第16話 常任理事国

 カタリナが誘惑に負けて「毒入りワイン」を堪能した翌週水曜日。アメリカのニューヨークにある火星共同運営条約機構本部。


 各常任理事国の政府代表部の大使達が毎月定例のランチミーティングを行っていた。


「火星独立戦線のメンバーの1人が自殺したそうですね。大変残念なことです」


 食後のコーヒーを一口飲んだ後、日本大使が思い出したようにつぶやいた。欧州連邦大使が悲しそうに答える。


「嘆かわしいことです。まさかあのような事が起こるとは……これで真相究明は困難になるでしょう」


 アメリカ大使が続く。


「このような悲劇が2度と起きないよう、当面の間は火星独立運動を規制するしかなさそうですな」


 うなずきながら話を聞いていた日本大使が、チラリと時計を見た。


「おっと、次の会合を忘れるところでした。すみません、皆さん。お先に失礼させていただきます」


 中国大使が笑った。


「ははは、お忙しそうですな。それではまた来月」


 慌てた様子で部屋を出て行く日本大使を、他の大使が笑顔で見送った。


 日本大使が部屋を出た後、インド大使が口を開いた。


「貴国の工作員が忠誠心のある者で良かったですな」


 欧州連邦大使が苦笑した。


「情報部のが遅れたせいで、ご心配をお掛けして申し訳ない。幸い今回の工作員が愛国者で助かりましたよ」


は大丈夫ですかな?」


 アメリカ大使が聞いた。


「ええ、工作員の唯一の身内である母親は、こちらでする前に病気で亡くなっておりまして。ご安心ください」


 欧州大使が笑顔で言った。それに笑顔で応じた中国大使が、コーヒーにミルクを入れながら話し始めた。


「少々トラブルはありましたが、今のところ順調ですな。我が国の調査によると、火星諸都市では火星独立運動への忌避感が高まっているようです」


「これで、火星独立運動は当面おさえ込める。ただ、例の招待客の帰路エスコートの話、気になりますな」


 中国大使が険しい顔で言った。インド大使が続く。


「火星最大の巡視船と最新鋭の高速巡視艇を地球まで派遣して、わざわざバラバラに分かれて各国の宇宙軍基地で補給したとか。まるで偵察だ」


「そして、地球-火星間に無人観測機を多数配備したとのこと。単なるテロ対策としては、いささかやり過ぎですな」


 欧州大使が話し出す。


「巡視船等は、火星に帰る際、高速で無人観測機の配備地域を通過したり、あえて黄道面から上下に離れた迂回軌道を取ったりしていたそうです」


「まるで我々による火星侵攻を想定した演習ですな。向こうの準備が整う前に軍事行動を起こす必要があるかもしれない」


 アメリカ大使が腕組みをしながら答える。


「地球-火星大接近後、地球は火星を追い越して公転していく」


「当面、地球から火星へ向かうには公転方向に逆行する必要がある。公転方向に乗って進める火星側に比べて何かと不利だ」


「軍事行動を起こすなら、今すぐ、かつ短期決戦ということになるが、そこまでの世論醸成には至っていない。政治的に難しいだろう」


「事務総局の警備隊は燃料や推進剤の備蓄をコソコソ行っているようだが、火星の生産能力や輸入量を踏まえると、大規模な軍事作戦に必要な量はまだ確保出来ていないはずだ」


「念のため燃料や推進剤の供給量を抑えて、地球の位置が有利になる2年後まで封じ込めておくという感じですかな」


 アメリカ大使が残りのコーヒーを一気に飲み干すと、席を立った。


「その頃になっても火星が駄々をこねていれば、徹底的に叩き潰すまで!」


 アメリカ大使がそう言うと、他の大使が大きく頷いた。



† † †



「大使、ランチミーティングはいかがでしたか?」


 日本政府代表部の地上車の中。随行の1等書記官が日本大使に聞いた。日本大使が防諜装置の作動状況を確認してから話し始めた。


「ああ、例の火星独立戦線の自殺者の話を振ってみたんだが、真っ先に欧州連邦大使が話し始めてね。自国の工作員だったから思わず答えてしまったのかな」


 日本大使が笑いながら話を続ける。


「しかも、真相究明は困難になるということだそうだ。他の構成員の取調べでは真相が究明できないことを欧州連邦大使は何故か知っているということだ」


「そして、あの自由の国であるアメリカの大使が火星独立運動の規制を繰り返し主張する……」


「と言うことは……」


 1等書記官が息をのんだ。日本大使が真面目な顔になって言う。


「今回のミサイル攻撃事案は、火星独立阻止のための常任理事国の自作自演だという例の情報……あながちガセではないかもしれん」


「我が国はどうするのでしょう?」


 1等書記官が不安そうに言った。日本大使が腕組みをして答える。


「官邸の判断次第だが、核融合関連機器や水素自動車などの我が国の基幹産業に影響があるのか。それが全てだ」


「我が国は他国と違って火星の資源そのものの権益はそんなに持ってないからね」


「火星の独立が我が国の基幹産業の中長期的な発展に良い影響を与えるのであれば、我が国として火星独立を阻止する必要はない」


「まあ、しばらくは静観だな。この後の会合で有益な情報が得られるといいがね」


 日本大使を乗せた地上車は、巧妙に出席者を偽装した火星の小惑星掘削関連会社や木星燃料開発共同事業体の幹部との会合場所へ向かった。

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