第27話 危険は色々


あの後、一つ目の街を夕暮れ前に通り過ぎた。

正確には獣道を使って、バレないように越えたといった方が良いか……


理由は二つある。

一つは、焦って街に入らなくても良いくらいの食糧があることだ。

そして二つ目は、支境の街をスルーすることで、足取りを追跡される可能性を下げること。


「お兄ちゃん、少し寒くなってきたけど大丈夫?」


「中はどうだ? 由希達こそ寒いんじゃないのか?」


「トモくん、幌を下げさせてもらってるから大丈夫。それにマッチョちゃんの干し草があったかいの」


二人が顔を出した隙間から馬車内を見ると、干し草の上に布を敷いて、そこに座っていたようだった。

確かにそれなら暖が取れるだろう。


俺の方は、フードコートがオイルドジャケット風だから、雨風を完全に防いでいる。

寒さには強いが、暑いのにはヤバいだろう。

もっとも手袋だけは、次にでも調達しないといけないな……


そして、ありがたいことに、薄明が終わる前に次の井戸に着くことが出来た。

この井戸場には屋根と風除けの片壁が付いており、コンパクトサイズのこの馬車なら、ギリギリ中に入れることも可能だった。


「今日はここで野宿だな。草原側は壁だし、前後も1メートルくらいの壁が付いているから、マチに風が当たらないようにしよう」


「トモくん、一旦マッチョちゃんを馬車から外して柱に繋いでおくね。おいで、マッチョちゃん」


「グヒッ!」


頭の良い驢馬は、大人しくスムレさんに引かれて行く。

そして、マチの横に馬車を並べれば、完全な風除けとなったのが良かったのか、飼葉を喰んだ後は横にこそならなかったが、伏臥して目を閉じていた。


「マッチョ可愛いね、お姉ちゃん」


「本当だね。あの安心した寝顔がたまらないよね、ユキちゃん」


「ふふふふ」


「ふふふふ」


日に日に姉妹っぽくなっていく二人は、感性も近いのかマチの寝顔に顔を緩ませている。

俺は前回の反省で、馭者席ではなく、干し草をよけて馬車の右前側で寝ることにした。

とは言えコンパクトカー程度の大きさだから、殆ど離れていないのだけどな……


そして、右前側の幌を少しだけめくれば、街道の注意が出来る。

星明かりしか無い夜だ、灯り無しに歩ける奴などいないだろうから、僅かな隙間で十分なんだ。

それに、大きく開けると寒いし……


「姉さん、マチを愛でるのはいいが、そろそろランプを消してもらっても良いか?」


「トモくん、ごめんなさい。もしかして眠くなった?」


「お姉ちゃん。多分だけど、中が明るいと危険だからだと思う」


「あっ、そうなのね。はい、すぐ消すね」


これで、辺りは漆黒の闇となった。

現代の首都圏では夜でも都市の反射光があり、完全な闇にはならない。

たけど、ここは文明レベルの低い異世界だ。

薄曇りの空から見える星明かり程度では、街道を歩くことさえ難しいだろう。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん。交代で見張りした方が良い?」


「今夜はもう大丈夫だぞ、灯りが見えたら俺が起きれるからな。警戒してくれるなら夜明けの黎明時が助かる。由希は早寝して、陽を感じたら起こしてくれないか?」


「わかった! 由希頑張るね。じゃあ急いで寝ようかな、おやすみなさーい」


いや、まだ早くないか?

お喋りくらい全く構わないのだが、寝るって言うならいいけど。

多分だけど、日本時間だとまだ19時くらいだと思うのだが……

日の出前の黎明が午前4時くらいとすれば、まぁ良いのか?


「じゃあ私も、役に立たないとだね。おやすみなさい」


姉妹は馬車の反対側でくっ付いて寝に入った。

あっという間に規則的な寝息が二つ聞こえて来たことで、俺も眠りに誘われていた。



---------------



夜中、いやもう直ぐ朝方なのか?

