車で乗り込むか迷った末
車で乗り込むか迷った末、歩くのも億劫と感じて本来存在しない私道らしき道をセダンが駆ける。やけに整備された一本道で、森林を切り崩す為にどのような工事を斡旋したのか疑問を感じながらも、存在しないものが存在するという矛盾を鑑みるに考えるだけ無駄なような気がした。そもそも、生配信に対してスパチャという投げ銭行為で幾らのお金が、虚空に消えていったのか? その結果、どのような反動が実世界にもたらされるのか? 考え始めたらきりのない命題に溢れている。
古地図と比較しながら、すでに私たちの存在は外界から姿を消してその痕跡すら一般人には追えないはずだ。ほぼほぼ異世界と変わらない。物理法則は正常に作用しているようだから、車が〝空を飛ぶ〟ような突飛な世界ではないだろう、と思考する。
「咀嚼女さまの性質の変化って言ったわね。それって具体的にどういう事なの?」
唐突な伊折の問いに答える余裕を得るためセダンの速度は軒並み落ちていく。マルチタスクで運転できるほど恭个は自分のドライビングテクニックを信頼していなかった。
「そうだね……あれは決まった時間に決まった供物を捧げる形の一種の儀式なわけで、それが廻り巡って小金持ちになるご利益を得る、まあそんな感じの〝システム〟だと思うんだ」
「道理ね。失踪した博和(ひろかず)の残した記事が正しいのならそう考えるのが妥当。ということは、彼が失踪した後に何かしらの変化があった」
「そうなる。そして、どういった経緯を経てそこに至ったかは推し量るしかないけど、とどのつまり、ステーキ肉を奉納するのがルールだったことを類推し、あろうことか人間の肉を供物として差し上げてしまったに違いない」
「人身御供が行われてると……それって明確な目的意識が働いた結果なのかしら? 貴重な財源ともいえる咀嚼女さまの秘儀を汚すような行為を町の人間が望むとも思えない。信仰心がカルト染みているのだもの」
「当然至極、まっとうな考え方だけど……人間どうしたって集団を作るとなると何かしらの思惑は生まれるし働く。そういう生々しい情動こそ人間の持ち味でもあり、反面破滅の元凶なわけで」
「はたから人なんて関わらなければこんなことにはならなかったと言いたいの」
「嫌、どちらかというと無から信仰を作り上げて存在しない神様を仕立て上げる。これってつまり探求心から始まった話だとしても、得られるリソースが思いのほか美味しかったわけじゃない? 独占する派閥なり幹部クラスの人間が選ばれるのは時間の問題だっただろうし、そこに野心めいた下卑た思惑が働かないわけがない。例え実在しない町の中とは言え何か知られるとまずいことが起こることだってある。これぐらいの推測は私たちにだって可能だ。とすると……」
「構想の段階でカルト化することは決まっていたってこと? 流石に穿ち過ぎた見解のようだけど」
「陰謀論だって丁寧に解きほぐせば間接的に事実に触れてるんだ。〝神を作る〟って時点でカルト的だ。狂信的な空気が醸成されていても中にいる人間は気が付きにくい。だから陰謀論は外野で騒がれる憶測なんだ。火のない所に~って枕詞然り、正常な私たちがそう判断したのなら可能性の一つとして妄りに切り離すようなことは出来んだろ」
だからオカルトって嫌いなのよ、と唇を尖らせて以降伊折は口を閉ざした。もう間もなく私道が切れそうな塩梅だ。ここから先が〝本物の虚構〟だ。レギュレーションとしての行動方針ははっきりと定めていなかったが、即適応の才に恵まれた恭个はもともと事なかれ主義。その場その場のアドリブで窮地を乗り越えてきた経験は、短絡的な印象が拭えないもののそういう性分と割り切っていればこそ覚悟は十分に出来ている。
「出たとこ勝負はいつもと変わらないけど、はたして博和氏が存命であればいいのだが……」
樹木に囲まれた一本道を抜けると、そこには予想はしていても目を瞠るような光景が広がっていた。
