第18話 動き

 そして翌日。


「終わりましたよ。【火球ファイアーボール】の研究」


「お、おう。今回も早いな……」


 あ、あれ。

 アンドレアってサボり魔キャラだった気がするんだが。

 

「その顔、何を考えているか丸わかりですが……。単純な話ですよ。さっさと仕事を終わらせた方が心置きなくサボれるようになる。だから今頑張っているのです。言うなれば、将来のサボりへの投資です」


「そんなもんか……」


 仕事を終わらせた後のサボりとはサボりと言えるのだろうか。

 我々はサボタージュの意味を最初から向き合うべきかもしれない。


「さて、今度は誰がこの魔術を使うかですが」


 アンドレアはそう言うと、三人の魔族を選んだ。

 偶然にも、全員が成人した男性だった。


 そしてもう一人選ばれた魔族がいた。

 

「あ、ありがとうございます! アンドレアさま!」


 リンツェだ。

 彼女は昨日見た暗い表情が嘘のように、きらきらとした顔だった。

 

「礼は結構です。それよりも復唱してください。『炎の玉となりて、かの敵を燃やし尽くさん――【火球ファイアーボール】』」


 魔族たちはアンドレアに続いて【火球ファイアーボール】を復唱する。

 すると、彼らの右手から小さくはあるが炎の玉が浮かび上がり、アンドレアが召喚した的役の骸骨スケルトンに直撃した。

 骸骨スケルトンは抵抗することなく炎の玉を一身に受け、灰となり消えていった。


 骸骨スケルトン……なんと哀れな……。


「おぉ! 俺にも魔術が使えたぞ!」


「俺にこんな力があったとは……!」


 【火球ファイアーボール】を使えた魔族たちはウキウキの様子で喜びを分かち合っている。

 少し前までの絶望一色の表情からは考えられないほど明るい雰囲気だ。

 

「まぁ、あんな魔術じゃ妖鬼トロルは倒せねえけどな」


 そう言いながらこちらに近寄ってくるヴィルヘルミーネ。

 

「そうだな。【火球ファイアーボール】は最下級の攻撃魔術。元々の魔力が低いであろう彼らが使っても、せいぜい小鬼ゴブリンを半殺しにするのが精々か」


 ミレナリズムにおいて魔術で与えるダメージは、そのユニットの魔力と魔術の威力の合算で求められる。


 ユニットの魔力は彼らの健康度で左右されることも多いし、【火球ファイアーボール】の威力は全攻撃魔術で最低だ。

 

