第25話 ファントム
0時ぴったり。
マリーは椅子の背もたれに全体重を預けたまま、深いため息をついた。
「なんで私がこんなことに巻き込まれれないといけないの……」
ギルド長・バスコは無言のまま机に肘をつき、窓の外を見ていた。
部屋は静かで、針の落ちる音すら聞こえそうなほど。
――そのとき。
「ひゃっ!?」という小さな悲鳴が漏れた。
突如、マリーの頭上から、ヒラヒラと紙が落ちてきたのだ。
バスコがそれをキャッチし、さっと目を通す。
そして舌打ちひとつ。
「チッ……。あとは任せた」
「……はい?」
マリーは間抜けな声を漏らす。
急に何を言い出すんだこの人は、と思いながら、ギルド長から渡された紙を読む。
「『ギルド長は退室せよ。話はそこの女性とのみ行う』……なんですかこれ!ちょっと待ってくださいよギルド長!え、本当に私だけ残していく気ですか!?私、ただの受付嬢ですよ!?もし変なことされたら太刀打ちできませんって!」
さすがにこれは冗談じゃないので、必死にギルド長に懇願する。
「心配するな。わざわざこんな手間をかけて、お前を襲うのが目的ってことは絶対ない。戦闘力がないから逆に指名されたんだろう」
「いや、それって弱そうだからってことじゃないですか!全然安心できませんけど!」
「ギルドの入口付近で待機はしておく。なにかあったらすぐ叫べ。腐っても元A級冒険者だ」
「絶対ですよ!?」
バスコはそのまま無言で部屋を出ていった。
重々しいドアの閉まる音が、やけに長く響いた。
「……やだな。なんか、すっごくやだ……」
マリーは独り、重苦しい静寂の中で椅子に座り、じっと室内を見回した。もしひどい目にあったら、すぐにこの仕事を辞めると決意した。
それから何分が経っただろうか――
背後に、明らかな“気配”を感じた。
「っ!?」
瞬間、椅子ごと飛び上がる勢いで振り返る。
そこには――漆黒のベールを纏い、顔が全く見えない人影が立っていた。
全身を隠す黒衣。かろうじて体型が分かる。すらりとした細身だ。だが、異様なほど気配が希薄で、まるで幽霊のようだ。
「え、えっと……あなたが、“ファントム”ですか?」
喉がカラカラで、声が震えるのが自分でも分かった。
だがその人物は、静かに首を振った。
「いいえ。私はただの“仲介人”です」
ベールの奥から、女性っぽい落ち着いた声が響く。
けれど、その響きには妙な威圧感があり、マリーはごくりと唾を飲んだ。
「仲介人……じゃあ、本物のファントムは、ここには……?」
「さあ?どこからかは見ていると思われますが、興味が湧けば近くに来られるかもしれません。お話しするのは、私の役目です」
「……っ」
マリーの背筋を冷たいものが這う。
(……落ち着け。落ち着けマリー。多分この人は女性。今のところ、襲われる気配はない。大丈夫、大丈夫……)
自分に言い聞かせながら、マリーは必死に微笑を作った。
「それで……ファントム様に、依頼があるのですか?」
ベールの奥から発せられた問いに、マリーは落ち着いて答えた。
「いえ……。今日は、書き置きの内容がいつもと違っていたので、何かこちらにコンタクトをとる理由があるのかと思って、お待ちしていました」
「……そうですか。それでは、今日は失礼させていただきます」
サラが軽く頭を下げ、踵を返そうとした。
「あ、待ってください!」
思わず声が出た。
「依頼って、どういうことなんでしょうか?報酬はどうやって決めるんですか?我々からこのことを誰かに伝えてもいいんでしょうか?」
一気に問いを重ねるマリーに、サラは静かに振り返る。
そして、ほんの僅かに口角を上げた。
「これまでの活動と基本的に同じです。ですが、もし“捕獲したい者”がいれば、報酬に応じて依頼を受けつけます。あなたの判断で、依頼をしたいであろう人にお話しいただいても構いません。ただし――」
言葉の調子が少しだけ硬くなる。
「もしそれによって、こちらが何らかの不利益を被った場合は、“連帯責任”とさせていただきます」
「れ、連帯責任……って、どういう……」
「ご想像にお任せします」
「……」
マリーは口をつぐんだ。
「依頼を受けるかどうかは完全にこちらの判断なので、すべての依頼に応えるわけではありません。ですが、世間一般において“犯罪者”や“悪人”とされている者の捕獲依頼であれば、基本的にはお受けするご意向です」
サラは落ち着いた口調で続けた。
「捕獲対象の情報や居場所は、可能な限り依頼者側で準備してください。理想は、“捕まえて差し出す”だけです」
「な、なるほど……」
マリーはごくりと唾を飲んだ。
「それと、報酬は――“寿命”をいただきます」
「……はい?」
唐突な単語に、思わず素っ頓狂な声が出た。
「寿命?えっと、それってどういう意味なんでしょうか?」
マリーが恐る恐る聞き返すと、サラは淡々と答える。
