第4話-蠢く闇-

 そこは、遠く山奥に分け入った、深い森の中である。

 微かな月明りなど問題にならないほどの闇。


 それを侵すように進んでいくのは、車のヘッドライトだ。

 大きなトラックが、巨大な建造物を目指して山道を、ゆっくりと上っていく。

 山肌に張り付くようにして高く聳えるのは、城砦めいた巨大なダム。未だ完成には至っていないと見えて、所々に重機の存在も確認できる。


 やがて停車した車内から、人種も様々な男たちが、次々に現れる。

 彼らは、それぞれに荷台へ向かい、そこに積まれた荷物を手に取った。

 いくつもの木箱だ。

 それらを、彼らは単独で、あるいは共同で施設の中へ運び出してゆく。


 最奥には広く開けた巨大な空間が待ち受けていた。

 男たちは監督役の指示(ほとんどゼスチャーだ。内の何人かだけに指令を出し、他の面々は、その挙動を真似る)に従って、箱を地面へと置いていった。


 強力なライトの下で箱が開帳されていく。

 木くずの中に何か収められている。

 鉄片である。

 表面には微細な傷が認められ、製造から長い年月を経ているであろうことが見て取れる。

 それらが、一所に集結していくと、それらは次第にヒトガタを形成していった。

 鎧だ。

 まるで中世のプレートメイルと、現代の宇宙服を相半ばさせたような……


 と、背丈のある、屈強そうな若い作業員の男が、集団を離れようとする。

 監督役が、彼を呼び止める。

 何処へ行く、と問うたようだった。

 それに男は、言葉が解らない、とばかりに首を振り、己の下腹辺りを指さした。

 監督役は溜息を吐き、広大な空間の隅の方を示した。

 目の届かないところへ行くな、その辺でしろ、ということらしい。

 作業員の男は肩をすくめ、それに従った。

 監視役の視界に収まる壁際で背を向け、軍手を外し、ズボンのチャックを降ろす。


 その時に、男は衣服の内側から、素早く小型の機器を取り出した。


「見えるか。ビンゴだ。奴ら、やろうってハラらしいぜ」


 男は小便をしながら、微かに背後を顎でしゃくった。

 空間の奥、高い天井に沿って、何か巨大なアーチが聳え立っている……。


     ****


 成哉と顔を合わせた後、澪は財布から取り出した金をテーブルに置いて、挨拶もなく席を立った。


 成哉は、その背中をゆっくりと追いかけ、階下へと降りていく。

 澪は走って逃げようとはせず、あたかも門限が近いので失礼します、といった風にハイヒールを鳴らして優雅に歩いた。


 詰め寄って、その肩を掴んで止めることも可能だったが、成哉はそうせず、ただ数年越しにまみえた澪の姿を、じっと落ち着いて眺めていた。


 店先へ出ると、そこに停まった黒のセダンに、澪が乗り込んだ。

 近くに待機させていたのを呼んだのだろう。

 繁華街の狭い道から抜け出そうと、通行人らにクラクションを鳴らして進んでいく車体。

 それを見送りつつ、成哉は、ひょいと建物と建物の間の小道を覗いた。


「お待たせ、ファン」


 すると物陰から、先ほど合流した女が姿を現した。


「まったくだよ。墓場なんて陰気な場所で待たせた挙句、今度は、こんな奴のお守りまで押し付けるなんてさ」

「ン~! ンぐぐ~……ッ」


 彼女──ファンが腕を極め、口元を押さえて拘束しているのは、加納である。

 彼は墓場から繁華街へ向かう成哉たちを、しつこく追いかけてきて、ついには居酒屋にまで踏み込もうとしてきたので、ファンが邪魔はさせじと、暗がりに引きずり込んだのだ。


「おかげで助かった。もういいよ、行こう」


 ファンは首をすくめ、加納を解放すると、通りへ出て成哉の隣へ並ぶ。


「ハンカチとか持ってる? 手がヌルヌルして嫌な感じ」

「あー……生憎、持ってないかも」

「持っといた方がいいよ。紳士なら、こういう時に差し出せるようにさ」


 言いつつ、ファンが成哉の背中に手のひらを擦りつける。

 それに眉をひそめながらも、成哉は甘んじて受け入れた。


「ところでジャックからは、何か来た?」

「あんたが上にいた間に。急いだほうが良さそうだよ」

「了解。今、神崎もそこへ向かったはずだ」


 そこへ加納が駆け込んでくる。彼はボイスレコーダーを握り締め、汗だくになりながら成哉へ突きつけた。


「成哉さん、質問に答えてください! あなた生きていらっしゃったんですか? 今の今まで何をしていたんです? あなたの一件は、世間を騒がせた! ご家族は、この地を離れざるをえなくなり、多くの人生が、ここに狂っていったんだ! それなのに、あなたは隠れ潜んで、知らぬ存ぜぬを通してらっしゃったというんですか!?」

