第4話『夢想』
横長な目、低い鼻、薄い唇。頬に特徴的なほくろがある。整っているかと言われれば頷けない。しかし、一度見たら、会ったら忘れられない、存在感のある人間、それが兜と言う女だった。
時間が経てば忘れることだと思っていた兜の顔は、一週間が過ぎた後でも強く私の脳内にこびりついていた。それは、そこまでに兜の印象が強烈だったというのもあるが、倶楽部の連中が兜について私にしつこく聞きたがっていたからというのが一番の要因だった。特に、結城は兜について興味津々だった。
「だから、あまり話さなかったと言っているだろう」
「でも賭けはしたんでしょう? 」
「まあな」
私は曖昧に返事し、煙草の煙を宙へ放った。
私は未だに、兜に相手にされなかったことを、倶楽部の連中に話せずにいた。私のプライドが許さなかったのだ。私は今までの人生で、誰かに拒否されたことなど無かった。むしろ、拒否される人間を軽蔑さえしていた。拒否されるのはそいつの能力が低いからだ、とか、性格に難があるから拒否されるのだ、とか、拒否された人間を見ては、自分はああはならないようにしよう、否、自分はああなる訳がないと、鼻で笑っていた。
今回拒否された理由が年齢であって、私の落ち度はそこでしかないはずなのに、何故か私は、私自身を否定されたような気持ちになっていた。素直に年齢で弾かれたと言えばいいことなのに、私は私の首を絞めていた。
「鷹藤さん、彼女の話になると急に寡黙になりますねえ。何かあったんですか? 」
結城は私の顔を覗き込むと、にやりと口角を上げた。私が目を背けると、「あ、分かった! 」手を打ち鳴らした。私はぎくりとして結城の小さな一重を睨んだ。
「彼女に負けたのが悔しかったんですね。きっとそうでしょう? いいんですよ、恥じなくて。なんたって彼女は賭け事に関して天賦の才があるんですからねえ。鷹藤さんが恥じることなんて無いんです」
「あ? ああ」
憶測に、私は表情を崩さないままでほっと胸を撫でおろした。
兜について、興味を示した人間がもうひとりいた。当日、家に監禁されていた花園だ。
「兜はどんな女だった? 美人か? それとも不器量か? 」
「お世辞にも美人とは言えない。だが、不器量かと言われればそうでもない。普通の顔立ちだったよ」
「どんな女だった」
「抽象的な質問だな。そうだな。行儀がなってなかったよ。そういうのが下級遊女だと言われればお終いだが、他の遊女の教育はしっかり行っているように見えたから驚いた」
「賭けはどのくらい強かった? 」
「そこそこだな。噂に聞くほど読みが強いという訳でも、魔女のように欲しい手札が寄って来るという訳でもなさそうだった」
「でも鷹藤さん、負けたんじゃないですかあ」
結城が私たちの会話に横やりを入れた。私はギョッとした気持ちになりながら、「あと数回やっていたら勝てた」と法螺を吹いた。相手にもされなかったのに。
「とにかく、おすすめできる女じゃない」
私は投げやりに言って、話を終わらせようとした。だが、花園がそれを許さなかった。
「俺も今度行ってみたい」
「は? 」
私は思わず煙草を落としそうになった。
「本気で言っているのか? 」
「ああ、本気さ」
色男は胸を張って言った。
「結城、今度は俺も連れて行け」
「でも勉強があるんじゃないの? 」と揶揄う結城に、花園は「まかせろ」と頷いた。
「なにがなんでも言ってやるさ。なあ、清一郎」
「あ、ああ」
私は曖昧に返事した。戸惑いが目の前で回った。「ふたりで挑めば勝てるさ」という花園に、私は咄嗟に「いや」と首を振った。
「ひとりでやってくれ。僕はもうあんな馬鹿げた賭け事はしたくないんだ。行くなら他の遊女を指名するよ」
私の言葉に、花園は「ちぇ」と口を窄めたが、すぐに笑顔に戻って、「仕方ないな。じゃあ、俺だけ兜と楽しむことにしよう」と言った。
花園も私と同じ結末になるさ。私は心の内で言った。
「僕も鷹藤さんの意見に賛成だけど、花園がそこまで言うなら」
結城は汗をハンカチで拭うと、「決まりだね」と花園に笑い掛けた。その目が、何故か私にも注がれた。
「思い立ったら吉日と言うしね。明日とかどう? 」
「結城の家は大丈夫なのか? 女遊びはもうしないと言っていたじゃないか」
