第17話 返されることのない手紙

 徐々に、おばあさんの亡き骸から熱が引いていくのを感じながら、クライは己の無力さを噛み締めていた。

 どうして守れなかったのか。

 どうすれば、救えたのか。

 胸の奥が、締めつけられるように痛かった。


 そんなふたりの様子を見ていたアイネもまた、同じ思いを抱えていた。


 自分自身への苛立ちに加え、次第に村人たちへの怒りも胸の内に募っていく。

 多少は冷静さを取り戻していた。

 この世界がどれほど厳しくても、戦いに縁遠い者たちには、仕方のないこと――

 頭では、そうわかっている。だが、それでもなお

 アイネの苛立ちは簡単には消えず、叫んだ。


「おい! 貴様ら、魔物は全て駆逐してやったぞ!」


 家に籠もっていた村人たちが、その声に驚いたように警戒しながら戸を開け、ちらほらと外に姿を現す。

 何が起こったのかと様子をうかがい、恐る恐る中央へと足を向けていく者もいた。


 すると老婆の亡骸を見たひとりの男が血相変えて駆け寄り、絶叫するように声を上げた。


「婆ちゃん! 婆ちゃん……!」

 泣き叫びながら駆け寄った男が、アイネたちを睨みつける。


「アンタら、何やってたんだよ! なんで守ってやれなかったんだ! 戦えたくせに……!

 無事だったくせに、なんで婆ちゃんだけ……!」


 その声に、周囲の村人たちもざわめき始める。


「本当に全部倒したのか? まだどこかに残ってるんじゃ……」

「あんたたち、何しに来たんだ! 冒険者なんだろ!?」

「結局、村を守りきれなかったんじゃないか……」


 理不尽な苛立ちが、あたりに満ちていく。


 その瞬間、アイネの目が怒りに見開かれ、次の瞬間には爆ぜるような声が響いた――


「 貴様らがクライの言う通りにとっとと避難しなかったからだろうが!」


 声を怒りに震わせながら、叫ぶ。


「子供が命懸けで避難を呼びかけていたのを、無視してたのは誰だ!?

 最後までこのばあさんに付き添っていたのは――誰だったと思ってる!?」


 アイネの声が、あたりに響き渡った。


 周囲の空気が凍りつくように張りつめた。

 村人たちは、顔を強ばらせたまま言葉を失い、目を伏せる者、拳を握る者、口を噤んだまま俯く者、それぞれが沈黙の中に沈んでいく。


 まだ言い足りない――と口を開きかけたその瞬間。


「……もう、いいよ。アイネ」


 泣き腫らした赤い目をしたまま、どこか寂しげに微笑む。


「この人たち……ずっと、おばあさんと一緒に生きてきたんだよね。

 だから……たぶん、僕たちより、ずっと悲しいと思う」


 そう言って目を伏せ、言葉を繋ぐ。


「でも……でもね、アイネは戦った。僕も見てた。全部じゃないけど、すごかった。

 それに……おばあさん、最後には笑ってた。ちゃんと、笑って……逝けたよ」


 その言葉は、静かに、村人たちの胸へと届いた。


 クライの言葉に、詰め寄っていた男は顔を歪め、唇を噛んでいた。


「……すまなかった」


 その声には悔しさと後悔が滲んでいた。


 続いて、村長と思しき初老の男も、深々と頭を下げる。


「……すみませんでした。

 そして、村を救っていただき……本当に、ありがとうございました」


 周囲の村人たちも、次第に頭を垂れ、肩を落とし、無言のままそれに倣っていく。

 それは、己たちの過ちと無力を噛み締めるような、静かな悔恨の連鎖だった。


 アイネはその光景に、わずかに眉を下げた。


「……もういい。だが、馬と飼い葉は、いただいていくぞ」


「はい。そのくらいであれば、喜んで」


 村長は静かに頷き、了承した。


 クライはアイネに目を向ける。


「アイネ、おばあさんを見送ってから、旅を再開してもいい?」


 その問いに、アイネは静かに肩に手を置きながら答える。


「……ああ。いいだろう」


 ふたりは村長に目を向け、村長もまた無言で頷いた。




 村は、おばあさん――たった一つのかけがえのない命を除けば、アイネとクライの奮闘によって、大きな被害は免れていた。


 村人たちの手によってすぐさま葬儀が執り行われた。


 埋葬の場所に選ばれたのは、村の外れにある小高い丘。

 村の墓地として昔から使われているというそこには、見晴らしのよい静かな空気が流れていた。


 白布で包まれた老婆の亡骸は、野の花とともに木の棺に納められ、掘られたばかりの墓穴の傍にそっと置かれている。

 クライはその傍らに立ち、おばあさんを想うとともに、父や自分の村で犠牲になった人々のことを重ねていた。

 アイネもまた、無言でその場に立ち尽くしていた。


 親しかった村人たちはすすり泣き、子どもたちは母の手を強く握っていた。


 神に祈りが捧げられ、やがて村人たちの手によって、棺はゆっくりと墓穴へと下ろされた。

 静かに土がかけられていくその音が、丘の上の静寂の中に淡く響いていた。

 やがて、花束がそっと手向けられる。空には、雲の切れ間から陽光が差し込んでいた。




 お昼は村長の家でご馳走になることになった。


「お礼だから。どうか遠慮しないで」


 村長の妻の言葉に、今回ばかりはクライも素直に頷いた。

 食後、ふたりは村長とともに馬小屋へ向かい、状態の良い馬を一頭選び、飼い葉を分けてもらった。


 出発前には、村人たちが集めた依頼料とともに、おばあさんの孫宛てのお悔やみの手紙が手渡された。


 ギルドへの正式な依頼報酬に加えて、ほんの気持ちですが……とアイネ達への謝礼の金銭も包まれていた。


「……あらためて、本当にありがとうございました」


 アイネは無言でそれを受け取り、クライは深く一礼した。




 馬の背に乗るのは初めてだったクライは少し慌てたが、アイネの前に乗せてもらい、彼女の手元で手綱の扱いを学びながら、村をあとにした。


 背後に小さくなる村を見ながら、クライは静かに心に誓っていた。


 叫んだのに、誰にも届かなかった。

 助けたくて、守りたくて、声を張ったのに。

 誰も僕を見ようとしなかった。子どもだから、見知らぬ顔だから――ただそれだけで。


 でも、だからって。

 だからって、おばあさんが死んでもいい理由にはならないんだ。

 無力でも、ちっぽけでも、信じてもらえない声だとしても。


 いつか、ちゃんと届く声になりたい。

 それは、ただ剣が振れるとか、魔法が強いってことじゃない。

 “誰かを守りたい”って気持ちが、誰かに伝わる力が――僕には、欲しい。


 ――あのときの自分じゃ、守れなかった。

 だから、もっと強くならなきゃいけない。


 アイネのように、いつかきっと。






 * * *


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。

ご感想や評価などいただけると、今後の励みになります。

もちろん、読んでくださるだけでも十分嬉しいです!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る