第2話『芝居小屋』

 翌日、私は学校の後芝居小屋に出掛けることとなった。「本日はどちらまで」と伺う使用人に、「友人の家で勉強をする。今日は帰らない」と伝えると、帽子を被り、家を出た。

 待ち合わせ場所には、小坂と言い出しっぺの結城が集まっていた。「花園はどうした」と尋ねると、「今日は家に監禁らしい。お勉強に集中しろってね」と小坂が答えた。

「こんな楽しい日に勉強だなんて。花園のお坊ちゃんも大変ですね」

 結城が私にニヤニヤと囁いた。

「花園の御父上は大変厳しいと聞く。仕方ないだろうな」

 私は結城から離れると、小坂に「じゃあ、行くか」と促した。

 小坂は結城に振り向くと、「おい、案内しろ」と命令した。結城は「はいはい、わかってるよ」と言いたげな表情を小坂に向けると、私に世辞笑いを向けた。

「さて、参りましょうか」

 御茶ノ水駅から乗り継いで新宿駅へ出た。

「思ったより田舎じゃないな」

 というのが、私たちの印象だった。

「駅もできて、都市開発が進んでるんですね、ふふふ」

 結城がいやらしく笑って、歩きはじめる。

「こちらです。路面電車でも駅がないので、徒歩で行きますよ」

 内心、結城なんかに主導権を握られるのは気に食わなかったが、土地勘の無い私たちは彼に従うしかなかった。暫く歩くと、ところどころに田んぼが見られるようになった。

「てっきり甲州街道沿いにあるかと思ってたよ」

 そろそろ歩き疲れた、小坂が呟いた。

「ほら、見えましたよ、あそこです」

 と、結城が指を差した。

 目を上げて見ると、田んぼの真ん中に大きな二棟の黒い建物があるのが見えた。とても新しい建物とは思えない。

「あの遊郭はいつからあるんだ? 」

 私が結城に尋ねると、結城は「さあ」と首を傾げた。

「私は女遊びが好きなだけで歴史は興味ありません。ただ、私が遊びだした一年前からあるのだけは確かです」

 今何時です? と尋ねる結城に、小坂が時計を出し、「六時半だ」と伝えた。

「じゃあそろそろだ」

 呟き、結城は私に振り返る。

「さ、急ぎますよ」


 芝居小屋は、私が想像していたよりも大きく、奇妙なものだった。造りは和式なのに畳の上に椅子が置かれ、流行りの洋装の雰囲気を漂わせていた。私たちは入るのが遅かったらしく、椅子に座ることができず、後ろの立ち見席で芝居を見ることになった。こんな辺鄙な場所にある芝居小屋だと言うのに、異様な盛況ぶりだ。それより、なによりも私の目を引いたのは、「おい、女子供がいるじゃないか」遊女の芝居小屋に当たり前のように、それらの人間がいることだった。

「そりゃそうですよ、ここは芝居小屋なんですから」

 私の耳打ちに結城が答えた。

「でもここは遊郭だ」

「ええ。それでも、ここは芝居小屋です。女子供がおったって当たり前のことなんです」

 普通の芝居小屋より安いですし、しかも本格的な芝居が見られるんですからね。

「そろそろ始まりますよ」

 舞台に視線を移す結城に倣って、私と小坂も舞台に視線を向けた。

 舞台の内容は、最近流行りの外国輸入のもので、女しか出ていないものの、中々良い出来だった。舞台の花形を飾るのは恐らくこの店の高級遊女たちだろう。男役の遊女たちも大変美しかった。しかし私が気になったのは、端役の遊女だった。たった数十秒の出演、たった三言の台詞に全神経を注ぐ遊女に、私は興味を持った。他の高級遊女と違って華は無い。顔も美しく無い訳ではないが、ぱっとしない印象だった。だが、私の目は無意識にその遊女を追っていた。