私が聞くと、結城は「そこんとこは大丈夫です」と答えた。「上手く切り抜けますよ。そういうことだけは得意なんです。ま、今回は本当に金が無いですから、良い女子とは遊べないですがね」
「俺の方も大丈夫だ。清一郎はどうだ? 」
聞かれ、私は、「まあ、大丈夫だが」と視線を流した。煙草の灰を落とす小坂と目が合った。
「小坂はどうだ? 行くか? 」
すると小坂は「俺はよしとく」と首を振った。
「どうした? いつもなら俺もと付いてくるのがお前だろ」
花園が意外だと目を丸くした。「そんなに悪かったのか? 」
「いや、そうじゃないんだ。良かったよ。でも、そうだな、今回はよしとくよ」
「そうか」
後から聞いた話しだが、最初に遊郭に行った際、小坂は女を指名だけして結局抱かなかったらしい。初めこそ女を買うという非日常を楽しみにしていた小坂だったが、いざ芝居を見てしまったら、女も一人の、自分と違わぬ人間だということに気がついてしまったのだそうだ。遊郭は春を売る場所であるし、女も同意の元買われているのは事実だが、どうにも良心が許さなかったのだと言う。「果たして女子は俺と寝たいのか、疑問に思ったんだ」と小坂は言った。小坂はブ男ではない。どちらかといえば整っている方だ。しかし小坂は間違わなかった。後々考えてみると、あの頃の私たちは異常だったのだ。大人の真似をすることを善としていた。背伸びをしすぎていたのだ。私も小坂と一緒に、止めてしまえばよかったのだ。しかし、兜が私にそれをさせなかった。今になって思えば、もう既にあの時点で、私は兜という女に憑りつかれてしまっていたのかも知れない。
「じゃあ、しょうがないね」
結城は煙を吹くと、私と花園を見た。
「ではお二方とも、明日の放課後、駅前に集まってくださいね」
「分かった」
それから倶楽部の話題は学校の話に逸れ、以降遊郭のことは誰も口にしなかった。
翌日、また新宿駅で降りると、結城を先頭に芝居小屋へ向かった。
道中、結城と花園の会話は途切れることがなかった。この二人の仲が良いことを私は意外に思った。それは二人の見た目がほとんど真逆だったからというのもそうだったが、倶楽部内での立ち位置の違いからもそう思った。花園は名にある通り、花のある人間だ。誇張なしに誰もが振り返る容貌を持ち、それに話も上手い。学校にいる時もそうだが、俱楽部での集まりの際も常に話題の中心におり、逆に結城はと言えばどちらかと言うと話下手で、花園たちのする話に茶々を入れるだけの役回りなのだ。
田んぼ道を歩きながら、結城と花園は心底楽しそうに腹を抱えて笑っていた。私はその二人の会話には入らず、ただ、門の向こうに囚われている兜の顔を思い出していた。それは芝居小屋に近付く度に濃く、鮮明に蘇るようだった。私の足はどんよりと重い沼の中に浸っているようだったが、胸は高鳴っていた。また、兜という女を見れる、その事実が、私の心を、重たい体を動かしていたのだ。
「ここが芝居小屋だよ」
門をくぐり、結城が花園に案内した。花園は芝居小屋の看板を見上げると、「ほお」と声を出した。
「いや、想像していたよりも立派だなあ」
「これがこの遊郭の入り口なんだ。おもしろいでしょう」
結城はけけっと笑うと、「さ、お二方ともどうぞ」と私たちを芝居小屋の中へ導いた。
その時には私の身体の怠さもだいぶましになっていて、鼓動も落ち着いてきていた。今回は来るのが早かったこともあり、私たちは前列に席を確保することができた。ここなら役者の顔が良く見られるだろう。今回の私の目的は兜ではない。他にいい女を見つけることだ。私は劇が始まるのをただ無言で待っていた。そんな私に気づいてなのか気づかすなのか、前説が登場するまでの空白の時間、結城と花園は相変わらず楽し気に会話を続けていた。
芝居が始まった。芝居の内容は、一週間前に見た物と同じだった。あとから聞いた話しによると、演目内容は半年ごとに変わるらしく、私たちが観に行った頃は、丁度演目が後半期で変わった時期だったらしい。今日こそ良い女を見つける、そう意気込んでいた私だったが、いつの間にか意識は兜に逸れていた。そう、もうそろそろ兜の出番だ。公爵夫人の帰宅を待つ、卑屈で使えない下男。「奥様、お待ちしておりました」「ちぇ、俺ばっかしだ」この二言しか与えられていない、端役中の端役。しかし兜という女は、真っ直ぐに、他の誰よりも真剣にその役を演じる。遊女より役者になったほうが向いているんじゃないのか?
