【完結】婚約破棄され魔竜になった聖女を、弟は救いたい

夏灯みかん

第1話 婚約破棄された聖女は、魔物の谷に落とされる

 リオナは眼下に広がる、底さえ見えない谷の暗闇を見下ろして唇を噛んだ。


 その闇の奥から吹き上げてくる濁った臭いの風は、そこに多数の魔物が蠢いていることを感じさせた。後ろから、自分の罪状を読み上げる声は、かつて婚約者だったローガン王子――、今は、国王である彼の声だ。


「リオナ=アーガディン、王妃殺害未遂の罪で、『谷落とし』とする」


 振り返って、彼の顔を見るのも、その彼にしな垂れて、勝ち誇った笑みを浮かべているであろう女の顔を見るのも嫌だった。


 ◇


「直接言わないとわからない? 僕は、リオナ、君との婚約を解消する」


 そうローガンに告げられたのは、半年ほど前のことだ。

 父親であるアーガディン公爵から王子から婚約破棄の申し出があったと聞き、急いで宮殿に事実を確認しに行ったリオナをローガンは馬鹿にしたように見て、言った。


「ローガン様、その方、急に部屋に入ってきて何を……」


 彼の寝台で彼と同じ金色の髪に青い瞳の女、イザベラが布団を引き上げ怯えたような声を上げる。


「イザベラ、すまない。元婚約者のリオナはこのとおり不躾ぶしつけな女でね」


 リオナはイザベラを一瞥いちべつすると静かに言った。


「ローガン様、原因はその男爵家の令嬢ですか」


「『男爵家の』令嬢ね。イザベラの身分なんかどうだっていいじゃないか、僕が好きなのは彼女なんだ」


「ですが、公爵家の私との婚約を破棄して、男爵家の令嬢を選ぶということは――」


「君にそんなことを言われる筋合いはない。僕は次の国王なんだよ、リオナ。一番偉いのは国王だろう。王に指示できる人間はどこにもいない。それに、イザベラだって『聖女』だ」


 リオナはぐっと拳を握った。

 王妃は『聖女』とする。その決まりに乗っ取れば、確かにローガンの言う通り、イザベラに資格はある。 


 この国、ロゼッタ王国は魔物がはびこる大陸の中で、退魔の力を持つ聖魔法による結界壁――聖壁で国を囲むことで国土を守り、周辺国の中で一番発展した国だった。


 リオナの家――アーガディン公爵家は、王族の血筋を継ぎ、高い魔力を持つ家系で、代々聖壁を維持するための聖魔法の使い手を輩出している名家だった。国王は聖魔法の使い手である女性――聖女を王妃とすることが習わしとなっており、何人かの聖女の中でも特に強い魔力を持つ公爵家令嬢であるリオナが婚約者となることは必然だった。


 ローガンはリオナに向かって吐き捨てた。


「僕はもっと領土を広げたい。僕ならできるはずだ。イザベラはそれをわかってくれる」


 成長するにつれ大きな野心を持つようになったローガン王子は、周辺国をロゼッタ王国に統合し、領土を広げることを夢見ていた。それにアーガディン公爵家をはじめとする上級貴族たちは反対をしていたが、自分たちの地位を少しでも上げる機会を狙う下級貴族たちは賛同し、国を二分する対立が起きていた。

 

 そんな中でリオナとローガンの婚約はいつの間にか両派をつなぐ架け橋のような存在になっていた。リオナ自身、自分が王妃としてローガンを収めつつ仲良くやれば、この国はずっと今のまま平和にやっていける、自分はそうしなければならないと信じていた。


「――あなたに賛同しかしない女を、お望みなのですか」


 リオナは懇願するように言った。


 幼いころから婚約者として近くで見てきたローガンの横顔を思い出す。


 勉学も武術も魔法の鍛錬も、何にでも『将来国王になるんだから』と熱心なローガンのことをリオナは好きだった。しかし一方で、彼の熱心さが間違った方向に向いてしまったら危ういのでは、というような思いも持っていた。だから、自分が彼を傍で支えて、もしも道を外しそうなときは、その手を正しい方へ引いてあげたいと思っていた。


 周辺国を統合する、というローガンの野望は、リオナにはとても危険なものに思えた。

 

 ロゼッタ王国のような繁栄を周辺国にも与えてやりたいというのがローガンの考えのようだった。しかし聖魔法による聖壁が、範囲を広げても今と同じほど維持できるとは、聖女のリオナには思えなかった。それに何より、周囲の国がそのまま「はい」と従うはずがない。そうすれば戦争になるだろう。ロゼッタ王国の軍に周辺国が敵うとは思えないが、それでも誰かが傷つくだろうし、何よりそれは、驕りと押し付けだと思った。


 だから、「私はそれは良いことだと思えません」とローガンに意見したのだ。――結果、彼はそれを疎ましく思い、このイザベラという女を傍に置くようになってしまった。


「あなたは、婚約者でありながら王子のお悩みを理解してさしあげることができなかったのです。そんな方、婚約を破棄されて当然ですわ」


 寝台の中から肩も露わな男爵令嬢は、勝ち誇ったような笑みを浮かべてリオナに言い放った。


「衛兵、この女をつまみ出せ」


 ローガンは部屋の入口で主人の修羅場に右往左往している兵士を呼び止めた。


「しかし……、リオナ様に乱暴を働くわけには……」


 彼はリオナと王子を見比べて、渋ったような声を出した。

 

「僕の命令が聞けないのか? 大体、この女を許可もなく僕の部屋まで通して――お前は命令無視で牢屋行きだな」


 ローガンは厳しい口調で言う。兵士は顔を強張らせた。


「それは、王子、それだけは……」


「嫌ならば、今すぐリオナを外へ追い出せ!」


 リオナはその様子を見ながら瞳が潤むのを感じた。

 いつからローガンはこんな傲慢の塊のようになってしまったのだろうか。


「分かりました、私はもう出ていきます。私が勝手に入ってきたのです。この方に罰を与えるのはおやめください」


 そう言い放って、リオナは王子の部屋を自ら後にした。

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