夕食

「千草、今日は長風呂やったな」


 ゴメン、ゴメン。さてお食事処にGOだ。ここはテーブル席だ。風情なら座敷の方が良いけど、ラクなのはテーブル席かな。あれも座椅子があればまだ良いのだけど、なければ女は正座だもの。


 女が足を崩したって良いようなものだけど、やっぱりそこまで女を捨てられるものじゃないよ。そんな事はともかく、懐石で海鮮だ。湯田温泉は山の中にはなるのだろうけど、海だって遠くないし、なにより県庁所在地だから交通の便も良いはず。


「カンパ~イ」


 ビールが喉越しに沁みる。そうそう藤島監督はビール党。それもかなりどころじゃないほど飲むんだ。うちに日参してた頃は夕食から飲み始めて、そこからだって延々と飲むものだからビールの調達が大変だった。


 千草やコータローもビールを飲むけど、ビール一辺倒じゃないのよね。料理合わせて日本酒やワイン、紹興酒だって飲むし、ウイスキーだって好きだよ。焼酎はそんなに好きじゃないかな。


 そういう状態でバカスカとビールを飲まれたら足りなくなるのよ。最初の頃なんて千草がビールを買いに走ったし、連日来るとわかってからはゴッソリ買って冷やしてた。というか、冷やす場所が足りなくなって二台目の冷蔵庫まで買う羽目になったぐらい。


 二台目の冷蔵庫は今ではお酒専用になって無駄にはならなかったけど、そこまでして招かざる客の歓待が必要なのかって疑問に思ったぐらいだったもの。とにかく飲むのも、食べるのも、アポなし手土産無しで他人の家に訪問するのに遠慮と言うものが無い人だった。


 こうかくと傍若無人と思うだろうし、実際にもそういうところもあるのだけど、話しているとわかるのだよね。あれは本当の映画バカだって。よくもまぁ、あれだけ映画の事だけをエンドレスに話せるものだと呆れ果てるぐらいだったもの。


 藤島監督の頭の中にはホントに映画しか無くて、すべての世界が映画を中心に回っているだけ。だから自分の映画が少しでも良くなるためなら、なんだって出来るのじゃないかと思ったぐらい。あれぐらい純粋に情熱を燃やせるから、あれだけの映画が撮れて、あれだけのヒットを飛ばせるのだろうって。


 藤島監督はコータローを年下なのにあれだけ立てるのだって、藤島監督が望むイラストをコータローが描き上げたからのはず。コータローはその仕事を引き受けるのを渋ってたのよ。だって藤島監督が自ら訪問して来ても門前払いにしそうなぐらいだったもの。


 一日がかりで口説き落とされたのだけど、そこからのコータローも凄かった。あの頃は幾つも仕事が重なっていて、手が回らなかったのも引き受けなかった理由の一つだったのだけど、それらを全部後回しにしただけじゃなく麻酔科医のフリーターの、


「フリーターやのうてフリーランスや」


 似たようなものじゃないの。そっちも全部断って集中してたもの。


「そんなもん付け馬が家に居座ってるようなもんやから、こっちを先に終わらせんと他の仕事が出来へんやんか」


 たしかに。食事代やビール代がひたすらかさむだけじゃなく、夜遅くまで居座られたから愛し合うのもお預け状態にされたものね。


「仕事ぶりに感心させられました」


 さすがは藤島監督だ。コータローは仕事となると鬼になる。マンションにいるだけで鬼気迫るものを感じるぐらい。それぐらい集中するし、息をするのも気を使う状態になるんだよ。出来上がった作品は満足してくれた。


「あれこそ神が作ったマスターピースです」


 おおげさだ。でもこれも後から知ったようなものだけど、この手のもので藤島監督が一発OKのものは無いと言うより、あり得ないそうで、何度も何度もやり直しさせて、たいがいは時間切れになってやむなく妥協の産物みたいなOKが辛うじて出るぐらいらしい。


 あの手の天才って何を考えてるかわかんないところがあるけど、藤島監督のコータローの評価は年下とか、畑が違うなんて気にもしていなくて、単に才能へのリスペクトがすべての基準みたいで良さそうな気がする。ところで津和野であれだけ怒ったのは、


「あんなもの映画人として常識以前のお話です」


 藤島監督の考える映画みたいな話だけど、映画って産業は観客に見てもらい、おカネをもらって食べさせてもらってる商売だそう。これはまた、すんごい割り切りだけど、根本原理はそうなりそうだ。


 映画がヒットする要因はあれこれあるだろうけど、その中に宣伝はあるのは間違い無いとは思う。藤島監督のポリシーとしてロケ撮影もまた宣伝の一環としているみたいで、


「当然です。ロケ撮影は客になってくれる可能性の人に見られながら行われます。その見ている人に、どんな映画になるのだろう、これだったら出来上がったら見てみたいと思わせるのがどれだけ重要か」


 どうも藤島監督はこれを徹底しているみたい。ロケ撮影を見ている人は公開後の客だけじゃなく、クチコミ宣伝になってくれる人として大切に扱わなければならないぐらいかな。この辺はSNS時代になっているのも大きいかも。


 SNSってとにかく怖いところなのよね。スマホが日常品になってしまってるから、どこで誰に撮られてるかわからないし、有名人じゃなくて失態を犯せばすぐに上げられてしまう。


 上げられて火でも着こうものならまさに大騒動になる。会社の社長が謝罪記者会見に追い込まれるだって珍しいと言えないし、対応をしくじれば業績だって傾くぐらい。下手すりゃ、倒産なんて事さえありえるぐらいだ。


 個人だって容赦がなくて、勤め先から住所まで特定されて、そうなったら迷惑系ユーチューバーが押し寄せて来るなんて事さえ起こりうる。やり過ぎ批判は常にあるし、千草もそう感じることはあるけど、まさに手が付けられない状況になる時はなってしまう。


 なにより恐ろしいのは情報が瞬時に拡散してしまう点で、法的措置を駆使しても世界中に広がってしまい、イタチごっこでお手上げ状態にもなるって言うものね。デジタルタトゥーとは言いえて妙だと思ったもの。藤島監督はそんなSNSの負の面も良く知ってるぐらいかもしれない。


「映画は偉大な芸術ですが、それを撮っている人が偉いのではありません。そこを勘違いしている輩が多いのに、映画人として常に嘆かわしいと考えています」


 自分の教え子みたいな人が監督しているのに、邪険にされたのに激怒したってことか。映画のロケ現場なんか滅多に見ないからわかんないけど、テレビクルーの態度の悪さは今や定評みたいなもの。池尻って人も藤島監督の下で働いていた人だけど、テレビ業界の態度の悪さを身に着けてしまったのかもしれないな。


「今夜は悪いですが後始末にお付き合いください」


 げっ、田口プロデューサーが挨拶に来るって言うの。千草たちは関係ないから、


「石見銀山の一件も含めて挨拶したいとの事です」


 あちゃ、そっちも知っているんだった。テレビ局どころかメディアグループが総力を挙げて取り組んでいるビッグプロジェクトだから、この場でケジメを付けときたいの趣旨だろうけど、なんか鬱陶しいよ。


 だってさ、千草とコータローのやっているのはツーリングだもの。旅行としても良いけど、どうしてこんな厄介ごとに巻き込まれなくちゃいけないのよ。それもさ、こっちは何にもしていないのに、向こうから絡んで来た貰い事故みたいなものじゃないの。


「面倒やな」

「すみません」


 レミを呪ってやる、祟ってやる。

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