耳元の囁き声で起こされる。


「……トモくん、起きて」


「……お兄ちゃん、なんか変だよ」


おい、両耳はやめろ!

もの凄くくすぐったいだろうが。

ほんの小さな声なのだが、直ぐにただならぬ雰囲気を感じたので静かに目を開ける。


「……どうした?」


「マッチョが幌を押すの、それも凄く静かに」


「声も出さないし、息を潜めている感じなの」


俺は静かに前の馭者席に出る。

黎明に入り始めた空は、地平線から薄っすらと明かりが漏れ出ていた。

そしてマチを見ると直立のまま、ピッタリと馬車に寄り添って息を潜めている。

その目には明確に緊張が現れていた。


『驢馬が緊張して動かない、ってことは人では無いのか?』


俺は自分の寝ていた辺りから、短剣を静かに取って腰に差す。

そして馭者席の足元から、態と乱雑に置いてある木の棒を一つ手に取った。


1メートルくらいの木の棒は、支点となる金輪に差し込むと、先端部を前輪に擦り付けてブレーキになる。

雑な作りなため、何本も置いてあっても違和感が無いので、纏まった数を買っておいた。

まぁ、大半は荷台に置いてあるんだけどな。

緊張した空気の中、か細いが泣きそうな声でスムレさんが言った。


「ツウイクかも……」


「お姉ちゃんツウイクって?」


「領にいる野生動物では一番危ないの。灰色の毛にずんぐりとした体型で、普段は4つ足で歩いているけど、襲ってくるときは2つ足で立ち上がって…… 両手の爪で攻撃されたら一溜りもないの……」


微かな声でスムレさんが妹に説明をする。

耳に力を入れるようにすると聴力が鋭敏になる俺は、警戒をしたまま聞き耳を立てる。

そして、それを聞いて思ったのは、


『なんだか、熊っぽいイメージだな』


といった感想だった。

もし、これから出てくる奴が熊ならどう対応するべきか悩ましい。


知っていると思うが、熊は厚い皮膚と皮下脂肪に覆われて、さらに筋肉も発達しているから、攻撃が通りにくいんだ。

また、逃げるにも羆なら最高60キロメートルで走るらしいから、驢馬の馬車どころか、驢馬だけでも怪しい。


「お姉ちゃん、逃げられないのかな?」


「無理ね。立つと人の倍くらい大きくて、大人の馬に一人ずつ荷物無しで乗らないとダメだって聞いたことがあるの」


「マッチョじゃ無理か……」


やっぱりか。

ならどうする?

本州の月の輪熊なら、偶に人が攻撃して追い払ったとのニュースも聞くが、あれは熊としては小さいからだ。

北海道の羆じゃ追い払ったなんて聞いたことが無い。

それに、どうやらその羆よりも大きいかも知れないし……


  ガサガサガサ……


  グウァァァァァー


少しずつ明るくなり始めた空の中、道の反対側、僅か10メートルくらいの近距離から大きな影が跳ぶように走ってくる。


『おい、やっぱり熊じゃねぇーかよ!』


俺は内心で悪態をつき、その熊を見る。

その角度なら、走り込んでくるその狙いは……


「由希、マチを頼む!!」


「お兄ちゃん! はい!」


俺は直ぐに馭者席から跳んで、走り込んでくる熊の真上を取り……

その脳天に思い切り木の棒を振り下ろす。


 パァァァァンッ!


 グオァァァァーーー!


やはり、予想通りと言えばその通りだが、熊の頭はザックリと裂け、派手に出血しているが……


「ムーマと違って頭蓋骨が堅い! 致命傷だが即死じゃない!」


相対する熊は、血が目に入っているのと、頭頸部への打撃ショックのためよろけている。

手負いの野生動物だ、攻撃態勢を取り戻す前に動かなければ……


そう思うのだが、長物の木の棒は粉々になって光を反射している。

馬車に戻らなければ、腰の短剣かステゴロか……


いや、短剣は頭蓋骨を貫け無い可能性が高いし、素手で耐えられたら摑まれることもある。

俺は、チラッと後ろを確認し、


「今の俺ならできる!」


バク転で馭者席に着地し、棒を取って反動で前宙をした勢いを使って同じ箇所を狙い……


 バァァァァァァンーー!!


