【短編】飛ぶ鳥を落として八つ裂きにする

和泉歌夜(いづみかや)

前編

 私──あおいは電車で痴漢を受けていた。最初は勘違いかなと思った。満員電車だったし、バックがあたっているだけだと思った。


 でも、それは明らかに私のお尻を目当てにしていた。最初は擦るように触れていたが、段々抵抗しない事が分かったのか、掴んできた。


 声を上げようかなと思った。でも、できなかった。背後にいるであろうその人は電車のドアの光沢による反射を見た限り、身長も体格も大きかった。


『次は雨宮~、雨宮~。お出口は右側です』


 助かった。次の駅で降りれる。今、立っている所がちょうどドアが開く。もう嫌な思いはしなくていいんだ。


 そう安堵していると、頭の上から生暖かい風が来た。スゥスゥと何かを吸い込んでいるみたいだった。もしかして私の頭頂部の臭いを嗅いでいるのだろうか。想像しただけでゾッとした。


 早く。早く駅に着いて。ドアを開けて。早く。


 その祈りが通じたのか、駅に着いた。ドアが開いた瞬間に勢いよく走った。後ろを振り返らずに階段を駆け下りて、改札を抜けた。


「はぁはぁ……ふぅ」


 思いっきり階段を駆け下りたせいか、息が切れてしまった。追ってきていないかなと思って振り返った。


「……え?」


 全身が凍りそうだった。あの中年が人混みの中に不自然に立っていた。片手にはスマートフォンを私の方に向けていた。


 スマホがゆっくりと下に降りていく。不気味な中年顔の男がニヤッと笑っているのが見えた。



「男の人に痴漢された?」


 50代くらいの駅員が忙しそうな顔でそう聞いた。


「はい。必死に逃げて振り返ったら、私の方にスマホを向けて……ニヤッと……」

「その男の人はどんな格好をしていた?」

「えっと……大柄で白髪頭。グレーのスーツを着ていました」

「うーん、そういう人はこの駅にはたくさんいるからなぁ……」


 駅員はめんどくさそうに辺りを見渡した。確かに似たような人が改札を通っている。


「君、痴漢されたって言ってたよね?」

「はい」

「なんで、された時に声を出さなかったの?」

「それはその……怖くて声がでなくて」

「駄目だよ。そういう時に出さないと。そしたら現行犯で逮捕できないじゃん」


 あれ? なんか私が説教されてる?

 

