ガラクタを修理したら、古代文明の機械人形たちを従えることになりました
北川ニキタ
1 虐げられる毎日
じめついた石床の冷たさが、薄っぺらいズボン越しに容赦なく体温を奪っていく。
ボク、ルック・ヴァインライトの食卓は、いつも厨房の隅だった。騒がしい料理人たちの足元で、家畜用の皿によそわれた、残飯とも呼べるものがボクの食事。
「おい、出来損ない。今日のスープだ。ありがたく飲めよ」
コックの一人が、鍋の底に残ったぬるい汁を、わざと手元を滑らせたかのように床にぶちまけた。チャプン、と汚れた音を立てて広がる茶色い水たまり。周囲で立ち働く使用人たちが、クスクスと喉を鳴らして笑う。
「あらあら、もったいない。まあ、この子にはお似合いですね」
「まったくだ。魔力ゼロの庶子なんて、ヴァインライト家の汚点だって主様はおっしゃっていたからね。食べられるだけ感謝しろよ」
誰も、ボクを見ない。彼らはボクという存在を通して、自分たちの鬱憤や不満を吐き出しているだけだ。
これが日常。これがヴァインライト家におけるボクの立ち位置。
貴族の子供なのに、使用人にさえ虐げられている。
父である公爵家はもちろん、正妻である母親も、ボクが視界に入るだけで顔をしかめる。彼らにとって、ボクは過去の過ちを具現化した、忌まわしい染みでしかない。
「……いただきます」
ボクは小さな声で呟き、床にこぼれたスープを手で掬って口に運んだ。砂埃の味がする。でも、これも生きるためには必要なこと。ここで泣いたり喚いたりすれば、次に与えられるのは、蹴りか拳だ。
食事(とは呼べないが)を終え、気配を殺して自室へ戻る。ボクは生きるために、いくつかの技術を独学で身につけた。
人の気配を読み、足音を完全に消す技術だ。今日も完璧なはずだった。
――だというのに。
大理石の廊下を曲がった瞬間、心臓が氷水に浸されたかのように冷たく跳ねた。
「あ、いたいた! ボクのサンドバッグ!」
最悪のタイミングだった。角の向こうから現れたのは、一つ年下の弟、レオとその取り巻きたち。
「おいルック、ちょうどいい。こいつらに、お前の面白い芸を見せてやれよ。ほら、犬の真似とかどうだ?」
レオが勝ち誇った顔で顎をしゃくる。取り巻きたちが下卑た笑みを浮かべた。
ここで抵抗すれば、骨が二、三本は折られるだろう。かといって、言われるがままになれば、彼らはますます調子に乗る。
ボクの思考が、コンマ数秒で最適解を弾き出す。
真正面からの抵抗は愚策。従順は奴らを増長させるだけ。――なら、第三の選択肢を。
「……嫌です」
ボクが静かにそう告げた瞬間、レオの顔が怒りで歪んだ。
「ああん? 出来損ないの分際で、ボクに逆らう気か!」
「ッ!」
レオの拳が、風を切ってボクの頬に叩き込まれた。
ボクは計算通りに衝撃を受け流し、派手に吹き飛ぶ。そして、壁に後頭部を打ち付けたかのように見せかけて、床に崩れ落ちた。
ゴフッ、とわざとらしく咳き込むと同時に、口の中に仕込んでいた小袋を噛み破る。
鉄錆の匂いを放つ、生々しい赤黒い液体が口の端から溢れ出し、床にどす黒い染みを作った。倒れる瞬間に背後で潰したもう一つの袋からも、後頭部の髪を濡らすように『血』が滲み出す。
「う……ぁ……」
ボクは白目を剥き、手足を小刻みに震わせた。完璧な演技だ。
「お、おい、レオ……こいつ、動かねぇぞ」
「後頭部から血が……! まさか、死んじまったんじゃ……!?」
取り巻きたちの顔から、サッと血の気が引いていく。
レオも、想定外の事態に顔を真っ青にさせていた。
「なっ……オ、オレは……軽く殴っただけだ! こいつが勝手に倒れて、頭を打ったんだ!」
その声は滑稽なほどに裏返っている。
「そうだ、オレは知らねぇ! 見てない! いいな、お前らもだぞ!」
レオはそう叫ぶと、蜘蛛の子を散らすように取り巻きたちと逃げ去っていった。
遠ざかる足音が完全に聞こえなくなるのを待って、ボクはゆっくりと身を起こした。