 【火球ファイアーボール】が使えたからと言って実戦に投入できるわけではないが……彼らが攻撃魔術を習得できると言う事実自体が大きな収穫だろう。


「あ、あれ……?」


「ん?」


 キャッキャッと野郎のくせに高い声で喜んでいる魔族たちの横で、リンツェは困惑の目で自分の右手を見つめていた。


「どうした、リンツェ」


「それが、詠唱を唱えた瞬間、なにか……変な感じだったんです」


「変な感じ……? もう一度唱えてくれるか?」


「わ、分かりました」


 リンツェは眉を下げながらも、右手を骸骨スケルトンに突き出し口を開く。


「『炎の玉となりて、かの敵を』――くぅっ!?」


「リンツェ!?」


 リンツェは不自然な場所で詠唱を止めると、自分の右腕を苦しそうに掴んだ。

 彼女は何かに耐えているかのように苦悶の表情を浮かべ、顔には尋常じゃない量の汗が流れている。


「ど、どうした!」


「そ、それが……。詠唱を唱えている途中、体の中からなにかが飛び出すような……体でなにかが暴れているような感覚が……」


「なんだそれは……。苦しいようなら、止めても」


「いえ! そ、それは駄目です、もう一度やらせてください……!」


 だが、リンツェは顔に浮かぶ汗を雑に拭くと、もう一度右手を骸骨スケルトンに向ける。


「『炎の玉となりて』――ぅ!」


 しかし、先ほどよりも早く詠唱を途切れさせてしまう。

 彼女は先ほどよりも多い汗を流しながら、苦しそうに体をくねらせている。


「ふむ……」


 それを見るアンドレアは冷静だった。

 彼女はまるでこうなることが分かっていたかのように、静かにリンツェを見つめている。

 いや、観察していると言った方がいいだろうか。


「も、もしかして私にはこの魔術にも適性はないのでしょうか……」


「いえ、貴方には適性があります。適性があるからといって、最初から魔術を習得できるわけではありません。続けてください」


「わ、分かりました!」


 リンツェはアンドレアの言葉でなぜか笑顔になると、もう一度【火球ファイアーボール】を発動させようとしていた。

 しかし、彼女の顔は病的なまでに白くなっており、体も震えている。


 ……さすがにこれ以上は耐えられない。


「いや、ここで終わりだ」


「……え?」


 リンツェがゆっくりとこちらを振り返る。

 目が大きく開き、口もぽかんと空いたまま。

 まるで何を言われたか分からないようだった。


「ヴァ、ヴァルターさま!? 一体なにを――」


「君のその様子を見る限り、これ以上続けさせるわけにはいかない」


「わ、私なら大丈夫です! だから続けさせてください!」


 リンツェは必死な様子で頭を下げる。

 だが、俺は首を縦に振ることはできなかった。


「……いいやだめだ。元々俺は君たちに魔物と戦わせることはしたくない。そして、君を苦しませることも本意ではないんだ」


「苦しむだなんて、私はそんなこと――っ!? ゲホッ、ゲホッ!」


 突然せき込みだしたリンツェの顔は見るだけでこっちが辛くなるほど苦しそうで、地面にぽたぽたと垂れるほど大量の汗を流している。

 

 俺が魔皇帝となったのは、俺を必要としてくれた彼女たちを守り、幸せに生きて欲しいから。

 これ以上は……いや、正直今でも俺の心は大分と穏やかではない。


「リンツェ。君はまだ若い。君がここまで必死になにかをしようとしなくていいんだ」


「っ! ヴァルターさま! 私は、族長として――」


「――失礼します」


「うぉっ!」


 胸に手をあて、必死になにか主張をしようとしていたリンツェの隣に、いきなり姿を現したのが一人。

  

 先ほどまでなにもなかった空間に突如現れるなんて芸当ができるのはこいつくらいだろう。

 

