八月二日(土):パンツ
これは現在も進行中の、埼玉県に住む岡野涼子さんの部屋で起きている、奇妙で、そしてゾッとするような不思議な話です。
涼子さんは、30代前半の事務職の女性で、一人暮らしを始めて3年目になる年でした。都内まで通勤しており、職場ではしっかり者として知られていましたが、休日は家でのんびりするのが好きな、ごく普通の、どこにでもいるような女性です。
その日の朝も、特に予定はありませんでした。洗濯機の音を聞きながら、トーストを焼き、テレビで天気予報を眺める。夏の土曜日、部屋に差し込む光は強く、ベランダからは蝉の声が容赦なくけたたましく響いていました。
━━━━━━━刻━━━━━━━
午前10時ごろ、洗濯が終わった音がしたので、涼子さんは洗濯物を取り出し、ベランダの物干しに順々に干していきました。
タオル、シャツ、靴下、ブラウス、そして……最後に手に取ったのは、彼女自身の下着。
しかし、その瞬間、彼女はある決定的なことに気づきました。
『あれ?』
干そうとした一枚の下着に、信じられないことに、まったく見覚えがないのです。
デザインはシンプルな生成り色。けれど、形がどこか古めかしく、生地もごわついていて、レースの縁が手縫いであるかのように、不自然に歪んでいました。
もちろん、涼子さんにそんなものを買った覚えは一切ありません。
『誰かと間違えたのかな』と思いながらも、涼子さんは他の洗濯物と一緒に干してしまいました。
━━━━━━━刻━━━━━━━
しかし、その晩──恐怖は、さらに涼子の私生活へと踏み込んできました。
涼子さんがベッドに入ってまもなく、突然、玄関のインターホンが鳴り響きました。
深夜0時すぎ。こんな時間に、一体誰が?
モニターには誰も映っていません。けれど、『ピンポーン』という音は、確かに、耳の奥に響き渡ったのです。
不安を感じながらも、もう一度ベッドに戻った時、ふと、何かに引き寄せられるようにベランダの方に視線が行きました。
カーテン越しに、ぼんやりと人影のようなものが立っているのが見えたのです。
息を呑んで、そっとカーテンを開けた、まさにその瞬間——
そこには、誰もいませんでした。……ただ、洗濯ばさみに挟まれていた“あの”見慣れない下着だけが、風もないのに、ゆらゆらとかすかに揺れていたのです。
━━━━━━━刻━━━━━━━
翌朝、涼子さんは気味が悪くなり、その下着を洗濯ネットごとゴミ袋に入れて、二度と見ないよう捨てました。
『もう二度と、見たくない』
そう思っていたのですが──彼女の願いは、無惨にも打ち砕かれました。
その夜、シャワーを浴びて洗面所の鏡を見た時、涼子さんは文字通り凍りつきました。
洗濯機の上に、昨日捨てたはずの“あの”気味悪い下着が、まるで誰かに丁寧に干されたかのように広げられていたのです。
それ以来、涼子さんは何度捨てても、どこかから“それ”が、執拗に戻ってくるようになりました。
押し入れの奥、タンスの引き出し、郵便受けの中──時にはありえない場所、例えば冷蔵庫の中にまで。
まるで、誰かが涼子さんの持ち物に紛れ込ませているかのように……いや、実際にそうとしか思えなかったのです。
『……誰かの、だったのかもしれません』
そう語る涼子さんの顔には、今も常にどこか怯えた影が浮かんでいます。
あの下着は、いったい誰のものだったのでしょうか。
そしてなぜ、彼女の元に、これほどまでに執拗に、何度も戻ってくるのでしょうか。
もしかしたら、それは『捨てられたことに気づいた“誰か”』が──。
いまも彼女のそばにいる、何よりの証なのかもしれません。
そして今も、あの下着は、まるで彼女の暮らしの中に溶け込むようにして、どこかから、ひっそりと、しかし確実に戻ってくるのです。
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