アステリア戦記 圧縮版

りょん

第1話

 なにが起きているのかわからない。


 脇腹を殴られた。混乱している。ひざまずいて、脂汗が流れてくるのを必死に耐えた。奥歯の奥が軋みを上げる。


 親父が血溜まりの中にいた。いつもの稽古着を着、母屋と蔵のその合間にある庭園の中、松竹に囲まれながら事切れようとしていた。


 枝葉が風に擦れ、ざわざわと鳴いている。


「ユウ……」


 血を流した口の端がわずかに動く。

「その刀を……」


 真っ白な水晶の剣が傍らにある。蔵の中にあって、家伝の一刀とされてきたものだ。


 これで、親父を斬るはずだった。数日前、手酷い口論をして剣闘になり、滅多打ちにされたその腹いせに斬るつもりでいた。その親父がすでに斬られている。


 誰に?


 この男に……!


 黒い西洋甲冑の男。角の生えた獣の意匠を施した兜は親父との激闘の末、遠くに弾き飛ばされて、露わになったその顔。浅黒い肌、えらの張った四角い顔、琥珀色の瞳、頭を覆う赤髪は常時うしろに撫でつけられていたのだろう、しかし、いまは乱れて幾房かが、額の汗に濡れている。


 手甲が髪をかき上げ、琥珀色の瞳がうずくまるユウを睥睨している。口元は愉悦に歪み、爪先は一歩一歩を確かめるようにユウの左手へ旋回し、巨体が動くとともにその影で黒い残像が発し、奴の足跡を追っている。


 黒い水晶の剣。その刀身が奴の右手から垂れている。その残像が松竹林の木漏れ日の中で、陽炎のようにたゆたって、


「どうした、小僧」


 重い声音がのしかかってくる。


「終わりか?」


 黒剣から血の一滴がしたたり落ちる。


 ユウは白剣を握り、跳ねた。爪先に力を送り、太ももの肉をはち切れるほど膨らませ、地を踏んだ。白剣の柄を脇腹に、残像の引く刀身を敵に突き出す。


 ざ、と火花が散った。

 黒剣のしのぎを激しく削っている。


 嗤いながら右手へ回ってゆく甲冑へ上段からの振り下ろし、受け止められて横薙ぎに。白剣の残像が無数の円弧を刻んで、また黒剣の残像と激突する。


「面白いか、小僧」

「面白いことあるか」


 ぎしぎしと刃を軋ませて鍔をせり合わせ、膂力に劣るユウが弾かれた。男が追撃に来る。袈裟斬りの一撃、白剣をその軌道に乗せて逸らし、斬り上げた。


 赤毛が一房、風に舞う。


 次いで振り下ろした白剣が黒の衝撃を受けて音高く鳴いた。


「やってくれる」


 男の弾んだ声と生気の漲った瞳。


「良い戦士だ」


「てめえ、叩き斬ってやる」


 間合いを取り直し、再びの接近、刃を交える。腰を落とし、白剣を肩に負って、振り抜いた。


 火花が散る。


 刃が悲鳴を上げる。


 軋んで響く。


 ゆらり、


 と景色が歪んだ。


 めまいに襲われた気がして、ユウは甲冑と間合いを取った。


 気分は悪くない。むしろ高揚していて、不調など欠片も感じない。


 が、景色が歪んでみえる。


 黒の剣が来る。両者、大上段から打ち合う。さらに空間が歪んでゆく。


「こ、これは……」


 ユウは二歩、三歩とうしろにたたらを踏んだ。


 剣を交わらせるたびに景色が歪む。空間そのものが歪んでいるのだ。


「はああっ!」


 さらに迫ってくる黒刃を受け、ユウも剣を振るう。


 一際強い打ち込みを交えた瞬間、ぐるりと世界が回転を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る