第9話 ヒーローの正体

 五時間目の終わり、教室は少し浮ついた空気に包まれていた。


 テストが近いせいで一応は自習の時間だが、誰もまともに勉強なんかしていない。

 机を寄せ合い、小さな輪を作って、スマホの画面を覗き込んでいる。


「見て見て、この角度めっちゃカッコよくない?」


「ほんとだ! この瞬間ヤバくない? ほら、あのヒーローがアンノウンの頭を……」


「うわぁー、すげぇ……! 俺あんなの無理。マジ尊敬するわ」


 翔真は、教科書を開いたままノートを取るフリをしていた。


 視線は黒板に向けているが、耳は勝手にその輪から漏れる会話を拾ってしまう。


「てかさ、中身ってどんな奴なんだろ?」


「絶対イケメンでしょ。じゃなきゃちょっと冷めるわ〜」


「やば、それマジ本音すぎ」


 女子たちの笑い声が弾ける。


 男子のひとりが冗談交じりに言った。


「でもよ、あんだけ化け物ぶっ飛ばせるとか……なんか逆に、体の中どうなってんだろな?」


「うわ、それ言うなよ! ちょっと怖くなったじゃん!」


 翔真は教科書を開いたまま、ぎゅっとペンを握りしめた。


(中身なんか、見せられるわけないだろ)


 昨夜、スーツが剥がれた後の自分の腕。

 皮膚が不自然に固く光り、まるで機械に血管を無理やり通したような異様さ。


 あの姿を、もしこの輪の中にいる誰かに見られたら――

 目を見開き、恐怖に引きつった顔で、二度と近づこうともしないだろう。


 ふいに、笑い声の中で雪乃の声がした。


「でも……私は、すごいと思うな」


「え、なにが?」


「だって、自分が怪我するかもしれないのに、あんな怪物と戦ってくれるんだよ。そういうのって、ちゃんと“人”じゃなきゃできないと思う」


 雪乃はにこっと笑った。

 翔真はその横顔を盗み見るだけで精一杯だった。


(……“人”じゃなきゃ、できない――か)


 胸がチクッと痛む。

 それはまるで、これ以上ないくらい的確に、自分の不安を突いた言葉だった。


 チャイムが鳴り、皆が一斉に「はー終わったー!」と席を立つ。


 翔真は立ち上がれなかった。

 どこかに置き忘れた心を探すように、自分の胸に手を置いて、ただ俯いていた。


 教室を出ていく雪乃の後ろ姿を、そっと目で追う。


(俺……本当に“人”のままでいられるのかな)


 そんな言葉が、心の奥で小さく零れた。


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