第4話 どっちを選ぶ?
『アートフェスティバル』は課題テーマが決められているのが特徴の、平面作品対象のコンテストだ。
今年の課題テーマは、“夢”だった。
眠っているときに見る夢なのか、将来に向けての目標という意味での夢なのか、定義は明確にされていない。
俺は、将来の夢という意味で描こうと思った。
子どもが抱く夢ならば、とにかく色使いは明るくして、途中に困難があることを示唆させるハードルとして、子どもが怖いと連想する何かをモチーフにして……なんて考えながらスケッチブックにイメージを描き進めていったが、どうにも納得のいく絵にならない。
ずっと俺の頭の中に鎮座する『自由に描く』という苦手意識が、逆に俺の中の選択肢を狭めていくような感覚から逃れられなかった。
何枚も、何枚も。愚直にやり続けられることは俺の強みだと思っているのだが、今までとは違って、いくら手を動かしても手応えを感じることはなかった。
スランプというやつか? ……いや、スランプとは元々実力のある人が陥る現象だ。
失うものなんてないくせに偉そうなことを考えるんじゃねえよ、俺。とにかく描け。描くんだ。
部屋のなかで鉛筆を動かし続けていると、だんだん息が苦しくなってきた。休憩を入れようと窓を開けてみる。星が綺麗だった。
……侑里は一体、どんな絵を描いているんだろう。いや、もう描き終わっているのかもしれない。……まさか、まだ手をつけていない可能性もあるか?
ふと、侑里と話がしたいと思った。用もないのに電話をかけたらからかわれるだろうなと思いながらも、俺の手はスマホを握っていた。
『なに』
通話口から開口一番、素っ気ない声が聞こえた。そしてそう問われると急に、恥ずかしさが込み上げてきた。
「いや、その、別に……勉強してるかなって思って」
我ながら噓くさい言い訳だと思う。案の定、侑里が口角を上げていることが顔を見なくても伝わってくる。
『そうかそうか、そんなに私の声が聞きたかったか』
「ち、ちげえよ! 侑里は今何してたんだ?」
『んー? で、宗佑は暇してんの?』
「まあ……いつも通り。絵を描いてた」
『じゃあウチに来なよ。私の暇つぶしの相手になれ』
侑里の命令に素直に従うのは癪だったが、話したいと思っていた俺が断る理由なんてあるはずもなかった。
☆
いくら侑里とはいえ、たぶん俺以外の男だったら、こんな夜に家に訪れるなんてご両親の許可は下りないだろう。
だけど俺は小宮宗佑。柏崎夫妻の次に、この我儘で自分勝手な娘の面倒を見てきた男だ。当然顔パスで自宅及びあいつの部屋への入室許可を得た。
「お邪魔します」
「ん。まあ、適当に座れよ。差し入れは?」
コンビニに寄って買ってきたプリンを手渡しながら、侑里の机の上を見た。……勉強している様子も油絵を使った形跡もまるで見られないことが、俺を不安にさせる。
「アートフェスティバルの絵は描き終わったのか?」
「さあな? 人のこと気にしている余裕あんの?」
それ以上の詮索は控えざるを得なかった。確かに、侑里のことばかりを気にしているようでは、
色気のないスウェットを着てピアスも外している侑里は、ベッドの上に腰掛けた。
「遊びに来るのにスケッチブックを持ってくるなんて幼稚園児かよ。一緒にお絵描きでもしたいのか?」
「そうだって言ったら、描いてくれるのか?」
俺の問いかけに侑里は答えなかった。プリンをベッドの上で食べようとする侑里に「ちゃんとテーブルの上で食べろ」と注意してから、深呼吸をした。
「俺、自由に描くっていうのがよくわからないんだ。画材を変えて、技法を変えて、いろいろ挑戦はしてるんだけど……全然、納得できる絵が描けない」
侑里の絵を描いたときに味わってしまった、満足感と達成感。
