トコトコ教の秘奥義

 船室に戻って思ったのだけど、コータローはいつから秘奥義を発動させてたの。


「オレとこにも打診があったからな」


 やっぱりあったのか。無難に断っていたそうだけど、食い下がられていたみたい。コータローに責任転嫁は無理だろうけど、これもまた、


『全力は尽くした』


 これの一環ぐらいかな。コータローは少しでも危ないと思えば敬遠する小市民感覚が身上だけど、田口プロデューサーの勢いからして手を焼きかけていたぐらいで良さそうだ。


「しついんよな」


 社交儀礼として誰だって角を立てなくない気持ちがあるじゃない。日東テレビの仕事だって受けるものは受けてるところはあるのよ。下手に角を立てるとシャットアウトになるのを避けたいのはわかるよ。


 そういう中途半端な姿勢を取れば、そこに喰らいつくのもああいう人たちの交渉術ってのも良くわかった。そっか、そっか、だからあの時にあっさり謝罪を受け入れて引き下がったのか。あんな謝罪すら交渉のチャンスとするぐらい強かな相手みたいだものね。


「石見銀山の時は怒ったんはウソやない。そやけどレミと石川ジョージなんは見たらわかったから、時の氏神は必ず来るやろ」


 さすがは歩く陰険だ。売られた喧嘩は買うけど、きっちり落としどころを計算してるのよね。ちょっと待った、ちょっと待った、それって喧嘩を売られたのが日東テレビだって知ってたの。


「そんなんあの二人が石見銀山におるだけでわかるやんか。オレにしたら、千草に喧嘩売ってくれたから、永遠の閃光の仕事から手を引く理由が出来たぐらいや」


 コータローが千草をとにかく大事にするのは有名になってるみたいなんだ。完全にタブー状態で、これを犯せばコータローは即座に過激なぐらいの反応を見せてくれる。でもその反応に誰も反論出来ないのがミソかな。だって、


『愛する妻を侮辱したからには、殺されたって文句は言えん』


 これはとにかく強力だと思う。だってさ、その程度は我慢するものだなんて言おうものなら、


『お前のとこの奥さんは侮辱され放題でエエんやな。オレはそんな情けない男やないで』


 実際それぐらい血相を変えてコータローは反応するのだけど、あれって本当に怒ってるのかわかんない時があるんだ。口調や態度は間違いなく喧嘩腰なんだけど、言葉の内容は字にしてみると一線を絶対に越えていないし、手を出したこともゼロなんだ。


 石見銀山の時がわかりやすいけど、もめ事になっても落としどころまで計算し尽くして怒っているとしか思えないんだもの。だから石見銀山のトラブルだって、千草を日東テレビが侮辱したって話にして、メンドウな仕事を断れたぐらいで心の中ではせせら笑ってた気がしてる。


 そうなるとリターンマッチになった湯田温泉の構図がわかりやすくなるのよ。田口プロデューサーの驚きは演技でもなんでもなく、本当にそうだったんだろうな。選りもよってコータローのタブーを犯しているから、そりゃ、怒りまくるだろ。


 これでコータローへの仕事依頼がどれだけ難しくなったかと思うと、まさに目の前が真っ暗になったはず。レミと石川ジョージはそんなタブーなんて知るはずもないから、どうしてあれほど田口プロデューサーが怒ったかわかんないだろ。


 コータローにしたら千草へのタブーを犯した件を自分で言わなくて済んだから、内心はそれこそニンマリだったはずよ。これでもかってぐらい陰険なんだよね。だってさ、石見銀山の時に手を出していたらこうはならないじゃない。


 喧嘩両成敗って事になって、千草を侮辱した謝罪を受ければ、手を出してしまった事への謝罪が必要になるだけじゃなく、仕事依頼を断りにくいと言うより、受け入れざるを得なくなるはず。だって手を出せば暴行罪になるのが重いもの。


「ジハドのトドメになったんちゃうか」


 レミも石川ジョージもそれなりの人気はあるけど、


「千草の因縁の相手のレミは賞味期限が来てるやろ」


 まあ、そうなる。レミは生まれついての美貌で芸能界に地位を築いたけど、なんだかんだと言っても千草と同い年だ。女優として美貌だけで地位を保つ限界だろ。こればっかりは男女は平等じゃないからね。


