第6話『矛盾』
私は花園の話を聞いて、心を抉られるようだった。
それは帰りの電車の中でのことだった。
「まったく、酷い目に遭った」
座席に腰を落とすや否やそう切り出した花園を見て、やはりこいつも兜に拒否されたかと息を吐いた。
「その感じを見ると、花園さんもだいぶやられたみたいだね」
結城が卑しく笑った。私は、そうじゃない、追い返されたんだと心の中で言い返した。
しかし、結果は違っていた。
「まったく、その通りなんだ」
花園が結城に答えた。目頭を摘まんでいる。私は盛っていると思った。かつての私のように、きっと追い返されたのが恥ずかしくて言い出せないのだろう。私はなるべく花園を傷つけないよう、質問をしてみた。
「昨日はよく眠れたか? 」
すると花園は、驚いたように私を見た。その後の回答が、私の予想と違っていた。
「眠れた? 眠れるわけがないだろう。一晩中賭け事をやっていたのだぞ? あの女の体力と集中力と言ったら、尊敬に値するよ。まったく歯が立たないどころか、時間が経つにつれどんどん強くなっていくんだ。まさに骨の髄までしゃぶり取られる、そんな気分だったよ」
花園に、私は言葉を返せなかった。兜が花園を受け入れた? 花園だって、私と同じ十六だ。花園は確かに顔立ちがはっきりしていて年上に見えなくもない。しかし、だからと言って。
私は花園の横顔を見つめるしかなかった。くっきりした二重、高い鼻。どこか日本人離れした花園の顔は、そんなに私と違う物だろうか? 確かに私は目が無意味に大きく、鼻ぺちゃで、事実子供じみた顔をしている。それは認める。しかし、私と花園の間にそれほど違いがあるだろうか? 普段の立ち居振る舞いだけを見ると、私の方が年上のように見えるだろう。それは仲間たちからよく言われる。私と花園は見た目と中身がアベコベなのだと。兜は花園を認めたのだ。
それから、結城と花園は何かを喧しく話し始めた。恐らく兜についてだろう。しかし私の耳には一言も入ってこなかった。
私の頭の中は再び兜のことでいっぱいになった。私ではなく、花園を選んだ兜のことについて。見た目では確かに花園は大人に見えるだろう。しかし話して見て、言動を見て、年齢に気がつかなかったのだろうか? それとも、気がついたけれど一度招いてしまった相手だ。自分の非を認めたくなかったのだろうか。心臓が激しく脈打った。
「鷹藤さん」
「あ? 」
結城から呼ばれ、私はどきりとそちらを向いた。結城の小さな目が、心配そうに私を見つめていた。
「大丈夫です? 先程からぼんやりされておりますが」
「ああ、平気だ」
急いで答えた。
「本当か? 」
花園も眉間に皺を寄せている。私は花園と目を合わせられなかった。
「飲み過ぎて疲れているんだ。心配しなくていい」
私が答えると、結城も花園も納得した様子で頷いた。
「何だ。てっきり、娼婦に変な病でも移されたと思ったじゃないか」
そう笑い飛ばした花園に、私は「白梅はそんな女ではない」と反論したかったが、微笑んで俯いただけだった。遊女の肩を持っていると思われたくなかったのだ。
「残念ながら寝てない」
私は言った。すると花園は驚いた様子で目を大きく開いた。
「寝てない? あんなとこ行っといてか? 」
「白梅でしょう」
結城が言った。
「白梅? 」
「あの店一の高級遊女なんだ。彼女は初見の客とは寝ないのだよ」
なるほど。花園は唇に指を当てた。イライラするほどいい男だ。私は花園の横顔を睨んだ。私の視線に気がついたのか、花園も私を向いた。純粋な、穢れを知らない瞳をしている。
「で、どうだった。その高級遊女というのは。良かったか? 」
「ああ、まあな」
私は目を伏せて答えた。
「美人だった。話も上手いし、礼儀も、いい。完璧に近い女だったよ」
「そうか」
花園はどこか嬉しそうに頷くと、結城の方を向き、また二人で話を始めた。白梅のことを話しているようだったが、私は加わらなかった。とにかく人と話したい気分じゃなかったのだ。できれば今すぐにでも電車を降りて、ひとり歩いて帰りたい気持ちだった。
私の頭の中はずっと同じ疑問が回っていた。兜はどうして私ではいけなくて花園は許したのだろうか? 私だけ拒否された。
おまけに。
私は向かいの窓を見た。電車は酷くゆったり街を走っているように感じた。
あの店に行って、私は一度だって女を抱けていない。
