第2話 鞭と少女の涙
あのイケメン猟師に秒殺されてからというもの、あたしの気分はだだ下がりだった。セレナの奴はここぞとばかりに「だから言ったでしょう」みたいな顔でチクチク言ってくるし、ミツグ様は本気であたしを心配してくれているし。その純粋さが、今は逆に胸に痛い。
「とにかく、まずは宿を探そう。話はそれからだ」
あたしがそう言って一行を促した、その時だった。
「——やめてっ!」
甲高い少女の悲鳴が、凍てついた村の空気を引き裂いた。
あたしとセレナの兎耳が、音のした方角を正確に捉える。村の広場だ。
「……行ってみよう」
ミツグ様が、小さな声で、しかしはっきりとした意志を持って言った。彼の碧眼に、さっきまでの頼りなさはなかった。あたしたちは頷き合い、音もなく広場へと向かう。
そこで見た光景は、胸糞悪い、の一言に尽きた。
痩せこけた少女が、雪の上に倒れ伏している。その背中には、真新しい鞭の跡が赤い線を引いていた。傍らには幼い弟が泣きじゃくり、彼らを取り囲むように立つ数人の衛兵が、下品な笑い声をあげている。村人たちが遠巻きにその様子を見ていたが、誰もが恐怖に顔を歪ませ、目を逸らすだけだった。
「お願い……弟だけは……。私はもっと働けるから……!」
「うるせえ! ゾルタン様への税も払えねえ奴に、生きる価値はねえんだよ!」
衛兵の一人が、再び鞭を振り上げる。
その瞬間、あたしの前に、小さな影が飛び出した。
「やめろっ!」
ミツグ様だった。
恐怖に足は震えている。寒さのせいだけじゃない。それでも彼は、自分より何倍も大きな衛兵たちの前に、その小さな体で立ちはだかった。
「女の子を……か弱い子供をいじめるなんて……そんなの、ひどすぎる! 僕が、絶対に許さない!」
彼の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。それは、恐怖の涙じゃなかった。心の底から湧き上がる、純粋な怒りの涙だった。
その姿を見た瞬間、あたしの心に衝撃が走った。
あたしたち忍びは、世界の汚い部分を見すぎて、いつの間にか心が麻痺しちまう。理不尽な暴力も、悲しい現実も、「仕方ないことだ」と割り切る術を身につけてしまう。正義なんて、腹の足しにもならない青臭い感傷だ、と。
だけど、この方は違う。
人の痛みを自分のことのように感じて、本気で怒り、涙を流せる。
あたしたちが、とうの昔にどこかへ置き忘れてきた、眩しいほどの輝き。
——この涙を、この怒りを、守ること。
それが、いつの間にか、あたしの本当の任務になっていた。
「なんだぁ、このチビは。どかねえと、てめえから血祭りにあげてやるぞ」
衛兵がゲスな笑みを浮かべる。だが、その視線はすぐにチビ——ミツグ様の後ろに立つあたしたちへと移った。品定めするような、粘つく視線。
「お、なんだこの女どもは。すげー美人じゃねえか!」
「特にそっちの赤髪! 見ろよ、あの胸! でかすぎだろ!」
「いや、俺は銀髪の脚がいいね! あの網タイツ、たまんねえな!」
下品な言葉の応酬。あたしの口元に、氷のように冷たい笑みが浮かんだ。
いいだろう。その汚い舌、二度と動かせないようにしてやる。
「おい」
あたしは、双剣の柄にそっと手をかけた。
「てめえら、今、あたしの主君と、あたしたちのこと、なんて言った?」
あたしの殺気に、衛兵たちが一瞬怯む。だが、すぐに虚勢を張って剣を抜いた。
「なんだと、このアマ! ちょっと美人だからって調子に乗りやがって!」
「その自慢の体を、俺たちで可愛がってやるよ!」
それが、奴らの最後の言葉になった。
「——塵になりな」
あたしが地面を蹴ったのと、セレナが杖を構えたのは、ほぼ同時だった。
「なっ、速……!?」
驚愕の声を上げる衛兵の懐に潜り込み、あたしは双剣の柄で顎を打ち上げる。一人目が派手な音を立てて宙を舞った。そのまま体を回転させ、二人目の剣を弾き、がら空きになった腹に強烈な蹴りを見舞う。あたしの動きに合わせて、バニースタイルの胸元が大きく揺れる。残りの衛兵がその光景に一瞬見とれた。それが命取りだ。
「奥義——」
あたしは双剣を交差させる。
「——双兎閃(そうとせん)!」
赤い閃光が二条、夜を切り裂き、衛兵たちを薙ぎ払った。雪の上に転がる男たち。あたしは剣を上下に振るって、ベッタリついた赤い液体を払うと、鞘に納めた。
「まったく、アリスはいつも派手なんだから」
ふわりと、セレナが隣に舞い降りる。彼女の周りでは、風の刃によって切り刻まれた衛兵たちが、悲鳴すら上げられずに倒れていた。
「風よ、我が前に立つ愚者に、裁きの礫を」
セレナが指先を振るうと、小さな竜巻が生まれ、逃げようとした最後の衛兵を空高く巻き上げて、地面に叩きつけた。彼女の網タイツに包まれた脚が、月明かりを浴びて妖しく輝く。その美しさと、やっていることのえげつなさのギャップが、セレナの真骨頂だった。
「お、覚えてろよ! ゾルタン様に報告して、てめえら皆殺しにしてやるからな!」
這う這うの体で逃げていく衛兵の背中に、あたしは「いつでも来な、返り討ちにしてやるよ」と呟いた。
広場には、静寂が戻る。遠巻きに見ていた村人たちは、感謝の一言もなく、蜘蛛の子を散らすように去っていった。ゾルタンの支配が、それほどまでに彼らの心を蝕んでいるということだろう。
あたしたちの視線の先で、ミツグ様が泣きじゃくるリナとトムの元へ駆け寄っていた。
「もう大丈夫だよ。僕が、君たちを守るから」
その小さな背中が、今はどんな屈強な戦士よりも、頼もしく見えた。
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この作品のオーディオブック版作ってみました。
https://youtu.be/j1-bSmS88mY?si=w3TR6jlB6k2z61-q
youtube投稿、良かったら聴いてください。
アリスの色っぽいイラスト付き。
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