兜の顔は、私の記憶通りの顔だった。横長な目に、頬にほくろ。
兜は役を終え、幕に引き下がって行く。しかし私の意識は兜に惹きつけられたままだった。その後に舞台上で起こる大事件もハッピーエンドも、すべて私の関係の無いところにあった。私の頭の中では、茶色い、大きさの合っていないみじめなスーツを着た兜が巡っていた。公爵夫人から鞄を受け取る兜、卑屈な笑みを浮かべる兜、顔を顰める兜。どの表情も、とてもではないが美しいと呼べるものではない。どちらかと言えば醜い方だろう。しかし私は夜の兜を知っている。自信に満ち溢れ、人を冷酷な目で見る兜を。決して美人ではない、そんな女の表情に私は見惚れてしまっていたのだ。
「鷹藤さん? 鷹藤さん、大丈夫です? 」
「え、あ」
いつの間にか劇が終わっていたらしい。ぼんやりする私の顔を、結城と花園が心配そうに覗き込んでいた。
「ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事をしていてね」
「そう言うこともありますよね。分かりますよ」
結城は笑顔を見せると、「さ、行こうか」と花園を向いた。この短時間で、結城と花園の距離はかなり縮まったように感じる。私だけが、遠いところにいるみたいだった。
「鷹藤さんはまた支配人から案内があると思います。花園君は僕と奥へ」
言って、結城と花園は奥へと去って行った。結城の言う通り、私はまた応接間へ通された。例に倣って、林が恭しくノックをして入って来る。
「鷹藤様。今回もありがとうございます。あの、本日はどの子をご指名でしょうか? 」
林がチラシを私に差し出す。私の目は、自然と兜の名を探していた。あった。チラシの一番下。
「あまった方で大丈夫です。なるべく高い方で」
「はい、かしこまりました。そのようにいたします。少々お待ちください」
林はチラシの入った本を畳むと、深くお辞儀をし、そそくさと部屋を後にした。私はソファに座ったまま、その背中を目で追いかけた。前はあまり気にしなかったが、林の背中はずいぶん丸まっている。こんな画期的な遊郭を手掛けているにしては、あまりにも自信がなさげな背中だ。扉が閉まってしまってから、私は目の前の背の低いテーブルを見つめた。
ほこりひとつないテーブルは、天井に吊るされたシャンデリアの光を反射してきらきら輝いていた。テーブルと、私の座るソファの下には大きなカーペットが敷かれていて、その茶色一色の敷物も塵ひとつなく、掃除が行き届いているのが分かった。やはり、しっかりした施設なのだ。そんな中にあんな、兜のような女がいるだなんて。
花園はもう兜に会っただろうか。私は考えた。花園くらいになれば、兜に会うだけの金は持っているだろう。今頃、兜に会って、追い出されている頃だろうか? いや、まだ早いか。いま何時なのだろう。扉の向こうから、他の客の話し声が聞こえてくる。
ぼんやり耳を澄ませていると、扉が開いた。
「お待たせしました」
林が出て行ってから帰ってくるまで、だいたい十分ぐらい経っただろうか? 私は笑顔を作り、「いえ」と返した。
「準備が出来ましたので、こちらへどうぞ」
林は私に一礼すると、私を招いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます