第8話-飛翔-
「ああ、いかんな。見たまえ」
ヘクター・ベガが外を見て、他人事のように言った。
成哉が窓に飛びつき、見下ろすと、そこには巨大な鉄の船が見えた。
「海賊船だな」
「海賊……!?」
「あの旗印、カーネギーだな。ゲリラ的に立ち回り、時には便利屋として尖兵的な役割も果たす連中だ。ひときわ血の気が多く、乱暴かつ下種な性格で知られている……陸上政府も、たびたび手を焼かれていてなぁ」
カーネギー?
陸上政府?
この人、何を言ってるんだ?
ヘクター・ベガは、しかし呆然とする成哉など気にした風もなく、機内の給仕係にハンドサインを送った。
それを受けた女性のひとりが壁に取り付けてある受話器を取り、何事かを伝える。
そして次の瞬間、飛行機が旋回し、進行方向を逆向きにする。
「何をしてるんです!?」
「離脱する。この距離で撃たれることは考え辛いが、馬鹿は何をするか判らん」
「ケントは!? あの女の人は!?」
「さて? 落下の衝撃で気絶しておれば無事は保証できんかもしれんな。それに、奴らが落ちたところは、海賊どもも確認しただろう。回収され、囚われる可能性も高い……」
さまざまな用途があろうしな?
そう言って、ヘクター・ベガは、ほくそ笑んだ。
「戻ってください、今すぐ!!」
「おや、何のためにだね」
「ふたりを助けるために決まってるでしょう!?」
「いやいや、それは請け負いかねるなぁ。こちらは大した武装を有しておらん。これが下手に近づき、海賊どもの手に掛かってみろ。儂は陸上政府の要人だ……そんな愚は犯せまいよ」
「じゃあ、ふたりは――」
「諦めろ。なに、お前はこうして無事なのだ。構うことはなかろう。それに代わりなぞ、いくらでも用意できる」
「代わり!? 人間に代わりなんて、いるわけないだろう!?」
「いいや、いるとも」
ヘクター・ベガは当然のように答えた。
成哉は、あのコンテナに詰め込まれていた大勢の人たちのことを思い出した。
自分もケントも、ひょっとしたら落ちていった給仕係の人も、元はあの中のひとりだったのだろうか。
ヘクター・ベガ。
こいつは人を人とも思わない、正真正銘のクソ野郎だ。
「許せない、という顔だな。どうしても救いたいならば、お前が行け」
言って、ヘクター・ベガは壁際にぶら下がるバッグを顎で指した。
成哉は、それを手に取った。
中からはナイロン製らしいスーツが出てきた。
着替えにかかる。
考えている暇は無い。
すぐ助けに行かなければ手遅れになる。
成哉には、それが分かった。
「ところで、どうして、お前が助けねばならんのだ?」
「一蓮托生だって約束しました。裏切れません」
「出会ったばかりだろ? 奴らも、すぐお前の上を通り過ぎるひとりではないのかね《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》?」
その、人を見透かしたようなひと言に、成哉は手を止めた。
彼の言うとおりだ、という声が、頭の片隅で聞こえた。
俺が行くことなんてない。他人より自分を大事にした方がいい。
このまま飛行機に残ってヘクター・ベガと一緒にいれば、俺だけでも無事に地上へ降りて家に帰れるかもしれないんだ……。
誘惑にかられる。
でも成哉はそれを押し殺してジッパーを上げ、スーツですっかり全身を覆ってブーツに履き替えると、セットになっていたゴーグルを手に、後部のドアへと向かった。
ふたりを助け出さなければ――そんな使命感が、彼を突き動かしていた。
「ふむ、良い傾向だ」
ドアが、徐々に開いていく。
成哉は吹き込んでくる風に抗ってドア枠に手を突き、一度、眼下を確認する。
船は近くだ。
彼は、ごくりと唾を呑み込み、
「忘れるな! これより貴様が生きるということは、獣の本能が通底する場所を行き来することであり、そして酸っぱいポタージュを有難がることであるのだ!!」
ヘクター・ベガの怒声と、すさまじい風圧に押されて、成哉は外へと飛び出した。
空中で手足を広げる。
股の間と、腕から腿にかけて渡されたナイロンシートが、風を孕む。
身に纏ったのは、滑空用特殊ジャンプスーツ――いわゆるウィングスーツだった。
たしか、これを用いるにはライセンスが必要だったはずだ、と成哉は思った。
何百回ものスカイダイビングの経験と、インストラクター経験があって、初めてスーツへの挑戦が許される。
ウィングスーツ・フライングは世界で最も危険なエクストリームスポーツとされ、死亡事故が多発していることでも知られていた。
だが成哉には、スカイダイビング経験なんてものは無い。
バンジージャンプも、それどころか遊園地のジェットコースターでさえ、そうそう触れないような人生を送ってきた。
自分は今、自殺に等しいことをやっているのかもしれない……。
「――――ッ!!」
押し寄せる風に、歯を食いしばる。
抵抗を受け膨れ上がる翼、その重圧を受け止める四肢が、ミチミチと音を立てる。
凄まじいスピードで、空気を切り裂く。
ウィングスーツ・フライングは、時速150キロにも達するという。
事実、眼下の海は、高速で後方に過ぎ去っていた。
顔を叩く風は痛いほどで、呼吸だって、まともにできやしない。
だが、酸素を取り込まないと、間もなく酸欠になって気を失う。
成哉は気を鎮め、努めて深く息を吸い、吐き出す。
海賊船との距離が、縮まってくる。
見れば、モーターボートが波を切り裂き、船へと戻っていく途中だった。
そこには何人もの人影と、彼らに囲まれる、小さな人影が見える。
ケントたちだ!