「あれが例の遊女です」

 私の視線に気がついているかのように、結城が私に囁き掛けてきた。

「あの、端にいる女です。あれが、例の体を売らない遊女です。ね? 見た目じゃ分らんでしょう」

 確かに顔だけでは大人しそうな印象を受ける。しかし、彼女の纏う雰囲気は芯を持っており、一筋縄ではいかなそうな、そんな空気だった。

「名前は何て言う? 」

 私が尋ねると、結城は「かぶとです」と答えた。

「男みたいな名前だな」

「ええ。性格もはねっ返りがあって男みたいだそうですよ。私は指名したことがないですがね。鷹藤さん、今日はどれぐらいお持ちですか? 」

「どれぐらい? 」

「金ですよ。あの女、高級遊女ではないですがね、人気で指名が中々取れないことで有名なんです。ある程度金を積まないと相手してくれませんよ」

 まあ、鷹藤さんに限って金が無いなんてことはないでしょうが、と結城は笑顔を見せた。

「指名料を取られるのか? 」

「ええ、この店ではそういうことです。その上線香代も取られますからね。安価で芝居を打てる理由が分かりましたでしょ? 」

「確かにな」

 私は舞台に目を戻した。もう兜の出番は済んでおり、舞台も終盤に差し掛かっていた。


 芝居が終わり、時刻は八時を過ぎていた。客たちは席を立ち、バラバラと外へ出て行く。結城も他の客たちに紛れて外へ出ようとした。

「おい、結城」

 そんな結城を、私と小坂は引き留めた。

「これから遊女を買うんじゃないのか? 」

「そうですよ」

「外へ出てどうする」

 小坂が言うと、結城は、とても面白い見世物を見たかのように声を出して笑い出した。

「まさか、ここで指名する訳ではないよ。ほら、来た時、建物が二棟並んでいただろう? 一度外へ出て、奥の建物へ入るんだ。そこで遊女を指名するという訳さ」

 おっと、舞台の半券は失くしてないでしょうね、それがなきゃ指名どころか奥の建物に入る事すらできませんからね。結城は言うと、「さ、急ぎましょうか」と、そそくさと小屋から出て行った。

 外はもう真っ暗になっていた。田んぼの真ん中に建っているだけあって、街灯なんて無い。

 暗がりの中に、この建物が恐ろしく佇んでいる。

「さて、お二方、こちらですよ」

 結城は男たちがぞろぞろ列成す方に向いて言った。女子供、それに付き添っている父親らしき人間たちは暗がりの中に帰ってゆく。私たちはそんな健全な人間たちを横目に、欲望の扉へ向かった。

「小坂は誰にするんだ? やはり主役の女か? 」

「の、恋人の役の女にする予定だ。顔がキリっとしていて気が強そうなのが好みなんだ」

「へえ、意外だな。小坂は従順そうなのが好きなのかと思っていたが」

 で、結城は? 私は小坂との会話を詰まらなそうに眺めていた結城に話を振った。尋ねられた結城はにっこりと目を細めると、「僕は金が無いものでね。指名が付かなかった子にする予定です」と言った。

「小坂君も鷹藤さんもお金持ちだから好きな子を選びたい放題でしょうが、僕は今月ケチられていましてね。女遊びをしているのを両親に漏れたんです。なので、たぶん今日が遊び納めです。なのでお互い、楽しみましょうね」

「それは残念だ」

 私は形だけ結城に同情の気持ちを贈った。

「次の方、どうぞ中へ」

 扉の両端に立つ係員が私たちを呼んだ。

「券を拝見させていただいております」

 舞台の半券を見せると、係員が結城に気がついた。

「これはこれは」

 係員は結城に微笑みかける。

「結城様。本日はご友人とご一緒ですか? 」

「うん、そうなんだ」

 結城は私と小坂を係員に見せた。

「こちらが小坂君で、で、こちらが鷹藤様だ」

 分かるかい? 結城は係員に笑顔を見せる。係員は「鷹藤──」と私の名前を繰り返すと、はっと顔色を変えた。

「どうぞ、丁重に扱うように、お願いするよ。さて、小坂君。私たちは奥へ行きましょうか」

「あ、ああ」

 奥から出てきた係員に合図を送り、去って行く小坂たちを追おうとする私を、「鷹藤様はこちらへ」と係員が手招きした。

私が招かれたのは、入り口から一番離れた扉だった。「どうぞ、中へ」係員は私を部屋へ通すと、「少々お待ちください」と扉を閉めた。

 応接間だった。和風な外観とは違い、中にはソファが向かい合って置かれているのと、真ん中に背の低い机が、床には広いカーペットが敷かれていた。天井にはシャンデリアがつり下がり、努力して豪奢を尽くした、そんな内装だった。