回転の勢いのままの打撃は顔を剥ぎ、頭蓋骨を深く陥没させる。

熊は不随意運動の様に、不思議な動きをしてから倒れ、暫く痙攣したのち息絶えたようだった。



………………………………



「お兄ちゃん、怖かったね。まさか熊が出るなんて」


「ああ、って由希も熊に見えるか?」


「うん、グリズリーだよね。どう見ても……」


かなり昔の映画だが、ジョーズ1の後にどんなものかと思って妹と見たことがある。

ちょうどコイツは、そのくらいの大きさだったような気がするし……


「なんで、街道に熊が…… トモくん、まさか熊を倒しちゃうとはね」


「「えっ?」」


スムレさんも近くに来て、熊を見て一言。

それに猛烈な違和感を感じた。


「姉さん、コイツのことをなんて呼んだ?」


「えっ、熊だよね?」


不思議な事に、口もそう喋っているように開閉する。

多分、今までも感じていた違和感はこれなのだろう。


「お兄ちゃん、もしかして……」


「ああ、そうだ。謎だよな、どういう風になっているのか全くわからない」


「えーと、トモくん。何を言っているの?」


「いや、ログスとレンカタの違いが気になっただけだよ。なんて説明していいかわからないんだ」


いけないな、今話す事じゃなかった。

スムレさんは、困った顔で悩んでいるが、今のところこれ以上は話す気はない。


「お姉ちゃん、街道に熊って出ないの?」


「普通は山の奥にいる筈なの。こんな草原に出るなんて、今まで聞いたこと無いわ」


そうか、生活域まで向こうと同じなのか。

尚更、普通のデカい熊だよな。


「ねえ、この熊どうしたらいいと思う?」


「え、えっと。食肉にするには獣臭いよ? アク抜きが難しいって聞いたことがあるの。毛皮も鞣してからしか売れないのだけど難しいし……」


「なら、今は無理だ。草むらに捨ててくる…… いや、ここに放置しても良いか?」


俺はそう言って徐に熊を担ごうとして……

もしも、ノミみたいなのが沢山いたら厄介だと考え直す。


「どうして? もちろん、構わないんだけど」


「いやな、ノミとかシラミとか居たら嫌だなって思ってさ」


「お兄ちゃん! 絶対触らないでおいてね! マッチョ、もう行くよー」


「わ、私もそれが良いと思うわ! 直ぐ行きましょう、ね、トモくん!」


女性陣の嫌そうに慌てる姿を見て、それ以上は何も言わない。

ちなみに、マチすらも熊を避けるように馬車の後ろ側にまわっているのが可笑しかった……


しかし、この道中は領兵や野盗のような人間だけでなく、危険な野生動物にも気を付けないといけないだろうな。

あとは、植物の知識もないのはヤバいかも知れない。

向こうでは漆のようにかぶれるものや、カエンタケのように猛毒なものもあったし。

まぁ、キノコは植物じゃ無く菌類だけどな……


「姉さん、由希。次の街で長物の武器を調達させてもらって良いか?」


「もちろんだよ。トモくん、私はまた井戸で待ってても良いからね」


「お兄ちゃん、念のため由希にも折れない長めの鈍器をお願いね」


さっきの様な野生動物が出てこないよう、辺りを丁寧に見回した後、俺は少し急いで馬車を進める。

そして気付けば、朝日はかなり高くまで昇っていた。


「日中は人間が面倒なんだよな、そのうえ夜は野生動物なのか……」


タフル支では領兵に加えて動物まで気を付ける必要がありそうな事に、俺は軽い眩暈を覚えていた。

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