それを認識したと同時、成哉はドキリとした。
まずい。
この軌道では、真っすぐに彼らの元を目指すことは出来ない。
一瞬、彼は思考を走らせた。
ウィングスーツの特性、スピード、今の高さが充分かを勘案する。
いける、おそらく。
このまま横合いに、旋回するように飛行する。
そうして太陽を背にするよう回り込んで、直接あの海賊船へと着地するのだ。
ほんの僅か、翼を傾ける。
急速に、目標までの距離が縮んでいく。
まだ、甲板上を行き来する海賊たちが、空の中に成哉の姿を認めた様子は無い。
よし、いいぞ!
だが、いよいよ艦に接触するという段になったところで、成哉はハッとした。
どうやって止まる?
慌てて背中に視線を走らせ――愕然とした。
パラシュートが付いていない。
それを設置するための袋は認められるが、そのはためきようから、空であることは明らかだ。
ヘクター・ベガは知らなかったのか?
いや、そんなわけはない。
これも奴の思惑通りだ……万事してやられた!
このまま突っ込めば、間違いなく死ぬ。
かといって、ここで船に取り付かなければ、ケントたちを救出するという、そもそもの目的を果たせなくなってしまう。
そして状況は、さらに悪い方へと転がった。
船が動き出したのだ。
ケントたちの収容を完了し、移動するつもりだろう。
どうする?
そう考える間にも、海賊船は、みるみる近づいてくる。
やがて成哉は、その甲板上に、無造作に積み上げられた漁獲用の網の山を認めた。
――やるしかない。
あれを目指して降下する。
パラシュートなしで、あの船へと直接、着地するのだ。
一歩でも間違えば、命は無い。
だが、成哉の頭は不思議に冷え、妙な確信があった――俺なら、できる。
成哉は体を僅かに起こし、右へと傾けた。
そして即座に、今度は左側へ体重をかける。
彼は順繰りに、片翼ずつに負荷をかける。
そうすることで次第に滑空の勢いが、風の抵抗を受けて削がれていくのが判った。
やり過ぎれば、船まで到達できない。
甲板上の柵を飛び越えられる程度の高さは損なわないよう調整しつつ、限界まで、落下の勢いを殺さなければならない。
船は、もうすぐそこだ。
見下ろすばかりでは測り切れなかった、その巨大な船体が視界を占領する。
その上で動き回る、ひとりひとりの姿も、ありありと見えてくる。
まだだ、まだ気づいてくれるな。
成哉はスピードを殺し続ける。
近づいて来る鉄さび色。
ゴウゴウと唸る風の音。
体の下から響く潮騒。
「――なんだ、あれァ!?」
甲板上の誰かが叫んだ。
気づかれた――そう悟った瞬間、成哉は体を傾けるのを止めた。
水平の姿勢を保ち、船へと突っ込む。
どこかから銃声が上がる。
乾いた音が散発的に、一発、二発、三発――
だが滑空する成哉の体を、銃弾が捉えることはなかった。
船の柵を飛び越え、甲板が眼下に広がる。
細かい目の付いた網の山が、間近に迫る。
そして、成哉は体を引っ繰り返した。
激突。
息の詰まる衝撃。
食いしばっていた歯が、浮きかけるほどの。
積み上げられた網の奥へと、体が沈んでいく。
生臭い。
磯の香りと、魚の残り香、それが重なって、圧し掛かってくるみたいだ。
しかし、それは確かに成哉の体が硬い甲板に叩きつけられることを防いでくれた。
「……うぐっ!」
ずるずると滑り落ち、固い地面を得て、成哉は呻く。
手足が痺れて、力が入らない。
たぶん骨は折れてない。
軽い打撲くらいに収まったのだろう。
周囲に、人が集まってきた。
海賊たちだ。
成哉は顔を上げ――そして、ポカンと呆気にとられることになった。
海賊たちは垢じみた服を着込み、顔や剥き出しの腕に塗料を塗って、手に手にライフルや、ナイフ、サーベルを構えている。
みな二本足で立ち、人間に近いシルエットだ。
しかし、その全員が人間以外の特徴を備えていた。
全身に鱗を備え、体毛はおろか、まぶたも持っていない者がいる。
全身毛むくじゃらで猫やヤギそのものの頭部や、尻尾を生やした者もいる。
比較的人間の外見に近いが、耳だけは獣のそれだったり、下半身が馬に似ている者も……。
獣臭が、むっと成哉を包む。
「……ガキだ。さっきの男の方と、同じくらいか?」
成哉のゴーグルを外し、素顔を検めて、海賊は言った。
海賊は次に、ウィングスーツを引き剥がした。
成哉は、先の綿の衣服をその下に着ていた。
彼らは、それをまさぐり、武器を帯びていないことを確かめた。
「何モンだ。ガキ」
