風しか信じなかった俺が、剣を振う理由。

@Septem_

第1話 勇者アスタリウスの葬儀

朝、王都には冷たい霧が立ちこめていた。

石畳の路地は水気を含み、足音すら吸い込むように静かだった。


だが、王城前の広場には、人が溢れていた。


子どもも、兵士も、貴族も、老人も。

誰が呼びかけたわけでもない。ただ皆、自分の足でここへ来たのだった。


葬儀の鐘は鳴らない。代わりに、空気が重く、沈黙だけがすべてを包んでいた。


 


棺が、ゆっくりと姿を現した。

漆黒の木箱に、金の装飾が淡く光る。

その上には、風のように舞った剣と、彼の魔力を包んだ深紅のマント。


「……本当に、いなくなったのか」


呟いたのは、城壁の影にいた兵士だった。

その隣で、肩を震わせながら老人が答える。


「アスタリウス様が、いない世界……想像したこともなかったよ」


 


広場の中央では、膝をついて泣く女性がいた。

その腕には、小さな女の子がしがみついている。


「うそだ……また来るって言ってた……」


子どもの声は、絞り出すように震えていた。


「約束したのに……魔王を倒したら、戻ってくるって……っ」


母親は言葉を探したが、何も見つからなかった。

ただ、そっと娘を抱きしめるしかなかった。


 


人々は静かに祈る者、顔を伏せて動かない者、地面を睨みつける者。


誰も騒がなかった。

誰も叫ばなかった。


でも、その静けさの中にある感情は、叫び声よりも強く、重かった。


 


群衆の中に、ひとりの男の子がいた。

手には、布でくるまれた木の人形を抱いている。


「これ……あげたかったのに」


か細い声が、足元の石畳に落ちて消えた。

誰もそれに気づかず、ただ時間だけが、静かに流れていた。


男の子はそのまま、地面にそっと膝をついて、目を閉じた。

小さな背中が、雨に濡れていた。


 


「魔物から村を守ってくれた。おれたちの畑を燃やさせなかった」

「病気の妹を、たった一晩で治してくれたんだ」

「俺、あの人に剣を教わったんだ」


人々の間で、ぽつりぽつりと語られ始める過去の記憶。

涙とともにあふれる、それぞれの“アスタリウスとの物語”。


 


――彼はただ、強かったわけではない。


剣を振るえば、風をまとい、

一太刀で巨獣を斬り伏せるその技は、人の域を超えていた。


戦場では、その背中ひとつが軍勢を奮い立たせた。

敵さえも、その目に宿る炎に息を呑んだという。


だが、本当に恐ろしかったのは、その優しさだった。

弱き者を守るためなら、迷わず自分の身を投げ出す。

恐れを知らないその瞳の奥には、常に燃え立つような光があった。

あの炎こそが、彼が生きていた証であり、誰もが惹かれずにはいられない強さだった。


 


その日、王都の空は一度も晴れなかった。

昼になっても陽は差さず、空は灰色のまま。


やがて、ぽつ、ぽつと雨が降り始めた。

誰も傘をさそうとしなかった。


まるで、世界が一緒に泣いているかのようだった。


 


城のバルコニーでは、王と王妃が何も言わず、広場を見つめていた。

その隣に、王女の姿はなかった。

彼女はこの日、誰にも姿を見せていない。


それを責める者はいなかった。

むしろ、誰もが痛みを想像していた。

彼女こそが、最も大切な人を失ったのだから。


 


そして、世界は知る。

英雄がいない世界が、どれほど不安定で、脆く、静かで、

――そして、恐ろしいほどに現実なのかを。


 


アスタリウス。

風をまとうように剣を振るい、星のような魔法を使った男。


彼はただ強かったのではない。

美しかった。優しかった。恐れを知らなかった。

その瞳の奥には、いつも炎が揺れていた。

人々は彼を“勇者”と呼んだが、

それだけでは言い表せない、何かを持っていた。


まるで、本当に――光のようだった。


 


だけど、その光は消えた。

もう誰の元にも届かない。


 


それでも、世界は止まらない。

明日は来る。誰が望もうと、望むまいと。


 


――これは、残された者たちの物語だ。

かつて光を知った人々が、それでも前を向こうとする物語。


そして、終わったはずの物語が、なお続き、

やがて世界を揺るがす、新たな運命へと繋がっていく物語だ。


物語は、今、始まったばかりだ。

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