 若さと美貌で伸し上がったものは若さと美貌に敗れるのが芸能界でもある。既に若さは失われた。そうなると美貌しかなければ若いのに取って代わられてしまう。この辺はギャラだって若い方が安いのも確実にあるものね。


 おそらくレミは遠からず一線から退かされていたはずだ。レミは美人だが、あのクラスの美人は芸能界では特別扱いされるクラスじゃない。それこそ幾らでも代わりがいるクラスだもの。


 それでも生き残りたいのなら・・・わかんないけど演技力を磨くとか、脇役にポジションチェンジするぐらいが思いつくけど、そうやって生き残れる女優ってどれだけいるのかなって話だ。


 今回の件はトドメになったとは思うけど、せいぜい一年か二年寿命を縮めたぐらいだろ。まあ自分で墓穴を掘って縮めたから良い気味だぐらいは出来るかな。そうだな、フェードアウトの道ぐらいは断てたかもしれない。それぐらいの因果応報はあっても良いと思うよ。


「石川ジョージとの結婚でイメチェン考えとったんかもな」


 その線はありそうだ。潮時を考えた女優の常套手段が寿引退だ。本当にそのまま引退するのもいるけど、そこからママドルとして復活を狙うのも多いもの。そのためには夫が男性芸能人であり、人気だってあるのは必須の条件だ。石川ジョージの人気はまだ上り坂だよね。


「今回の件でも生き残ると思うで」


 石見銀山の時だってレミの尻馬に乗っただけだし、湯田温泉の時も何も口を出さなかったぐらいの賢さはあるみたいだもの。一時的には干されるだろうけど、時間を置いて復活しそうだ。


 これも芸能界の慣例と言うか因習と言うかだけど、番組とかの出演も縁故みたいなグループはあるのよね。事務所繋がりなのはわかりやすいけど、個人的な交友関係的なものも隠然として存在する。いわゆるなんたらファミリーってやつ。


 レミもそんなファミリーの一員であり、石川ジョージはそのファミリーに入るためにレミに接近し熱愛関係になり、ファミリーの一員として出演チャンスをつかんだぐらいで良いはずなんだ。


 ここでレミが凋落したらどうなるかだ。芸能界なんて打算の集団の側面が強いはず。レミに関わり過ぎると、自分にも悪影響があると判断されればファミリーから切られるはず。誰だって自分が一番かわいいもの。同様の判断を石川ジョージもするはず。利用価値がなくなれば、


「石川ジョージの方が五つぐらい下やろ。そうなってもたら単なる年上のオバサンに過ぎひんやんか」


 あの二人は熱愛関係ではあるけど。二人の間にあるのは計算尽くの愛情だけのはずなんだ。結婚してママドル復活を狙わせるのだって、そうすることが自分のメリットになるって計算出来るからのはずなんだ。


「後は切り捨て方やろうな」


 ここも用済みになったからすぐに切り捨てたになるとイメージが悪くなるかな。芸能界の倫理と世間一般の倫理は乖離してるけど、ファンが期待しているのはあくまでも世間一般の倫理に基づく態度と行動になる。


 もっともだけど、こうなればレミはレミで石川ジョージを捕まえておかないと復活の芽が無くなってしまうから、ひたすらしがみつこうとするはず。さて、どうするんだろ。


「事務所次第ちゃうか」


 これまたドライだ。事務所が石川ジョージの活用価値を認めていたら、レミから手を切った形にもって行ってくれるのか。


「それぐらいやったらカネで解決すると思うで」


 落ち目のレミに手切れ金を渡して話を付けるってやつだな。それはありそうだ。まあ、御勝手にだ。これから本当はどうなるかは過ぎてみないとわからないけど、コータローはどこも傷を負ってないどころか被害者面出来るんだよね。


「当たり前や、オレは筋金入りの小市民や」


 これだけの事を、秘奥義の黙って見送るジハドでやってのけてしまう使い手なんだ。考えようによっては敵に回すと怖い男だと思う時があるもの。千草にしても、あれぐらいで気が済んだ部分もあるけど、ここで残るのは千草だってレミと同い年なんだよ。