あの快感を知ってしまった俺はもう、普通の絵では満足できなくなってしまったのだ。
「相談したいなら相手をミスってるぞ。私には宗佑の気持ちがわからないからな。描きたくないと思うことはたくさんあるけど、描けないと思ったことはないから」
天才め、と一瞬僻みそうになったが、侑里は侑里で抱える苦しみも今の俺は知っている。喉元まで出かけた言葉を呑み込んだ。
「生きている世界が違うってやつか」
「宗佑まで私を遠ざけるのか?」
「そんなわけないだろ? この世界でお前みたいな超我儘な奴に付き合っていられるのは、俺くらいだってことだ」
侑里はニヤリと口角を上げて、俺の胸に人差し指で触れた。
「私がヤンデレキャラだったら、宗佑は今ごろ刺されているか、この部屋に監禁されるだろうな」
「なにをワケわかんねえことを言ってんだよ」
「この間読んだ漫画の話だよ」
そう言ってベッドの上を膝で移動した侑里は、窓を開けた。
夜風が吹き込んで、侑里の長い髪を靡かせた。外の匂いとシャンプーの香りがふわりと俺の鼻をくすぐる。
その青い瞳に星を映しながら、侑里が口を開いた。
「なあ、宗佑。世界か詩子のどちらかしか救えなかったら、どっちを選ぶ?」
「なんか、前にも教室で同じようなことを聞かれた気がする」
あのときは、世界と侑里のどちらかを選ばされたっけ?
「そうだな……詩子を救って、世界が滅びる様子をふたりで見つめるかな」
俺の回答を聞いた侑里は、俺の顔を見ないまま、ゆっくりと目を瞑った。
「そうか……わかった」
それから窓を閉めて俺のほうに向き直って、
「宗佑は星から何を連想する?」
「そうだな……夢とか、希望とか? ……あ、織姫と彦星の話もあるし、遠恋とか?」
深く考えずに思ったことをそのまま口に出した俺を、侑里はつまらなそうに見遣って溜息を吐いた。
「短絡的で常識的な思考回路はやめろ。一般論を当てはめただけの絵なんて、面白くないだろ?」
急所を槍で一突きにされたようなダメージを食らった。
本質が変わらなければ、小手先で何をしようとも誤魔化しになる。
人の心に響く絵になるはずがないのだと、このたった一言で理解に至ったのだ。
「……俺、モチーフも、技法も、
昔、自由を愛する侑里が鎖から逃れたがっていたというのに。
俺は自ら鎖に縛られに行って悩む、大馬鹿野郎だった。
目から鱗を落とす俺の両頬を掴んで顔を上げさせた侑里は、挑発的に口角を上げた。
「詩子はデブだろうがキモかろうが変態だろうが、どんな宗佑でも好きだって言ったんだろ?」
「いや、そこまでは言ってねえよ」
「だったら私は、どんな宗佑でも受けて立ってやるよ。だから、『自由』に描いてみろよ。お前は私の絵を描いたとき……この私に、お前の言葉を借りるなら
どくんと打った心臓の音が、俺の体に血液を行き渡らせる。
胸が、熱い。侑里の信頼が、俺ならできると断言する無垢で威圧的な信頼が、俺の細胞を喜ばせる。やる気だとか向上心だとか、目には見えない力が湧き上がる。
たった一言で俺に力を与えてくれるのは、それは詩子にもできない。
世界中でただひとり、侑里にしかできない。
「……敵に塩を送ったことを、後悔させてやるからな」
「捨て台詞が雑魚キャラっぽいんだよなあ。センスがない」
ムカつく幼馴染は、いつだって不敵に笑うのだ。
コンクールまであと一ヵ月。コンセプトから仕切り直しになった俺の再挑戦。
やり直しを全く苦に思わない性質でよかった。元々、失うものなんて何もない。
こんな気持ちで作品に向き合える俺は、幸せ者だと思った。
道が拓けた気がする。俺の心の灯は、一向に消える気配を見せていない。
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