【BL】推しのナカミを知ってしまったんだが?!

真白 灯

第1話 推しは人生

 推しは、世界最強の存在だ。

 推しは、心の支えだし、存在理由だ


 中性的な美貌に、突き抜けるような少年ボイスから柔らかな青年の囁き。

 飾らない物腰と、思わずクスッと笑えるゆるい雑談。

 そして、誰もが黙る圧倒的パフォーマンス力。


 VTuber、Re:noaLリ:ノア――。

 彼は今、VTuber界を牽引する押しも押されぬ“次世代スター”だ。


 黒背景に浮かぶイエローグリーンのシルエット。

 深夜2時の暗闇で、リングライトが彼の髪に淡くかかる光景は、まるで異世界へとワープしてしまったかのような錯覚を与える。


 ASMR配信をとれば、筆で文字を書く音、本をめくるだけで十万再生。

 息を吸う音、マウスのクリック、ページの手触りまでもが、芸術だった。


 ゲーム実況ではコラボも企業案件もそつなくこなし、

 3D配信ではリアルタイムで歌って踊り、観客を煽る。

 それでいて息一つ乱さず、視聴者の心を掴む姿に「中の人いない説」まで飛び交う始末。


 グッズは実用性とデザイン性を兼ね備え、イヤホン、PCキーボード、水筒、ルームスプレー、マグカップ──

 推しが生活に染み込む幸福感と、箱を眺めるだけで満たされる多幸感。

 中の人の人格もまた“神”であり、配信で得た収益の一部を募金に回すなど、尊さが天元突破している。


 ……控えめに言って、推せる理由しかない。

 というか、推すことが、もう“生きる道”だった。


 その彼を、俺は毎晩イヤホンで浴びるように聴いて眠り、朝はアーカイブの声で目を覚ます。

 仕事でポカをしても「ノアくんが頑張ってるんだから俺も……」と鼓舞してきた。


 枕元には限定クッション。

 スマホには推しボイス「おはよう、今日もえらいじゃん」が設定済み。

 冷蔵庫には推しカラーのグリーンティーを常備。

 通勤中、電車広告にイラストが出るだけで涙腺が緩む。


 ──これが“推し活”。そして俺の人生の灯だ。


 しかも、Re:noaLのテーマカラーは黄緑イエローグリーン

 俺の名前、“喜緑きみどり すい”と同じ響きの色だった。

 画面越しに見たその色が、胸の奥で静かに共鳴した瞬間──

「これは運命だ」と、心が叫んでいた。



 ……でも。俺は、しがないサラリーマンだ。


 老舗折り紙専門店に勤める平社員。

 上下関係が命の縦社会。

“紙”の扱い一つにもこだわりがあり、新人時代には、折り目が数ミリずれているだけで叱責された。


 社訓は「社員は家族」

 古びた会議室の壁に貼られた、昭和の亡霊が遺した標語。

 当然、毎週土曜の飲み会も「家族会議」扱いで強制参加。


 今日もまた、会社の会議室で丸テーブルを囲み、定時後の“絆の会”が始まった。

 冷蔵庫に常備された缶ビールが配られる。

 コンプライアンスisなに。

 良い方に捉えれば、この会社でビールの美味さを覚えたくらい。


 謎のスライドショーつき説教。

「昔は〜」「俺の若い頃は〜」と語り出す部長。

 唐揚げにレモンをかけるか否かで起きる不毛な論争。

「喜緑くん、最近の若いもんはさ〜」と始まる古代語。


 俺はビールを片手に、笑顔で受け流す。

 けれど、胃は重い。酒じゃなく、空気がまずいのだ。


 アプリを連動させたカラオケ大会が始まり、育毛剤の話題で盛り上がる50代の背中を見ながら、心だけはすでに配信ルームにワープしていた。


 あの、ページをめくる音……あの空間……帰りたい。


 こんな生活を、あと何年続けるのか。

「上司の息子が入社するらしい」と聞いて「良かったですね!」と笑い、来週の飲み会の幹事を任されて「はいっ」と返事してしまう自分に、嫌気すら湧かないのは、慣れたからか、諦めたからか。


 ……でも、推しがいるから、明日も生きようと思える。

 それだけが、俺の救いだった。

 推しは俺の存在意義で、生命線。



 ──まさか、そのVTuberの彼と“現実”で会ってしまうなんて。

 あのときの俺は、知る由もなかった。

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