「……ふぅ。ちょっとやりすぎたかな」
頬がジンジンと痛む。けれど、骨には異常ない。
口の中から噛み破った小さな皮袋を吐き出す。屠殺場で分けてもらった豚の血を、魚の浮袋に詰めて乾燥させた特製品だ。
「痛みは最小限。効果は最大限。今日も上出来だ」
ボクは冷静に呟き、何事もなかったかのように立ち上がった。
辛い毎日だ。どこにも居場所なんてない。
でも、ボクは前向きだ。だって、こんな毎日だからこそ手に入れた宝物がある。
物置同然の自室に戻り、軋むベッドの下に隠した革鞄を引きずり出す。
中には、使い古されて錆の浮いた工具と、保存食の干し肉、そして何冊もの分厚いノート。
誰にも見つからないように窓から抜け出し、ボクは秘密の場所へと向かった。
◆
公爵家の広大な領地は、手入れの行き届いた庭園を抜けると、鬱蒼とした森へと続いている。
使用人たちは「お化けが出る」と噂し、誰も近づこうとしない禁域。
もちろん、そんなものはただの迷信だ。ボクがこの五年、毎日通い詰めて一度も出くわしたことはない。
苔むした獣道を進み、茨の茂みを抜け、巨大な岩壁に穿たれた裂け目に身を滑り込ませる。
ひんやりとした空気が肌を撫でた。
ここが、ボクだけの聖域。ボクだけの城。
――五年前、レオの執拗ないじめから逃げて、死に物狂いで森を駆け回っていた時に偶然見つけた場所。
【超古代文明の遺跡】。
裂け目の先には、巨大な空洞が広がっていた。天井からは淡い光を放つ苔が垂れ下がり、幻想的な光景を作り出している。
そして、その中央に鎮座するのは、この世界の建築様式とはまったく異なる、金属とガラスで構成された巨大な構造物。まるで、天を衝く塔が根元から折れて突き刺さったかのようだ。
その内部に足を踏み入れると、そこはガラクタの山だった。
用途不明の機械、バラバラになった部品、謎の言語が刻まれた金属板。
初めてここを見つけた時、ボクは天啓を受けたかのように感じた。
――これを、動かしてみたい。
理由はわからない。ただ、どうしようもなく心が惹かれたのだ。
それからの五年間、ボクの人生はこのガラクタいじりのためにあった。
屋敷の書庫で偶然みつけた解読不能な古文書を盗み見て、独学で古代文字を学んだ。捨てられた魔道具を分解して、機械の構造を研究した。街に抜け出しては鍛冶職人に頭を下げ、金属加工の初歩を教えてもらった。
すべてが、この瞬間のため。
ベッドの下から持ってきた革鞄を開き、中から分厚いノートを取り出す。
ぎっしりと書き込まれた文字や図形は、五年間のボクの努力の結晶だ。
「よし、昨日の続きを始めよう」
ボクは工房と決めた一角へ向かう。そこには、ここ数ヶ月、ボクが心血を注いでいる一体のガラクタが横たわっていた。
全長はボクの膝くらいまで。蜘蛛のような六本の脚に、サソリのような多関節の尻尾。頭部には単眼のレンズが埋め込まれ、両腕は鋭いカマの形をしている。
銀色の装甲は所々剥がれ落ち、内部の配線が剥き出しになっていた。
初めて見た時は、その不気味な見た目に少しだけ怖気づいたのを覚えている。だけど、今は違う。この無機質な塊が、愛おしくさえあった。
「この導管を繋げば……うまくいくはず」
ノートに描いた複雑な紋様と現物を見比べ、慎重に配線を繋ぎ合わせていく。
ピンセットで細いコードを掴み、光を編み込んだかのような極細の繊維をつまみ上げる。指先が微かに震えた。
どうして、ボクはこんなことをしているんだろう。
ふと、そんな疑問が頭をよぎる。
屋敷での仕打ちは、日に日に酷くなっている。父にも、兄にも、弟にも、誰にも認められない。魔力ゼロの出来損ない。それがボクの評価だ。
こんなガラクタを動かせたところで、何かが変わるわけじゃない。
それでも。
それでも、ボクはこの手が、自分の力で何かを成し遂げられると証明したかった。
誰のためでもない。ボク自身のために。