真っ先に目に飛び込んでくるのはコンドミニアムと称されていた高層建築だ。タワーマンションを四棟ほど繋げて構想された分譲タイプの集合住宅。なるほど、日本風に分譲マンションと言えば、いささか言葉に惑わされる異様さだ。まさに超巨大建築としてコンドミニアムなどという欧米的な表現の方がその規模をイメージはしやすい。
コンドミニアム周辺を埋め尽くすのはアウトレットモールと化した商店の数々だった。町の入り口から見通せるだけでも途方もない規模の面積を誇っている。空間が歪んでいるのか、地図と比較しても圧倒的に現前する世界は大きすぎた。
どれほどの人間が住んでいるかもわからない。虚構に存在する町――否、街と呼んだ方が正しいだろう――に対する認識が甘かった。これではまるで、
「別世界だな」
つい、恭个の口から零れる言葉。状況次第では消滅することも視野に入れていただけに、この規模の街一つが消えることで起こり得る混乱は虚構の街だからといって軽く考えることは出来ない。
思案気な沈黙に耐えかねてジャケットの内から煙草を抜き取ると虚空を〝指〟でぱちんと弾く。一息に吸い込んだ紫煙がどんよりと重たい。
冷静に考えれば如月博和氏ひとりを連れ帰れば依頼は完了するだろう。しかし、性質の変化した咀嚼女さまという偽りの神が果たしてそれを許すだろうか。形成されている街並みは嘘ではない。空間的な広がりに関して考えられる一つの仮定は、生配信中に虚空へ消えていく莫大なスパチャだろうか。私利私欲のメタファーとして闇に呑み込まれて金銭がリソースとなってこの『宇留江』という街を豊かにしている。馬鹿げた話と一笑に付すには圧倒的な現実感が邪魔をする。
「あまり観念的に捉えすぎるのはよくないと思うわ。といっても、この街自体が持つリアリティーがどうにも鼻につくわね」
「伊折から視ればまた違った視点で捉えられる?」
「解らない。ただ、あまりにも現実に肉薄し過ぎているというのも違和感を感じるわ」
「虚構性を欺くあまり、妙に心に落ち着く風景を生み出した、っていうこと」
「あるいは、取り込んだ人間を逃したくないのかも」
なるほど、それも一つの性質なのかもしれない。恭个はひと口ふた口吸ったばかりの煙草をもみ消し携帯灰皿に押し込んだ。
「とりあえず、車は林の中に隠しておこう」
いざという時に機動力はあって然るべき。西日の強くなってきた頃合いにも拘わらず未だそれらしい住民とも遭遇していない今だからこそ、恭个たちが侵入してきた痕跡は可能な限り隠しておきたい。
「あまり、というか住民がまったく姿を見せないのは却って好都合だ。まずは、例のアパートを探しに行こう」
「高層マンションが異様過ぎてアパートなんて想像もできないけどね」
伊折は蝙蝠傘を開いて日差しを遮る。それって意味あるの? 恭个が訊くと、気分の問題、と暑苦しいものでも見る目で言い返す。その冷徹な視線一つで十分恭个の身体は冷えるというもの。わざとらしい「宇留江へようこそ」とレタリングされたアーケードを潜っていく。午後の日差しはきついとはいえ、ここまで閑古鳥が鳴いているのも奇妙だ。あるいは、咀嚼女さまの性質を歪めたがゆえ。
一種の恐怖政治的な体制が敷かれ始めているのかもしれない。
目的のアパートの位置はよく解らなかった。古地図は宇留江を記載していても、この巨大な街の全貌までは記載されていない(比較したとて、スケールがバグっている)。まるで、ゲームの世界、それは言い得て妙だったかもしれない。
「例えば、存在しない街の流通ってどうなってると思う?」
至極真っ当な疑問を伊折は口にした。
「そんなに難しいことはしてないんじゃないかな。アマゾンみたいに様々な商品をまとめた卸売業社を立ち上げてこの街の小売業に回せばいい。ヤクザさんのフロント企業というわけじゃないけど、表向き注文が入れば山梨県内に限り流通を担ってるかもしれない。可能性としてはありでしょ?」
「お金には困っていないようだし、そうね。架空とは少し違うけど、宇留江に食料、日用品、嗜好品を卸す業者を作ることなんて造作もないか」
伊折の思案気な顔を覗いているとどうも魂胆のようなものが見え隠れする。咀嚼女さま問題が解決したらこの街を我が物にでもしようと考えているような、そんな大それた構想が脳裏を過ってそれは空想だと恭个は切って捨てた。
