陽だまりツーリング
そろそろ木枯らしが吹く季節になってしまったけど、コータローの実家へのツーリングだ。ルートはシンプルで、新神戸トンネルを抜けて、御坂神社のところからひたすら道なり。故郷に帰るの自体が久しぶりだな。
「ツーリングのコースにも使わんしな」
たしかに。あそこを曲がるのだけど、あれっ、
「食料品店はやめたみたいやな」
コータローは知らなかったのか。小さめのスーパーみたいな食料品店だったけど、今はお惣菜屋さんだったはず。神戸電鉄を潜ると車庫が見えて来るのは変わらないな。そこから坂を登って行くと金物神社が見えて来て、ありゃ、校舎はだいぶ取り壊されてるな。
あそこは大昔に高等女学校があったとこで、千草が知ってる頃は工業高校の分校だったかな。それも怪しいな。そういう分校であったと聞いたぐらいだったかな。古い木造校舎だったけど市役所の分室みたいなのがあったんだ。
そこに美術館や図書館が作られてるのだけど、木造校舎の方は取り壊されて、あれはコンクリートの基礎みたいだから、またなんか作るのかな。コータローはその敷地の中に入って行き、
「こっちに停めさせてもろとこ」
賛成。コータローの実家の前はかなり急な坂だから、バイクは停めにくいのよね。歩いて行くと門の前に着いたけど、おいおい、勝手に入って良いのかよ。
「昔からこうでもせんと入れん家やねん」
なんか狭苦しいな。そっか、あの頃より植木が大きくなってるからか。
「千草も大きなったからやろ」
それはある。子どもの視線と、大人の視線は違うもの。この母屋の横を通って奥に行く道は見覚えあるけど、見えて来たのが建て直した洋館か。叔母さんが歓迎に出てくれたけど、
「千草ちゃんのエプロンはありました」
あったんだ! なんて可愛いサイズだよ。これでもあの頃は大きめだったんだよね。でも覚えてる、覚えてる、まさしくこれだ。懐かしいな。どうも母屋の箪笥の奥にしまってあったらしい。よく見つけ出したものだ。
おママごとセットは叔母さんによると母屋にはなかったそう。そうなると、あの納屋になってくるけど、南京錠が錆びついたみたいで開かないんだって。それぐらい、長い間誰も開けてなかったってことなんだろうけど。
「ここにハンマーを用意しています」
それって南京錠を壊して入れって事よね。
「どうぞ壊して入って下さい。後で納屋の鍵の付け替えをしますから」
開かずの納屋では無用の長物だから、叔父さんと話し合って、この際に納屋の整理と錠の付け替えをすることにしたのだとか。叔父さんは用事で不在らしくてコータローに開けて欲しいの話だ。
コータローが鍵をぶっ壊して入ったけど、うわぁ、埃だらけだ。タオルを姉さん被りして、マスクを装着し軍手だ。これは見つかりそうにないな。おもちゃだから捨てられたのだと思うよ。
千草がトイレ休憩に行ったら、叔母さんに呼び止められてお茶休憩にさせてもらった。そろそろコータローもあきらめて戻って来るだろ。叔母さんも近所だったから知ってる仲なんだ。だからあれこれ話をしていたのだけど、
「あったで」
埃まみれのコータローが手提げ袋を持ってきた。それだよ、それ。そのナイロンの手提げ袋に入れてたんだ。コップでしょ、お茶碗でしょ、お皿でしょ、お鍋でしょ、包丁でしょ、まな板でしょ、フライパン返しでしょ、それにお箸とフォークとナイフとスプーン。全部残ってたんだ。
「初めて千草の手料理を振舞ってもらったやっちゃな」
泥をこねたご飯と、雑草のサラダ、泥水のお味噌汁、ハンバーグも作ったっけ。
「どうして食べてくれないんだと千草が怒ったんや」
それがおママごとでしょうが。
「あれから、ちゃんと食べれるものになるのに三十年もかかると思わんかったわ」
そうなるか。それにしても、こんなにちっちゃかったんだね。そう言えばコータローに初めて作った手料理もハンバーグだったはず。
「泥団子やなかったで」