半魚人のような姿をした男が、成哉に屈み込んで凄んだ。
「誰の許しを得て俺たちの船に、土足で入り込んできやがった? 吐け、さもねぇと――」
大型のナイフの鋭い切っ先が、成哉の目の前に突きつけられる。
ぞわり、と背中を悪寒が走り抜け、口の中はカラカラに乾き、ノドは変にイガイガした。
「ひ、飛行の、訓練、を」
「訓練だと?」
「と、友達が……誤って、落ちた……それを……おっ、追いかけて」
「へぇ、お友達を助けるためってかい」
その声が聞こえた途端、海賊たちの人垣が割れる。
そして、その向こうに、長身の女が姿を現した。
筋骨隆々の逞しい体躯に、革製の、深紅のベストを羽織っている。
長い体毛を結わえ、金の飾りで留めた、オオカミのような頭を持つ獣人……。
「カシラぁ」
成哉を締め上げていた海賊が、彼女を呼ぶ。
つまり、あの女こそヘクター・ベガがカーネギーと呼んだ一派のリーダーなのだろうか。
「お友達なら同じく、この船に乗ってる。善良なアタイたちが、海で溺れそうなところを助け出してやったのよ」
「……無事、なんですね」
「ああ。意識も、ちゃあんとしてるようだったぜ?」
女は成哉の傍らに屈みこむと、クンクンと鼻を鳴らし、顔を覗き込んできた。
「陸側の人間か?」
カーネギーが、ウィングスーツの生地を指先に挟み込み、擦り合わせながら訊く。
成哉は何と答えるべきか迷った末、相手を上目遣いに見つめ返し、言った。
「……はい」
「うん、良い子だ。アタシの鼻は嘘を嗅ぎ分ける。やめといた方がいいぜ、お友達が吐いたような、つまらねぇ誤魔化しはな」
成哉は息を呑んだ。
たぶんケントは、正直に話したのだろう。
自分たちは、さらわれて来ただけで陸とかなんだとか、無関係だと。
それを彼らはウソだと断じたに違いなかった。
「彼は、どこです!? 無事ですか!?」
「あの飛行機には、誰が乗ってた?」
カーネギーは、成哉の問いが聞こえなかったかのように訊いた。
ところでさ、というくらいの、気安い感じで。
「あんたの乗ってきた、あの飛行機には、他に誰が乗っていたんだい?」
成哉が言葉を呑むと、後ろにいた奴が背中を蹴り飛ばしてきて、彼はバランスを崩した。
甲板に手を突いて受け身を取ると、そのまま背中を押さえつけられ、手の甲を踏みつけられて、指を広げたままにさせられる。
「知ってるか、坊主? 指ってのはな、いろぉんな神経が集まってる箇所なんだ」
何かあれば痛いぞォ、と、カーネギーが成哉の耳元に囁く。
目線を上げれば、カーネギーが腰のベルトから、鋭いナイフを抜いたのが見えた。
「ま、まさか……やめっ」
「さぁて、何本目で喋るかなっ……!」
高々と掲げられたナイフが、力を込めて振り下ろされる。
気がつけば成哉は、たまらず金切り声で叫んでいた。
「待ってっ! 喋る、なんでも話します!! ヘクター・ベガ、ヘクター・ベガが一緒にいた!!」
ナイフは、成哉の小指の数ミリ上で、ピタリと止められた。
カーネギーは身を起こしながら、呆れたように鼻を鳴らした。
「骨の無ぇガキだ。まさか、マジで素人とはな」
「しかしカシラ。こいつ、ヘクター・ベガって言いましたぜ」
「あぁ、言ったな」
「本当なんですかね?」
「さぁな。どっちでも構わねぇよ。こいつァ人間だ。ベガの飼っているお人形じゃねぇ。なら、どっちにしろ利用できるさ」
人間?
お人形?
お人形って、もしかしてヘクター・ベガの周りにいた給仕の女の人たち……
落ちていった、彼女のことか?
「いずれにしろ、あの娘には利用価値がねぇ。ちょうどいい玩具だ、壊れるまで遊んでやれ」
「なっ――」
「ガキの方は? イキのいい人質が、2匹も手に入ったんだ。片っぽ、下の階の連中にくれてやるってのは、どうですね?」
「そうだな……」
「ふ、ふざけるなぁ!! ケントたちに手を出すな、何かしてみろ!! 許さないぞ――ッ!!」
「はははぁ、怖い!」
成哉の裏返った叫び声に、カーネギーは笑声を返し、
「じゃあ、あんたが相手することだね。おい、ジェイコブに言っときな! その生意気なガキを任せる、殺さねぇ程度にケツを叩いてやれってよォ!!」
「へへぇ、叩き方は!?」
「お好きなよォに!!」
下卑た笑声が、甲板中で上がる。
海賊たちが成哉を抱え上げ、船の内部へと引きずり込んでいった。
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