「……よし」
最後の光繊維を、装甲に刻まれた紋様の結節点へと慎重に繋ぎ合わせる。
残すは、胸部にある窪みに、昨日ようやく修復を終えた水晶のようなコアパーツをはめ込むだけ。
ごくり、と喉が鳴る。
今まで何度も失敗してきた。繋いだ紋様が焼き切れたことも、異音を立てて完全に沈黙したこともあった。
でも、今日の手応えは、今までとは何かが違う。
確信があった。
ボクは祈るような気持ちで、コアパーツをゆっくりと窪みにはめ込んだ。
カチリ、と小さな音が響く。
その瞬間だった。
――ブゥゥゥゥン……。
地を這うような、低い駆動音が遺跡に響き渡る。
ガラクタの表面を走る紋様が、陽だまりのような、温かなオレンジ色の光を放ち始めた。
単眼のレンズが、まるで夜明けの星のように、柔らかな翠色の光を灯した。
「う、動いた……?」
ボクは息を呑んだ。
信じられない光景に、心臓が早鐘を打つ。
五年間、毎日毎日、ただの一度も反応を示さなかった鉄の塊が、今、ボクの目の前で生命の光を宿している。
ギ、ギギ……。
軋むような音を立てて、六本の脚がゆっくりと持ち上がる。
不気味だと思っていたサソリのような尻尾が、まるで子犬のように、ぱた、ぱたと左右に揺れた。
翠色に光る単眼が、きょろきょろと不思議そうに周囲を見渡す。
そして、ボクの姿を捉えた。
ピタリ、とレンズが焦点を合わせる。
その小さな機械仕掛けの蜘蛛とサソリのキメラは、少しだけ首を傾げるような仕草を見せた。
「きゅい?」
鈴を転がすような、可愛らしい電子音が響く。
その姿はまるで、生まれたばかりの雛鳥が初めて親を見たかのようだった。
「……本当に、動いたんだ……」
ボクが呆然と呟くと、機械の蜘蛛はトコトコと小さな足音を立てて駆け寄ってきた。
そして、ボクの足元でぴたりと止まると、その頭をズボンの裾にすり、とこすりつけてきたのだ。
「きゅい、きゅい」
甘えるような、愛らしい鳴き声。
単眼のレンズが、嬉しそうに翠色の光をまたたかせている。
尻尾の動きは、さらに激しくなっていた。
嘘だろ。
驚きと、困惑と、そして今まで感じたことのない温かい感情が、胸の奥から一気に込み上げてくる。
涙腺が、決壊した。
「……う……ぁ……」
ボロボロと、大粒の涙が頬を伝って流れ落ちる。
拭うことさえ忘れて、ボクはただ、足元にすり寄ってくる小さな機械生命体を見つめていた。
ずっと一人だった。
誰にも必要とされず、汚点だと罵られ、存在を否定され続けてきた。
それが当たり前の日常だった。
なのに。
今、目の前にいるこの子は、全身で好意を示してくれている。
ボクが、この手で命を吹き込んだ、たったひとつの宝物。
ボクだけの、味方。
「……そっか……。君は、ボクが作ったんだもんな……」
しゃがみ込んで、恐る恐るその頭に手を伸ばす。
ひんやりとした金属の感触。でも、不思議と冷たくは感じなかった。
撫でてやると、機械の蜘蛛は「きゅるるるっ」と嬉しそうな声をあげ、もっと強くとねだるように頭を押し付けてくる。
ボクは、笑っていた。
涙でぐしゃぐしゃの顔だったけど、心の底から笑っていた。
五年間、辛いことも、苦しいことも、全部この子のために乗り越えてきた。
そして、その努力は、最高の形で報われたのだ。
「君に、名前をつけなくちゃな」
ボクはそう呟いて、少しだけ考えた。
どんな名前がいいだろう。
瓦礫の山から見つけた、壊れた機械だから……。
「そうだ……君の名前は『フラグメント』だ」
ボクがそう呼びかけると、その子は「きゅい!」とひときわ高く、嬉しそうな鳴き声をあげた。まるで、その名前を心から喜んでいるかのように。
「よろしくな、フラグメント」
この日、この瞬間、ルック・ヴァインライトの孤独な世界は、終わりを告げた。
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