直送ですのよ」

「……おいしいです」

 ひとくち飲んで陽子は答える。

 紅茶は鮮度が重要である。そのため、地球の茶所で摘まれた茶は、特別仕立ての輸送船で運ばれるのだ。

「このところ、お店でダージリンが手に入るようになったのですよ。ちょっと値が張りますが思い切って買ってみました。いかがかしら?」

 インドの紅茶産地は生産が復活しているのだろうか。気候変動の影響が少ないのか。


 かしましい三人をよそに、塚原陽子は、それをぼんやりと聞いているだけだった。

「陽子さん」

 エリカが不意に問うてきた。

「はい」

「あなたは、どう思われますか?」

「そうですね……わたしはまだまだ、よく知らないので、これから勉強していきたいと思います」

「うふふっ」

 エリカさんは邪気のない笑みを浮かべる。

 結局答えは出ない。ひとにより、それぞれ答えが違う。皆が好きで思い入れのあるものを、てんでにしゃべっているだけなのだ。

 所詮は嘴の黄色い雛のさえずりに過ぎないのだろうけど、陽子はそういったものを傍らで聞いているのは、楽しかった。

 自分もそのうち、先輩方と対等に論議を交わせる日も来るのだろうか……。

 そしてぼんやりと考えていた。

「日本人」として産まれたからには「日本の文化」を受け継がなければならないはずだ。と、このときの陽子は素朴に思っていた。

 この学院に入ったら、こんな会話にも、ついていかなくてはいかないのだろうか。

 だが、それはこの学院に入った時点で、陽子じしんが、望んだことではなかったか――。



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