庭も見て回ったけど、力いっぱい走り回ってたはずなのにこれぐらいだったんだ。ここには小さいけど池もあったはずだけど埋められちゃってるね。このブロック塀も苦労して攀じ登って遊んでた。
でもここはコータローとの最初の縁を育んだところだよ。さすがに愛とは言えないけど、ここで二人が遊びまわってたから今があるんだもの。これも考えてみれば不思議なもので、ここで一緒にコータローと遊んでなかったら今はなかったはずよね。
「ああ、そうなってまうか。そしたら、千草と言う最高の女に巡り合うこともなく死んで行ったんやろな」
コータローなら千草より良い女と結婚出来てるよ。でも千草はそうじゃない。たまたま同い年に生まれて、近所に住んでいて、仲良しになれたからこそ今がある。どれ一つ欠けても行かず後家だった。
運命が織り成す綾って不思議すぎる。あの頃に恋や愛なんて知らずに、ただ仲良しだからずっと一緒に居て、ずっと遊んでいたいの想いが、三十年越しにまた繋がるなんて誰が想像できるだろう。すると叔母さんが微笑みながら、
「コータローが千草ちゃんと結婚するって聞いてみんな驚いてましたけど、きっとそうなるって思ってましたよ」
そんなに仲良さそうに見えたんだ。
「今でも覚えてますよ。コータローが引っ越しする前にエプロン姿で、コータローのお嫁さんになるから行かないでって泣いて叫んでいましたもの」
えっ、そんな事をホントに言ってたの。いくらなんでもあの頃にお嫁さんなんて言葉を・・・その時にまた懐かしい記憶が一つ甦って来たんだ。コータローとの別れの少し前に千草の叔母の結婚式があったんだ。その時にリングガールやったのよね。
たぶんだけどリングガールは無難に終わらせたはずで、そこから披露宴になる。でさぁ、これって何やってるのかわからなかったんだよ。だから親父に聞いたんだ。結婚して夫婦になると言われてもピンと来なかった千草に、
『お嫁さんになれば、ずっとあそこの二人は仲良しでいられて、ずっと一緒にいられるんだよ』
千草の質問に困った親父はこれぐらいの返事をしたはず。あの頃の千草はお嫁さんと言うものになれば仲良しでいられて、ずっと一緒に遊んでいられるぐらいに理解したぐらいかな。だからコータローと離れ離れになるのが悲しかった千草はそう言ったのかも。
「待たせてもたんは謝っとくわ」
いいよ。再会だってあのチャンスしかなかった。あの中学の同窓会もコロナ禍がなければ三年早く開かれていた。だったらコータローと再会し結婚するのが三年早まったかと言えばそうはならないんだよ。
そもそも三年早ければ千草だって、コータローだって出席していたかどうかも怪し過ぎる。さらにだ、三年早ければ、たとえ出席していてもコータローは絶対に千草に関心を抱かなかったのは断言しても良い。
「いや、三年早くても」
お前は誰に向かって物を言ってるんだ。三年早ければコータローには前の彼女がいた。それもだぞ、トップモデルの朝凪カグヤだ。コータローと朝凪カグヤがあのまま結婚しなかったのはまさに奇跡だぞ。
カグヤとも偶然の出会いからお泊りマスツーまでさせられたじゃないか。だからカグヤも知ってる。美しさで言えば月とスッポンどころか、一円玉にも遠く及ばないぐらいだ。性格もひたすら嫉妬しかしなかったけど悪くない。
それより何より、ひたすらコータローを慕ってたし、千草の知らないコータローも良く知っていた。あの時だって、何年かぶりでの再会のはずなのに、距離感のなさに驚かされたんだから。あんな女にどうやったら勝てると言うんだよ。
「そやからカグヤは好みやあらへん言うたやろが」
コータローの好みの女って、ずっと考えてたけど初恋のマドンナの存在がややこしかった気がしてる。あのマドンナはそれこそ小学校からの幼な恋まで含む延々たるものだったはずなんだ。
本格化したのは高校入学後で良いと思うけど、どう考えたって五年以上は思い詰めていた初恋だから、どうしたって好みの女と聞けば出て来るんだと思うんだ。とくに男にとって初恋の人のインプレッションは死ぬまで残るって言うじゃない。