次行った時には白梅は抱かせてくれるだろうか? 私は白梅の姿を思い出した。美しく、繊細な白梅。彼女が誰かに抱かれている姿を、ましては自分が抱いている姿など想像できなかった。布団の中の白梅はどんな表情をするのだろうか。どんな会話をするのだろうか。抱かれていても白梅は美しいだろうか。彼女の裸は。私は目を閉じ、白梅の裸体を想像してみた。想像の中の白梅は、ぞっとするほど美しく、触れたら消えてしまいそうなか細さをしていた。白梅は普段どんな客に抱かれているのだろうか。彼女を抱く男を、私はぶん殴ってやりたくなった。遊女が天職だと言った、あの純粋で繊細な女を汚されたような気がしたのだ。
なら兜は? 私は続いて、兜の体を思い浮かべようとしてみた。しかし何をどうやっても、脳裏に浮かんでくるのは眉間に皺を寄せた兜の顔だけで、あの女が従順に男に抱かれている姿は想像できなかった。それどころか、兜の裸さえ思い描くことができなかった。裸が無い女なのかも知れない。少なくとも、私は兜を抱くどころか近づくことさえできていない。花園は一晩を共にしたのだ。それなのに。
最寄りの駅に着き、私は結城たちと別れた。結城は私に近くの喫茶店で一服しないかと誘ってくれたが、私は一刻でも早く一人になりたかったのだ。
家への道を歩きながら、私はこの世に居ない雰囲気になっていた。地面をじっと睨み付けながら、とろとろと、亡霊のように足を動かしていた。恐らく私を知る何人かが私を振り返り、声を掛けただろう。しかし私には一切聞こえなかった。私の脳内は完全にあの店に憑りつかれていた。兜の顔と、裸の白梅が交互に浮かんできては、交じり合っていった。家に辿り着く頃には、白梅の体に兜の顔がついていた。それはことごとく不釣り合いで、押したら首が転げ落ちてしまいそうだった。
「お帰りなさいませ」
使用人が私の帰宅を出迎えた。八代という名の、中年の男である。目尻が垂れ下がり、年齢の割には老けて見える。苦労しているのだ。この屋敷で。人間関係や面倒事に揉まれ、それでも穏やかな態度を崩さない。偉大な男だ。そして可哀想な男だ。自分のものではない家族の色々に巻き込まれて。
私は兜の下男を思い出した。表では卑屈な笑顔を見せていたあの男は、主人が背を向けた隙に心の内を吐露する。八代も同じなのだろうか? それなら私はほっとする。家に帰ってまでこうして良い顔をしているようなら、この男があまりにも憐れすぎる。
「ただいま」私は八代に笑い掛けた。「お父様は? 」
「旦那様ならお出掛けになられました」
「こんな朝早くから。珍しいね」
私が言うと、八代は「古くからのご友人と会われるようです」と返した。
「古くからの友人」
私は言葉を繰り返した。古くからの友人。父には何人かそういう友達が居た。どの友人も父と似て口数が少なく静かな人間たちだ。父は定期的に、その友人たちと集まっていた。ある時は我が家の応接間で、ある時はその友人の誰かの家に集まって、煙草を吸いながらぽつぽつと話をする。昨今の政治のあり方や、気にすべき世間の流れであったり、かと思えばおすすめのレストランや観光地の話など、とにかく色々な話を、口数少なく一日かけて話すのだ。
私はその集まりを不思議に見ていた。まず、この寡黙な人間たちの、誰がこの集まりを主催しているのだろうかというところ。お世辞にも人をまとめられそうな人たちではない。そして喜んで集まりそうな感じでもない。内向的な人たちなのだ。それでも月に一度は集まっていた。よく話題が尽きないものだ。
それを言うなら、気鋭倶楽部もそうか、と私は考えた。学校がある日はほとんど毎日集まり、学校や家や近所で起きた醜聞からどうにもならないつまらない話をしている。良く毎日話題が尽きないものだ。遊郭の話から、最近は私ではなく結城が倶楽部の中心にいるように感じる。みんなより一足早い遊びを知っている結城を尊敬しているのだろう。いつも机の端っこで我々の会話に茶々を入れていただけの結城が、今では人々の真ん中で堂々と話の主軸を握っている。あの小太りの結城なんかが。
結城は私に遊郭を教えた。結城は白梅と仲が良い。恐らく、何回かは寝ているだろう。私は劣っている。私の最近の焦りは、そういうところからも来ているのかも知れない。
「何かお飲みになられますか? 」
八代が私に聞いた。私は首を振った。
「いや、部屋に戻るよ。ありがとう」
「かしこまりました」
八代は頭を下げると、私が階段を上っていなくなってしまうまでずっとそこで私を見つめていた。
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