「ク、クラウディアか」


「はっ、我が主」


 静かに配下のポーズをとるクラウディアに、先ほどまで声を荒げていたリンツェすらぽかんとした表情をつくっていた。


「なにかあったのか?」


「はっ。この森に棲まう魔物たちに動きがありました」


「魔物たち?」


妖鬼トロルたちです」


「あぁ……」


 そういえばこの森――イェガランス大森林には妖鬼トロルが大量に棲息してるんだっけか。


 妖鬼トロルの戦闘力は大体50程度。

 俺やヴィルヘルミーネを擁するグリントリンゲン魔帝国からしたらRPG終盤のステータスを持つ勇者に挑むスライムのような存在だが、普通の国にとっては中々厄介な魔物だ。


「それで動きとは?」


「はっ。妖鬼将軍トロルジェネラルを筆頭とした妖鬼トロルの軍勢が、この森から外へと向かっているようです」


「森の外? 一体どこへ?」


「はっきりとは分かりませんが、彼らの進路はここより北東……。そこには人族の村があります」


「人族の村?」


 思わず首を傾げると、ふと一人の魔族と目が合った。

 やけに顔が濃い主人公みたいな奴だ。……そろそろ名前教えてもらおうかな。


「こ、ここより北東の人族の村でしたら、シリース神聖王国の村で間違いないかと」


「なるほど、魔物による侵攻か」


 妖鬼将軍トロルジェネラルか。

 ミレナリズムでも中々厄介な魔物の一人……というか将軍ジェネラル種の魔物って大体厄介なんだけどな。


「その村にはどれくらいの戦力があるんだ?」


「魔法を使える者が数名いましたが、それだけでした」


「そうか。……というか俺ってお前にこの森の調査しか任せてなかったよな? なんで知ってるんだ?」


「この森を調査する際、近くの村もいくつか調べました」


「そ、そうか。ありがとうな」


 これが自分で考えて動ける有能な社員か。

 俺にはついぞできなかったことだな、はは。


「しかしその話が本当なら、村はあっという間に壊滅するだろうな」


「そこで、私に考えがございます」


「ほう?」


 クラウディアは相変わらず俯いたまま、淡々と言葉を紡ぐ。


妖鬼将軍トロルジェネラルらがその村を襲った後、我々が奴らを屠れば村の物資を奪えます。今我々にはあまり余裕がありません。容易に腹を満たせる良い手段かと」


 魔物が村を襲えば、戦えない村人たちは逃げるだろう。

 そして村を占拠した魔物たちを倒せば、俺たちは漁夫の利を得ることができる。


 クラウディアが言っているのはそういうことだ。


「…………。ヴィルヘルミーネ、アンドレア。お前たちはどう思う?」


 少し前からこちらに集まっていた二人に声をかける。

 二人の魔王は突然の質問にもさらりと返した。


「まぁいい案だと思うぜ。妖鬼将軍トロルジェネラルだったらそこまで退屈な戦いにならないだろうしな」


「楽で効率的、いいと思いますよ。あ、私はぜひ留守番役でお願いしますね。わざわざ辺鄙な村に行くとか面倒なので」


「……なるほどな。確かに悪くない案だろう。だが、俺は正直反対だ」


「……」


 俺の言葉に、クラウディアは動揺しない。

 ただ静かな水面のようにたたずみ、俺の言葉を待っている。


「理由は二つ。一つ、現在我々魔族たちはこの世界のほとんどの人間から疎まれ、迫害されているという現状だ」


「あぁ、あの聖騎士とかいうやつが言ってたな。それがどうしたんだ?」


「我らはここに国を興した。そうなれば他国と上手く渡り合っていく必要がある」


「なんだ。そんなことなら簡単だろ? 邪魔な敵はぶっ殺す。オレたちはいつもそうしてきたじゃねえか!」


 カラカラと笑うヴィルヘルミーネ。

 クラウディアとアンドレアは何も言わないが、ヴィルヘルミーネの言葉を否定しない。


 ……まぁ、確かに俺のミレナリズムでのプレイスタイルはさっさと戦争して敵を弱体化、並びに滅亡させること。

 それがヴィルヘルミーネを重用する俺のスタイルに合っていたし、何より分かりやすかった。


 だけどなぁ。


「確かにそうだが、我らはこの世界に関してまだほとんど分かっていない。そういう状況で全方位に喧嘩を売る外交スタイルは中々難しいだろう」


「はぁ、それならどうするんです? この件に関してノータッチですか? それとも、その人族の村を救うとでも」


「ああ、救う」


「はぇ?」


 素っ頓狂な声を出すアンドレア。 

 だが、ヴィルヘルミーネも他の魔族たちも目を見開き驚きを十分にアピールしていた。


 唯一変わらなかったのはクラウディアだったが、彼女の目も、ちょっとだけ本当にちょっとだけいつもより開いていた。


「私たちが、人族を救うんですか?」


 一人の魔族が困惑のこもった声でそう言った。

 

 無理もないだろう。

 彼ら魔族は人族に迫害されてきた。

 自分たちを傷つけてきた人間を助けろと言われれば、まずは困惑が勝つだろう。


「そうだ」


 だが、俺はそう返す。

 これこそが、俺たちの今できる最善なのだ。


「ここで我々が人族の村を見殺し、妖鬼トロルたちを追い払い物資を奪ったところで、『ほら見ろ。やはり魔族は血も涙もない穢れた種族なのだ』と言われるのは想像に難くない。だからこそ、ここで人族を救い我々の印象を良くする。そうすれば今後の外交が円滑に進む……かもしれない」


 魔族たちは顔を見合わせる。

 俺の言葉に賛同するのか否定するのか困っている様子だ。


「つまり、我々の地に落ちた……いえ地中に潜っている好感度を上げるためのイメージアップをすると?」


 アンドレアの要約に、俺は首を縦に振った。


「そう言うことだ」


「ふむ……。まぁ、長期的なことを考えるならそれもいいかもしれません。もし村を救ったと言う事実が広がれば今よりは印象が良くなるかもしれませんし、シリース神聖王国以外の国については詳しく知りませんが、彼らと敵対する国との関係も良好な状態から始められるかもしれませんしね」