 お待ちください、言われた私は、席に着かずそのまま待つことにした。母から礼儀については口酸っぱく言われていたのだ。「席にお掛けになって」という一言が無かったのだから、当然立って待つほかない。私は必要以上に部屋を値踏みすることも無く、まっすぐ扉を向いて待つことにした。

 体感で言うと五分程だろうか、扉が開き、中年の男が部屋に入ってきた。

「お待たせしてしまって申し訳ありません」

 言いながら扉を開けた男は、私が直立しているのを見ると、慌てて「座って頂いていて良かったですのに」と付け加えた。

「どうぞ、お掛けください」

 言われて、私はようやくソファに腰掛けた。男も私の向かいに座る。

「鷹藤様、よくお越しくださいました。私、ここの支配人をしております、林と申します。それで、あの、私無知なものでして、そのう……」

「父は、鷹藤清吉です。貴族院の──」

 私が言うと、林は目を大きくした。

「公爵様のご子息様でございましたか。それは、いやあ、大変失礼いたしました」

 林は私に深く頭を下げると、「ところで」と顔を上げた。

「今回はこちらでお遊びになられる、ということでよろしいでしょうか? 」

「まあ、そうですね。結城の紹介で」

 社会勉強と言う所かな、と私が言うと、林は「そうでございましたか」と笑顔を見せた。

「気に入った女子はございましたか? 」

「ええ、一応」

「どれにします? 」

 林は扉に向かって、「あの、あれを」と声を掛けた。すると、しばらくも経たないうちに背の低い男が入って来て、二つに畳まれた本を林に渡して出て行った。

 林は本を開いて私に見せると、「本日の公演のチラシです」と説明した。

「役どころは覚えておりますか? 」

 私は「ええ、一応」と頷いた。

「そうですか。では、こちらの女子はいかがでしょうか? うちの花形で、器量良しです」

 林の指し示す名前に、私は「はあ」と相槌を打った。

 私の反応がいまいちだったのに気がついたのだろう。林は、「それとも他に気になった子がおりますか? 」と私にチラシを手渡した。

 私はチラシを受け取ると、目を上から下へ動かした。“兜”の名は、一番下にあった。役どころも「下男」。人気がある遊女だと結城は言っていたが、この遊郭では恐らく、あまり表に出したくない人物なのだろう。それはそうだ。乙女の花を売る遊郭で賭け事を働き、お客に金だけ貢がせる遊女がいるなどとは評判になりたくないだろう。

「これがいいです」

 私が兜の名を指すと、林は分かり易く嫌な顔を見せた。「大変失礼な質問で申し訳ないのですが、もしかして、これの噂を聞いてこちらへお越しなさったのでしょうか? 」と聞く林に、私は正直に「はい」と答えた。

「そうでございましたか──これは、なんというか、正直を申しますと、問題児でございまして、私どもも頭を痛めているのでございます。確かにこの子は稼ぎます。稼ぎますが、正当な稼ぎ方ではない。いずれ何か事件が起きるのではないかとこちらも冷や冷やして見ておるのです。悪いことは言いません、鷹藤様。これには手を付けない方がいい。他を見てくださいませ」

「いや、僕はこれを見に来たのです。これでなければ帰ります」

「それは──」

 林は私を上目遣いに見た。彼は今、心の内で葛藤しているのだろう。何たって、私は上客中の上客だ。私の機嫌を損ねるのも、売り出したくない遊女を指名されるのも避けたいだろうから。林はちょっとの間口を噤むと、「ええ、はい、承知いたしました」と小さな声を絞り出した。

「兜をご指名でございますね。はい、かしこまりました。しかし、この子は大変人気な遊女でございまして、本日だけでも複数の方から指名が入っております。当店と致しましては、指名が被った際、一番指名料をお支払い頂いた方のみお通しするようになっておりますが、鷹藤様はいくらお積みになられますか? 」

「他の客はいくら積んでいるのですか? 」

「それはお答えできません」

「まるで賭け事ですね。心理戦だ」

 それじゃあ兜と変わらない。私は最後の言葉を飲み込んだ。私は用意してきたちいさな鞄を、目の前の机の上に乗せた。

「これは。こんなに──」

 鞄を開けた林は目を大きくして私を見上げた。

「鷹藤様。いえ、では、兜を用意いたします」

 言うと、林は部屋を出て行った。

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