「あとは、運送に関しても中の人間を使えば事足りるのかしらね」
この街の住人の至上目的が涅槃に入るものだったとしても、それ以前に衣食住は確保する必要がある。博和が残した記事がどこまで真に迫ったものか判然としないまでも、街の規模を考えれば即身仏となるまでには時間が掛かるだろう。
咀嚼音が脳を喰らう、とは以前までは至福のときだったか。麻薬めいた脳みそを攪拌される沈むような酩酊感……現在、それに伴う生理反応がどう変化しているか全くわからない。博和捜索が長引けば当然自分たちにも、その咀嚼音を脳に直接流し込まれるに違いない。ぞっとしない瞬間だ。
とはいえ、宇留江という街は巨大である。明確な地理を把握しようにも街の案内図おろか、標識一つ見当たらない。
「……見られてるわね」
伊折が視線を感じると吐き捨てる。それも夥しい数だ。肌感覚で知覚できるほどの好奇の目が注がれている。コンドミニアムに近付くにつれ視線は強くなる。どうやら、宇留江の住人は家から出ようとしないようだ。ある程度、アウトレットモール然とした街並みを辿りながら全く人が絶えていることは既に承知している。何かに怯え、あるいは……。
「この突き刺さるような視線の感触が意味するところは解んないけど、穏やかとは言えなさそうだ」
博和を映した写真を片手に握りしめ、焦りは募る一方。一戸一戸虱潰しにコンドミニアムを回るのは現実的な手段としてあまり得策とは言えない。夜を待たずして撤退できるならそれに越したことはない。
ふっとその時、思い至る。
なぜ思いつかなかったのか、今の今まで愚直に足を使って頼りになりそうな住人なんかを待っていた自分の思考の鈍さを呪う。
「それだ伊折! コンドミニアムがあるじゃない。ちょっと上からこの街の外観だけでも掴んできてくれ」
さも名案を思い付いたとばかりに紙とペンを差し出し満面の笑みで伊折に相対する。
「はっ!? わざわざ私があの高さを上れってわけ?」
「いや、適任でしょ。私が近づけば120%怪しまれる。その点、伊折に関してはその心配は無用」
「その言い方は卑怯じゃない……大体、タワマンほどの住宅が無防備に集合玄関を越えさせてくれるかしら?」
「……フロント玄関付近には必ず警備室か管理人室があるはずだよ。少し物音立てて中の人間をおびき出した隙に正面玄関のカギを盗めば、うん行けるいける!」
釈然としない思い丸出しの伊折の眼力に今回ばかりは気合負けせんとばかり、大仰に囃し立てる。勢いに任せてこの無為な探索行に指標をもたらしたい。少しばかり恭个は疲れ始めていた。
「キスラー・ヴィンヤーズ シャルドネ レ・ノワゼッティエール」
「はっ?」
「キスラー・ヴィンヤーズ シャルドネ レ・ノワゼッティエール」
「いや二回言わなくても……」
シャルドネってつまりワインのことか。はたして、恭个の指示に対する対価として伊折は白ワインの中でも少々お高い(少々で済むわけがない)ボトルを所望のようだ。さらりとした流暢さで長々しい銘柄を上げられても恭个には今一ピンとこない。まるで、異国の言語だ。
「それ幾らするの?」
「キスラー・ヴィンヤーズ シャルドネ レ・ノワゼッティエール」
三度目の正直。呪術的にも三回唱えるというのは重要な意味を持つ。だからといって……「わかった、わかったから。あまり凄まないでくれ。そのシャルドネなんちゃらで手を打つから」
適材適所でしょ、とは口が裂けても言えないのは恭个自身弱みを握られている結果だろう。これは必要経費分として落とせるかしらん。
それを聞いた伊折は蝙蝠傘をくるくる回転させながらコンドミニアムの一棟に向かって歩き始めた。ほんの少し、鼻歌混じりな感は否めないが。やや呆れ、数瞬してから恭个も動き出した。
物流の要、大型の倉庫かコンテナかそれらしい施設を探す。こんなだだっ広い敷地をいつまでも足一本で動いてられるか、と。
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