だからコータローの好みの女はマドンナの延長線上にあると考えてた。どこか似た人とか。面影がある人ってやつ。もっとシンプルに言えばマドンナを理想のモデルとし、そこにちょっとでも近いのが好みの女だろうだ。
けどね、コータローの好みはとにかく狭いんだよ。狭いどころか、外れたらまったくに近いぐらい恋愛感情を抱かないのよね。コータローの恋愛遍歴をすべて知ってる訳じゃないけど、わかりやすいのなら村岡の女だ。
見た事ないけど人並程度は余裕の美人で良さそうだし、気が合うのも丸わかり。なにより女の方が一途って感じで距離を詰め、据膳にまでなっているのに手を出していないどころか、未だにそういう恋愛感情を持たれていたことさえ気づいていない。
カグヤだって、まさかと思うけど手を出していない可能性だってゼロじゃない。カグヤなんて同居までしてるし、美貌で言えばトップモデルだ。カグヤもまたコータローを慕いまくっているのはアホでもわかる。
村岡の女もカグヤもマドンナ基準で弾かれたと見ることは出来ない事はないけど、だったらどうして千草は合格なのが完全に理解不能なんだよ。そこでやっと気づいたのだけど、マドンナは好みの女ではあるけど、コータローにとっては過ぎ去りし思い出の中の好みの女で良いはずなんだよ。
初恋まで付くマドンナではあるけど、コータローにとって別れが辛すぎたんだ。辛すぎたあまりに以降の好みの基準が変わってしまった見るべきだ。それが、
『一緒にいて楽しいこと』
これってマドンナとの別れの辛さのために、マドンナと過ごした時間が悲しくて苦い時間に変わってしまった反動みたいなものかもしれない。でもさぁ、この基準が重視されたとしてもおかしいのよ。
カグヤも村岡の女も一緒にいて楽しかったはずじゃない。村岡の女なんてとくにそうだ。なのにコータロー的には頭から不合格だ。だから楽しいはあくまでも十分条件で、これ以外に必要条件があるというか、その必要条件がコータローにとって絶対的な基準になってるはずだと思うのよ。
それは相性だ。当たり前そうな話だけど、コータローは相性に理想モデルを抱いていて、これは結果としてそうだとしか言いようがないけど、子どもの時に千草と遊んだ相性の良さなんだ。
そんな基準がいつ頃に出来上がったのかはわかりようもないけど、村岡の女の頃にはそれなりにあったはず。つうかさ、村岡の女と何年付き合っていたんだろ。入学して一年ぐらいとしても四年ぐらいはありそうな感じなのよね。これは推測でしかないけど、村岡の女と付き合ううちに形成されていった気がするかな。
これねぇ、どう考えてもトンデモ基準なんだよ。だって相性が良くて一緒にいて楽しいを満たしても不合格になってるじゃないの。だってそうでしょ、コータローの理由は不明だけど、千草との相性の良さ以外は恋愛対象から除外してしまってる。
けどそう考えると話の筋は通るのよ。ご本尊の千草に再会したことで、コータローが探し求めていた相性の良さを感じ熱愛に突っ走ったぐらい。
「そやから千草は最高の相手やねん」
そうなってしまうのだけど、千草だって、コータローだってあの頃と同じじゃない。三十年だぞ。それでもここまで引き寄せあうものがあって本当に良かったと思ってる。普通はさ、ご本尊なんて会ってしまえばイメージとのギャップで失望しか残らない方が多いだろうが。
これってさ、千草に都合の良いように解釈してる部分はあるけど、運命の織り成す綾は、三十年の歳月をかけてコータローを千草しか恋が出来ない男に変えてしまってるように見えるのよ。
やっぱりコータローは神が作り与えし千草にのみ都合の良すぎる唯一の男だ。これ以上の幸せなんてこの世にあるものか。そうとわかれば今夜も裸エプロンで頑張るか。今夜はなにがなんでも欲しいもの。
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