「オレはヴァルター様の言葉に従うのみだ。それに、結局妖鬼将軍トロルジェネラルをぶん殴れるのは一緒だからな」


「御意のままに、我が主」


 魔王たちの承諾はとれた。

 あとは魔族たちなんだが……。


「さ、流石ですヴァルターさま、まさかそこまで深いお考えがあったとは!」


「ヴァルター様を襲った者と同じ人族を救うとは……なんて慈悲深いのでしょうか」


「えぇ……」


 なんでこいつらは瞳キラキラにしてるの?

 結構下心ある発想だったよな。


「我が主、二つ目の理由とは?」


「え? う~ん……まぁ大した理由じゃない」


(助けられた人間を見捨て得られたもので自分を満たすのは嫌だ……なんていうのはこの世界ではちょっと甘っちょろい考えかもしれないな)


「それでヴァルター様! いつ出発する? オレは準備万端だぜ!」


 まるで遊園地に行く前の男児のような笑顔のヴィルヘルミーネだったが、ここで残念なお知らせだ。


「すまない。今回は我とクラウディアで行く」


「えええええええ!」


 あんぐりと口を開くヴィルヘルミーネ。

 ガシャンと音を立て、彼女のハルバードが地面に落ちた。


「どうしてだよヴァルター様!」


「……クラウディア。聞くが妖鬼王トロルキングはどこにいる?」


「はっ。妖鬼王トロルキングはこの森に留まっている様子です」


「そういうことだ、ヴィルヘルミーネ。妖鬼王トロルキングがこの森に残っている以上、彼らを守る人間が必要なんだよ」


 キング種の魔物は高い戦闘力を持つ。

 それは小鬼ゴブリンでもそうで、最弱の小鬼ゴブリンでも小鬼王ゴブリンキングとなれば油断すれば……いや、油断しなくてもあっさりゲームオーバーになることも少なくない。


「ちぇっ、了解だヴァルター様。ここにいるやつらはオレが守るさ」


「すまないな、ヴィルヘルミーネ。さて、早速だがクラウディア。その村への案内を――」


「お、お待ちください!」


 ビシッと手を上げる者が一人。

 リンツェだ。

 

 先ほどまで暗い顔で俯いて黙り込んでいたが、突然どうしたのだろうか。


「わ、私も連れて行ってくださいませんか?」


「き、君をか? なぜ?」


「魔族の印象をよくするということでしたら、村を救う魔族は一人でも多い方がいいと思うんです! だから私も同行します」


 そう言ってこぶしを突き上げるリンツェの顔には、どこか焦燥感のような感情がうかがえた。

 確かに、リンツェにも一理あるかもしれないが……。


「それはだめだ、リンツェ。相手は妖鬼将軍トロルジェネラル。戦えない者を連れて行くのは危険だ」


「だ、大丈夫です! さっきは失敗しちゃいましたが、今ならできると思うんです!」


「……だめだ。君を危ない目に遭わせるわけにはいかない。ここにいてくれ」


「…………はい」


「よし、それではクラウディア。案内を頼む」


「御意に、我が主」


 ◇


「さて、じゃあオレたちはいつもの仕事を始めるか。……おいこら、どこ行こうとしてんだアンドレア」


「はぁ……。せっかくサボれると思ったのですが」


「サボれるわけねえだろ。あ、骸骨スケルトン何匹かを周囲の警戒に当たらせてくれ。魔物の接近に気付けねえとあぶねえからな」


「なぜ私の仕事が増えているんですか……」


 魔族たちは賑やかで頼もしい魔王のやり取りを耳にしながら、作業を始める。

 体が動けるようになったものは骸骨スケルトンに混じり自分たちの家の建設や畑の開墾。

 まだ健康状態が悪い者たちは体を休めながら自分たちにできることを。


 全員が自分たちを救ってくれたヴァルターに報いるため、自分の仕事に集中していた。

 だから、気付けなかったのだ。


「私は、私は魔族の役に立てないと……」


 そう呟きながら、うつろな表情のリンツェは森の奥へと消えていった。

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