「ファントム様は、この世で活動するために、“人間の生気”を必要としています。生気を吸われることで、依頼者の寿命は縮みます。そういうことです」
「いや、“そういうことです”って言われましても……。え、え?ファントムって、悪魔……とか、そういう存在なんですか?」
「それ以上は詮索しない方が、ご自身のためかと」
「ご、ごめんなさい!悪魔って……本当にいたんだ……。精霊がいるなら、悪魔もいるか……」
ファントムが人間ではないという事実に思考が追いつかないまま、マリーは何とか話を続けた。
「そ、それで、その……寿命って、どのくらい吸われちゃうんでしょうか……?」
「そうですね。依頼内容にもよりますが、基本的には捕獲一人につき“一日”程度かと。もちろん、難易度等で変わります。ファントム様が活動すればするほど、エネルギーを使いますので、その分の正気を補う必要があります。ちなみに、人が生気を吸われると気絶しますので、一日分吸われた場合は、目を覚ますのに一日かかります」
「一日……?あっ、てっきり“寿命の半分”とか“十年”とか言われるのかと思いました……」
マリーがホッと息をついたところで、仲介人はさらに言葉を重ねる。
「ちなみに、報酬の支払いは何人かで分担していただいても構いません。ただし、“吸われる側が心から同意している”必要があります。無理やり生贄として差し出しても、成立しません。その場合……責任者から“二倍”いただきます」
「ひぃっ……わ、分かりました。無理やりは絶対ダメってことですね」
「ええ。その点だけはご注意を」
「じゃ、じゃあ……依頼者は、“木の日の0時”にここに連れてくればいいんでしょうか?」
「いいえ。面倒なので、窓口は統一しましょう。私は、あなたとしか会いません」
「……え?」
マリーの顔が青ざめる。
「いや、それは……ちょっと責任が重すぎるといいますか……」
「その代わりと言っては何ですが、依頼ごとにあなたには報酬を支払いましょう。具体的には、一件ごとに“十万AS(アスラン)”」
「じゅ、十万!?わ、私の月給の半分近く……」
「状況次第では、“上乗せ”も検討いたします」
「うっ……わ、分かりました……」
マリーは観念したように頷いた。
サラは静かに手を前に組む。
「では、今日のところはこれまでとしましょう。……また、水の日の鐘次第でお会いしましょう」
そう言って、サラは音もなく部屋から消えていった。
緊張の糸がプツリと切れる。マリーは膝から崩れ落ち、へたりと床に座り込んだ。
しばらくそのまま深呼吸を繰り返したあと、どうにか立ち上がり、ギルドの入口へ向かうと、そこにはギルド長のバスコが腕を組んで立っていた。
「……どうだった?」
「仲介人と名乗る人物と話しました。黒いベールで全身を覆っていて、顔はまったく見えませんでしたけど……女性のような声でした」
「何を話した?」
マリーは、サラとのやり取りを簡潔に説明した。依頼の受付方法、対価、今後の対応など。ただし個人報酬の点は隠した。完全に受付嬢としての業務の範疇を超えているのに、ギルドに回収されたらたまったもんじゃなかった。
「なるほど。“捕獲だけ請け負う”と明言したか。……生気を吸う、ね」
ギルド長の顔がわずかに曇った。
「やっぱり、悪魔なんですか?」
「可能性は否定できない。だが、そういうスキルの可能性もある」
「どっちにしても怖いですね……」
「なんにせよ、少なくとも今回で“繋がり”は持てた。よくやってくれた」
こうして、マリーは、ただ一人、“ファントム”と通じる者になった。
***
「すごいねサラ!迫真の演技だったよ!」
寮の部屋に戻るなり、俺は満面の笑みで言った。
目の前には、紅茶を優雅に口に運ぶサラが座っている。
「ふふ。嘘は、適度に混ぜるのが一番バレにくいのです」
「あの“寿命を吸う”って設定、天才かと思ったよ。“一日昏睡”ってするところが妙にリアルだし」
「悪魔やスキルなど、まだまだ知らないことがたくさんありますからね。その辺りを上手く使えば、大抵の人間は信じます」
「しかもこれ、依頼者から“時間”を受け取って増やせるってことだよね?最近、サラが時間譲渡の成立要件を細かく確認してきた意味がやっと分かったよ」
俺の言葉に、サラは小さく頷いた。
「はい。“時間”の譲渡と認識していなくても、自らの時間が失われ、それがユリウス様=ファントムに移るという結果を認識していれば問題ないようですね。事前に私で試せてよかったです」
「まあでも、表では普通の学生として青春も楽しみたいし、裏の活動は適度にしないとね」
「ご安心ください。そのバランス管理も私が担いますので」
「……ほんと、頼りにしてるよ、サラ」
こうして、俺とサラの“裏稼業”は、着実に形を成し始めていた。
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