「さっきから、ずーっとあの調子なんだよ」


 ファンが、うんざりしたように溜息をついた。


「あんたとの出会いとか間柄とか、根掘り葉掘り。こういう時って、どうするもんなの?」

「こう答えるんだ。事務所を通してください、ってね」

「へーえ」

「ふざけるな、十和成哉ァ!! 答えなさい、あんたには、その義務があるッ!!」


 加納の怒声に、周囲を行き交う人々がギョッとして立ち止まった。

 2階から降りてきた同級生らも、状況を掴みかねて店の入り口で硬直する。

 衆人環視の真ん中で、十和成哉は、思い出したように「ああ」と笑った。


「そうだ、加納さん。これでもう、宮内洋太を訪ねる気は、なくなりました?」

「……え?」

「いえね、見当違いだってこと、ご理解いただけたかなと」

「だ、だが奴は……あなたを」

「その辺は、ファンから聞いたんでしょう?」


 成哉の態度はあくまで穏やかだ。

 対して加納は怒りのあまり顔色が赤黒く変じている。まるで、洞窟から這い出してきた小鬼みたいに。


「きっ、凶悪な事件が起きたとされたんだ、それに憤るのは人として当然だろう!? そして、その犯人と思しき人間が、たったひとりしか浮かび上がらなかったのだから――」

「だから、証拠もなしに決めつけを? まぁ、人ってのは曖昧なことを嫌うものだ。なんでも白黒つけたがる……だからって、わかりやすい答えを提示して世論を誘導しようとするのは、危険なことだと思うけど」

「私は正義を追い求めているだけだ! 死者の声を代弁し悪に正当な裁きを――」

「失礼、被害者は俺でしょ? 俺、何か頼みましたっけ、あなたに?」

「私は記者だぞ!! 私には書く権利があるんだ!! 私には世間に広く訴えかける力がある! その私が書かなきゃ、十和成哉なんて人間、誰が憶えているというんだっ!! 私は、声を上げることのできない死者の無念を憐れんで、共感してやってだな――」

「うるせぇな、知らねぇよ。だいたい、お前こそ誰なんだよ?」

「な、なんだとぉ!?」

「死人に口なし。たしかにそうだ。でもそれを利用しているのは、お前の方だろ。お前は死者に寄り添いたいんじゃなく、正義の側に立っていると信じられることが好きなだけだ」


 成哉は加納の手からボイスレコーダーを引っ手繰った。

 加納は慌てて奪い返そうとするが、成哉は、ひょいと体を傾けて、やすやすと躱した。


「いずれにしろ、その怒りは俺だけのものだ。勝手に代弁気分で騙るのは、やめてもらおう」


 成哉はボイスレコーダーを地面に放り、虫でも叩き潰すみたいに、容赦なく踏み砕いた。


「あああぁああーッ!?」


 加納の絶叫をBGMに、成哉は、さっと背を向けて、


「よ、よう」


 声を掛けられ、振り向いた。

 そこには元クラスメイトたちが半笑いを浮かべ、遠巻きに手を振っていた。


「え、なに。お前、神崎に会いに来たの?」


 成哉は、うんざりしたように溜息をつき、手首に巻かれたブレスレッドの側面に、指を押し当て、言った。


「宮内洋太のひとり娘は、3人目だそうだ」


 予想外の第一声に、若者たちは顔を見合わせる。


「最初のふたりは流産、原因は、過度のストレス。俺は、人殺しの顔を拝みに来た。勢ぞろいじゃないか」


 成哉はファンに目配せで合図し、ともに歩き始めた。

 その背中にスマートフォンのカメラを向けながら、加納が金切り声を投げる。


「弁償しろー! だ、だいたい、私のせいじゃない、お前だ! お前が騒ぎを傍観して、訂正に来なかったせいだ! 訴えてやる、沈黙罪だ! このことを世間に告発し罪を償わせ――」


 そこで加納のスマートフォンが爆発した。

 背面が浮き上がった刹那、内部のリチウムイオン電池が炎を噴き上げたのだ。

 同様のことは背後でも起こった。

 若者たちのスマートフォンもまた、彼らの手の中で、ズボンのポケットで、鞄の底で、次々に破壊されていく。


 阿鼻叫喚の渦が巻き起こった。

 甲高い悲鳴や叫びを背に聞きながら、ファンは「ちょいちょい」と眉をひそめた。


「ウイルスを送ったの? やりすぎじゃない?」

「構うもんか。火傷するような生き方を選んだのは、あいつら自身だよ」

「あとで騒ぐかもよ。痕跡を残し過ぎるんじゃない? 上に怒られるかも」

「事務所を通してくれ、って言うさ」

「へえ、いろんな場面で使えるんだ。この世界の、そのフレーズ? ずいぶん便利だね」


 そうして、ふたりは騒ぎを聞いて駆けつけてくる人々の波の向こうへと消えていく。


「で、どういう気分なの?」

「どういう、っていうのは?」

「戻れたんだよ? こんなの、どれだけの確率だっていうの?」


 ファンは成哉と並んで前を向いたまま、ただ事実を告げる、という感じで言った。


「だって、ここが、あなたの世界なんでしょ?」

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