 何でだろう。私の方が被害にあっているはずなのに……。


 結局私が痴漢した男は見つからなかった。警察を呼ぶ事もできたけど、これ以上大事になるのは嫌だったので学校に向かった。


 遅刻した原因はお腹を壊したことにした。そしたら先生が保健室に行くように勧めてくれたので、言われた通りに向かった。


 全然お腹痛くないけどいいや。朝のせいで心がモヤモヤしているからどうせ勉強に身が入らないだろうし。


 トリカワ先生に相談してはみようかな。でも、男の先生にこういうこと話すのは抵抗があるなぁ。カウセラーもいいけど、かなり勇気がいるし……どうしよう。


 私は心の中でそう思いながら保健室に向かった。ドアを開けると白衣を着た若い男性──ではなく、青い目をした女性だった。


「おはよう。どうしたの?」

「あの……えっと、トリカワ先生は?」

「あぁ、先生は体調を崩して休んでいるの。今日は私が代理で来たの」


 青い目の先生はそう言って名札を見せた。『りょうこ』とひらがなで書かれていた。


「それで、どこが悪いの?」

「えっと、あの……な、なんでも……」

「もしかして痴漢に遭った?」


 りょうこ先生から思わぬ言葉が出て狼狽した。青い瞳がキラッと光ったような気がした。


 私が静かに頷くと、りょうこ先生は「座って。話を聞いてあげるから」と手招きした。


 初めて会ったばかりなのに、私はりょうこ先生に全てを打ち明けていた。先生は険しい顔をしてマグカップに口を付けた。


「朝から災難だったわね。今日は一人で帰らない方がいいわ。誰か一緒に帰れそうな人、いる?」

「えーと……いません」

「じゃあ、先生が駅まで送ってあげる」

「えぇっ?! い、いいんですか?!」

「もちろんよ。生徒の安全を守るのも教師の仕事なのよ」


 りょうこ先生がウインクした。その麗しい表情に胸の中に溜まっていたもやが晴れていった。



 りょうこ先生のおかげか、私はいつも通りに勉強と部活に取り組むことができた。夕焼けチャイムはもうとっくに鳴っていた。夕陽が差し込む廊下を過ぎて保健室へと向かった。


 りょうこ先生は待っていたとばかりに私を迎えてくれた。


「お疲れ様。じゃあ、行きましょうか」

「はい」


 私はりょうこ先生と横並びで歩いた。なぜか隣で歩いているとすごく安心した。守られているような気がした。


 りょうこ先生の車は赤かった。助手席に座ると、先生が音楽を流した。


キーンコーンカーンコーン

キーンコーンカーンコーン


 思わずずっこけそうになった。なぜチャイムが流れたんだ。りょうこ先生は真剣な顔で運転していたので特につっこまなかった。


「そういえば名前を聞いていなかったわね」

「あ、えーと……葵です」

「葵ちゃんは好きな人いるの?」

「え? え、えーと……はい」

「やっぱり! 誰? 同級生?」

「いえ、先輩です」

「どんな人?」

「同じ部活の先輩なんですけど、引っ込み思案な私にいつも優しく話しかけてくれて……その、良いなぁって思って」

「そっか~! 実るといいね!」


 やっぱり、この人は不思議な人だ。初めましてなのに恋愛の相談もするなんて……。そんなことを思っていると、りょうこ先生がこんな質問をしてきた。


「葵ちゃんは唐揚げ好き?」

「え? あ、うーんと……普通です」

「そっか。駅前に美味しい唐揚げ屋さんがあるんだけど、今晩のご飯のおかずにどう?」

「え? えーと……」

「もちろん、私のおごりよ」


 おごり──その言葉を聞くと遠慮するか甘えるかの二択になる。こういう時は素直に従った方がいいか。


「お持ち帰りだったら」

「オーケー! じゃあ、飛ばしちゃうわよ~!」


 りょうこ先生が機嫌よくアクセルを踏んで車のスピードを上げた。



 山盛りの唐揚げを買ってもらった私は抱えるように先生と別れた。


 電車の中はそこそこ混んでいて、唐揚げの臭いが漏れているからか、チラチラと私の方を見ていた。


 私は少し気まずかったが、また痴漢に襲われはしないかという不安もあった。が、特にそういう事もなく無事に家の最寄り駅に着いた。


 改札を出て、いつも通りの道を進む。一番気をつけなければならないのは公園だ。あそこは街灯が少なくて暗い。それに今の時間帯は人が通らないからますます不安が募る。


 でも、大丈夫。私はこの唐揚げがある。最悪それをぶつけて逃げれば問題なし。


 そう思っていると、黒のワンボックスカーが通り過ぎた。かと思ったら急停車してドアが開いた。


 現れたのは朝の改札越しで見た中年男だった。私はすぐに引き返し走ろうとした。が、口元で布のようなものを押し当てられてしまった。


 段々力が無くなり、意識が遠退いていった。唐揚げ屋のロゴが描かれた袋が落ちて、二、三個転がっていった。



 気がつくと、私は埃とカビ臭い場所にいた。辺りを見渡してみると、チカチカしている電球がぶらさがっていたり、ダンボールや大きめの機械がうっすらと見えた。ここは一体どこなのだろうか。


 そう思っていると、「お目覚めかい。葵さん」と私の名前を呼ぶ声がした。出てきたのはトリカワ先生だった。一瞬見間違えだと思ったけど、あの病人みたいに頬のこけた顔は間違いなく先生だった。


「先生? どうして……なにをしているんですか?」

「何をって……まぁね」


 トリカワ先生はそう言うとうっすらと笑みを浮かべた。


「おいおい、早いとこ始めようぜ」


 すると、野太い声聞こえてきた。あの白髪の中年だった。そうかと思えば似たような格好をした男達(太っているのも痩せているのも、背が高いのも低いのもいた)がトリカワ先生の横に並んだ。


「ほほう。これが新しい獲物ですか」

「上玉ですなぁ」


 背後からも声が聞こえた。今、私の周りに男達が集まってる。砂糖に群がるアリみたいに。


「先生、この人達は誰なんですか?」

「彼らは僕の仲間さ」

「仲間?」

「僕達は匿名のチャットグループで繋がっている……君のような若くて可愛い子を盗撮したり痴漢したりするためのね」


 トリカワ先生はそう言ってスマホを取り出した。画面には今朝起きた痴漢やそれ以前に撮られたかと思える画像が張り出されていた。サイトの一番下にはそれについてのコメントがたくさん書き込まれていた。


「今日は月に一度のエンジョイデー……僕達と同じ趣味を持った人達と実際に会って遊ぶ……今日の獲物は君だよ。葵さん」


 周りの中年達が気味悪い笑い声が響き渡った。それがたまらなく不快だった。


 中年の一人が辺りを見渡した。


「おい、駅員さんはどうした?」

「そういえば見てないな」

「あ、チャットが来た。体調が悪いから欠席するってさ」

「あれ? 今朝出勤していなかったっけ?」「なんか悪いものでも食ったんじゃねぇか?」

「じゃあ、撮影はあなたにお任せしますよ」

「おいよ」


 私の目の前にスマホが置かれ、中年がスイッチを押すとピコンという音が聞こえた。


「先生! これは……」

「撮影さ。今日の光景を闇サイトで売るんだ。結構いい稼ぎになるんだよ。やっぱり、女優の演技よりもリアルな方が燃えるんだろうぁ」


 トリカワ先生はそう言いながら私に近づいてきた。それだけではなく、他の中年達も集まってきた。背後からも足音がする。


 加齢臭とタバコ、汗などの臭いでむせてしまった。


「安心して。最初は優しくするから」


 トリマサ先生はニヤけながら私の方に手を伸ばした。


 その時、急に真っ暗になった。


「なんだ?!」

「停電か?!」


 中年の男達の叫ぶ声が聞こえたかと思えば、急に意識がフラッとした。



 気がつくと、私は家の玄関の前に立っていた。最初は夢かなと思ったが、試しにドアノブを捻ってみると実際に触れて開ける事ができたので、夢ではないなと思った。


 ゆっくり開けて中に入りリビングに向かうと、母がキッチンから顔を出した。


「おかえり。今日はからあげだよ」

「からあげ……あっ!」


 私は駅前で唐揚げを買った事を思い出した。が、何も持っていなかったので、あれすらも夢なのかなと思った。


『次のニュースです。雨宮駅で駅員が突然駅から飛び降りて…』


 ふとテレビから気になるワードが出てきたので、思わず目がいった。


 そこには今朝痴漢されたことを言って説教みたいに言ってきた駅員さんが飛び降り自殺したニュースが流れていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る