 千草にはそもそも美貌は無くて、あるのは生まれ持ったブサイクだけ。ブサイクに若さが失われれば、それこそ何も残らないじゃない。さらに夫婦のカスガイに出来るはずの子どもも生まれない欠陥品だ。


「オレはな、打算や、計算や、損得で千草と結婚したんちゃうねん。千草やったら最高に楽しい生活が出来ると確信したからや。その確信は間違いやなかった。それとオレは子どもが大嫌いや。何べんも言わすな」


 子どもの件は本当にゴメン。それでも楽しいって初めて聞いた理由だな。


「千草は楽しないか。オレは毎日がウソみたいに楽しいで」


 千草も楽しいけど、


「それ以上の理由がこの世にあるか。いくらウルトラ美人と結婚したかって、ツマランかったらシンドイで。そんでな、ツマラン相手と思い出したら、ブスどころかバケモノに見える」


 なるほど。言わんとするところはわかるよ。言い換えれば気が合うってやつだろうな。夫婦生活って、なんだかんだとベッタリ一緒だから、過ごす時間が苦痛に思い始めたら、いわゆる溝ってのが出来る気がする。


 溝が出来ればお互いの心は冷えるだけになるし、冷えた相手と過ごすのは苦痛になるし、それこそバケモノに見えるのかも。さらに冷えた心を温める相手を求めるようになり不倫に走るのかもね。


 コータローとは一緒にいるのが当然になってるだけじゃなく、一緒にいないと寂しいぐらい。これでも足りないな。一緒にいるのがとにかく楽しくて、楽しくて仕方がないもの。そんな楽しくなる相手が夫婦なら、アバタもエクボなんてレベルをはるかに越えるのかもしれない。


「その上があるやんか。あれこそサプライズや。とにかく千草のとこは夢の極楽パラダイスやんか。これほどの女を手に入れるためやたらなんでもやるのが男や。千草はな、どこを取ってもオレにとっては最高の女やねん」


 コータローが千草に魅かれたのは、こんな単純な理由じゃないのはわかってるつもり。あの中学の同窓会で声をかけたのだって、あれは純粋の懐かしさだったはずだもの。そりゃ、四歳からの幼馴染だもの。


 あのシチュエーションで昔話に花が咲いても、それが同窓会だ。ただ結果からわかるのは、あれこれ話をしているうちに、千草の何かに魅かれたのだけは間違いない。その一つの要素が一緒にいる楽しさだったんだろうな。


 千草も楽しかったもの。いや、今だって楽しくて、楽しくてだもの。そうかもしれない。コータローに魅かれたのも楽しさは間違いなくあった。こんな楽しい時間を過ごせる相手と少しでも一緒にいたいって。


 あははは、原点はやっぱり幼馴染かも。そりゃ、四歳の記憶なんて断片的も良いところだけど、美化されているとは言え、覚えているのは楽しい記憶だけ。夕方になって家に帰るのが辛かったのは妙に覚えてるもの。


 さすがにあの頃に幼な恋のカケラもなかったけど、ずっとコータローと一緒にいたいと思ってた。そうだ、そうだ、あれ覚えてるかな。コータローの家にお泊りした時のこと。


「覚えてるで。なにして遊んだかは忘れてもたけど、次の日に千草が帰る時が大変やったもん」


 覚えてたか。次の日もコータローの家に泊まるんだって駄々こねて、泣いて喚いてたものね。なんかさ、このままずっと一緒にいたいって思ってたんだ。さすがに四歳だからやらしい意味はなんにもなかったけど、とにかく一緒にいるのが楽しかったもの。


「千草は忘れてもたみたいやけど、オレの引っ越しが決まった時に・・・」


 覚えてるよ。引っ越しって意味がなんとなくわかった時に、千草も行くなって頑張ったんだ。


「忘れてへんかったんか。なんか、ずっとオレも引っかかっとってん。あれからあれこれあったけど、やっとそうなれたんや」


 そうかも。でなんだけどさ、今日は旅行最後の夜じゃない。湯田温泉は藤島監督と同部屋だったから燃えることが出来なかっただよ。千草の悲惨なローストヴァージンの主犯にもケリを付けられたから今夜は欲しい。


「千草・・・・」


 夫婦の時間だ。

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