虚舟当流

light forest

序章 流れを運ぶ船

ただの水ではない。

それは、時に抗い、名を浸し、言葉すら洗い流

「流れ」であった。

名を呼ばれることに慣れすぎた人生だった。

仕事でも、関係でも、自己紹介すらも、私は

「呼ばれる側」であり続けた。

それがいつの頃からか、名に呼ばれるように

なっていたことに、ふと気づいたのだ。


日はまた昇ると、誰もが言う。

けれど、陽は毎日「同じように」昇って

いるのだろうか?

風は、吹いているときだけ風なのか?

沈黙が続いた夜、私の中でいくつかの輪郭が

溶け出していた。


そんなとき、荘子を読んだ。

というより、荘子に読まれていたのかもしれない。


彼は語った。「夢と現の間に、蝶は名を持たない」

彼は笑った。

「無用の木こそ、千年を超えて立ち続ける」

そして彼は書かなかった。

「その舵は誰が握る?」


私はページを閉じた。

重い荷物はまだ背にある。だが、不思議と軽い。

なぜなら、それが私自身の重さだと、

ようやく思えたからだ。


舟になろうと思った。

歩かず、抗わず、名をもたず、ただ確かに

進む舟に。


そしていま、私はここにいる。

水に浮かび、名に頼らず、正しさにも属さず、

それでもなお、この流れを自ら選んだ舟として。



この物語は、そんな舟が拾い集めた

三十五の岸辺の記憶である。

背負いながらも軽やかであること──

悩みながらも進むこと──

考えることをやめずに、

「気にしすぎる自分ごと、肯定する」ための

ささやかなる航路の記録である。


あなたがもし、

今すぐ荷物を降ろせなくても、

ただひとつでも“間違っていなかった”と

心のどこかで安堵したいのなら──

その舟は、もう流れ出している。


🎐 川柳


背に残す 荷こそ選んだ 舟となる




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