『恋なんてするわけがないと思ってた』

KAORUwithAI

第1話いつも通りの帰り道

会社帰りの足取りは、いつもと変わらなかった。

最寄り駅から自宅までの一本道。途中にあるコンビニで、適当な夕飯と缶ビールを買って帰るのが日課だった。


繁華街からは少し外れた住宅街の入り口に、その店はある。

明かりは蛍光灯、店員は無愛想、品揃えも可もなく不可もない。だがこの「どうでもいい感じ」が、相川 誠にとっては居心地がよかった。


仕事に熱意なんてない。

上司には逆らわず、同僚とは適度な距離を保つ。恋愛なんて面倒なものにも、ここ数年、縁がない。


「揉め事なんて、関わった時点で負け」

それが相川の人生観だった。


だから、その日


コンビニの入り口前で、制服姿の少女が数人の不良たちに囲まれている光景を目にした瞬間、

本来の自分なら、見て見ぬふりをして通り過ぎていたはずだった。


だが、足が止まった。

しかも、声まで出していた。


「おい、やめとけよ」


自分でも、なぜそんなことを言ったのか分からなかった。

不良たちがこちらを一斉に睨みつけた瞬間、心臓が跳ね上がった。


「は? なんだよ、おっさん」

「邪魔すんなや、チビ助がよ」

「消えろよ、ブサイク」


口々に投げられる罵声。

だが彼女制服姿の少女は、怯えたまま身動きも

取れずにいた。


言わなきゃよかった。

引き返せない空気の中で、相川は思った。


そして、次の瞬間。

頬に熱い衝撃が走った。


一発、殴られた。

転倒。地面の硬さが背中に響く。


「おっさん、二度と口出すなよ。マジで」


追い打ちをかけるように、靴のつま先が脇腹を軽く蹴っていった。

だが幸い、それ以上の暴力は加えられなかった。

遠くで、誰かが「警察呼んだぞ!」と叫ぶ声がして、不良たちは慌てて走り去っていく。


呼吸が苦しい。

鼻の奥がツンとし、目が潤むのは、痛みのせいなのか、悔しさのせいなのか。


そして

「……あの、だ、大丈夫ですか?」


震えた声が、耳元で響いた。

さっきの少女が、心配そうに覗き込んでいた。


小柄で、黒髪が揺れている。

制服のリボンが、かすかに血のついた彼のスーツに触れた。


「……顔、怪我してます。病院……行きましょう、今から……」


彼女の真っ直ぐな瞳に、相川はなぜか逆らえなかった。



彼女に手を引かれながら、相川は駅前の小さな救急病院へと向かった。

歩くたびに脇腹が痛む。頬の腫れもズキズキする。けれど、それ以上に困惑していたのは、彼女の存在だった。


「……ありがとう。助けてくれて」


ベンチで受付を待っている間、彼女はそう言った。

あどけない笑顔で、でもしっかりと相川を見つめて。


「助けたっていうか……殴られただけ、だし」

相川がぼそりと返すと、彼女はくすっと笑った。


「それでも、誰も声かけてくれなかったもん。怖かった、ほんとに」


軽い打撲と診断され、湿布と飲み薬をもらって診察室を出る頃には、夜風が涼しくなっていた。

病院の出口を出ると、彼女はまだそこにいた。


「……名前、聞いてもいいですか?」

「え?」


「私、三浦 咲(みうら さき)っていいます。高校三年生です。今日はほんとにありがとうございました」

そう言って深く頭を下げたあと、今度は相川をまっすぐに見つめてくる。


「おじさんの名前、知りたいです」


おじさん、という言葉に相川は少し傷つきつつも、観念したように答えた。


「……相川。相川 誠。普通の会社員」


「じゃあ、相川さんですね。覚えました。……また、会えますか?」


「……いや、あの、そういうのは」


「近所なんです。私、この近くに住んでて、駅まで毎朝歩いてるんです。……だから、もしまた会えたら、そのときはちゃんとお礼、させてくださいね」


そう言って彼女は、ぺこりと頭を下げると、すっと走り去っていった。


静かになった夜の道に、相川は取り残されたまま、ただぽつんと立ち尽くす。


なんなんだ……いまの子。

助けただけ、だよな。関わったの、ほんの数分。

それなのに、なんで


なぜか、心の奥がざわついていた。



そして翌朝。

いつものように、スーツにネクタイ、無精髭のまま玄関を出ると。


「おはようございます、相川さん!」


目の前には、昨日の少女三浦 咲がいた。

制服姿で、笑顔で、手を振っている。


「駅まで一緒に行きませんか? 朝の道って、ひとりだとつまんないですよね!」


……これは、どういうことだ。

何かの罰ゲームか、それとも、夢か。


いや、現実だった。

ここから、相川の「日常」は、少しずつ形を変えていく。


それはまだ、恋でもなんでもなかった。

ただ、踏み込まれてしまっただけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る