普通に現れてほしいです

 もやもやしながらも一日の仕事を終えました。あれからこっそり叔父さんに答え合わせをしましたが、やはり例の少年は、お忍びのご令嬢でした。本名は明かしてくれませんでしたが、高貴なお方のようです。そんな方が供も連れず市井を自由に歩き回っていたことも驚きです。

 わたしがそう言うと、叔父さんは「あの方は昔からお転婆なのです」と苦笑するばかりでした。仕事中だったし、詳しいことは聞けませんでしたが、ヴィルム様との関係も気になります。

 

 お店の二階に住んでいるわたしには、最後に鍵を閉める役割があります。住居は外階段から入るので、裏口から外に出て、鍵を閉めます。路地裏は薄暗く、この時間に外にいるのは少し怖いです。

 今日の夕飯は何にしようかしら。あまり食欲はありませんが、食べないと元気が出ませんよね。外食も考えたけど、明日も仕事なので、早く部屋に戻って簡単に済ませようと思いました。


 鍵穴と鍵が触れ合う金属音に、わたしの溜息が重なりました。なんだか今日はとても疲れています。

 ふう、と息を吐き出した時、背後で何かが蠢く気配。振り返り、心臓がドクリと波打ちました。大きな黒い影と二つの目。通りの明かりを反射して、得体のしれない光を放つそれは金色に輝いています。

 魔物? こんなに近づくまで足音は聞こえませんでした。わたしが固まっていると、その何かは、忙しなく呼吸をしながら徐々に近づいてきました。


「きゃ……」


 思わず叫ぼうとしましたが、怖くて喉が詰まり、声が途切れてしまいました。どうしよう。逃げようにも路地は行き止まりで、通りに出るには影を押しのけなくてはいけません。

 わたしはガタガタ震えながら、必死に扉に体を押し付けて、ぎゅっと目を閉じました。しかし、いつまでたっても魔物は襲ってこず、やがて頭上から低い声が聞こえてきました。


「アリューネさん! 私だ。ヴィルムだ」

「ああ……、ヴィルム様……?」


 全身の力が抜けて、わたしはその場にへなへなと座り込んでしまいました。ヴィルム様は慌てて地面に膝をつき、わたしの顔を覗き込みました。


「すまない。驚かせて」

「本当ですよ。心臓が止まるかと思いました。お店の方から来てくだされば……」

「仕事の邪魔をしてはいけないと思って」


 心なしかしょんぼりした声音で、ヴィルム様はわたしの手を取り、助け起こしてくれました。でもまだ心臓がドキドキして、目には生理的な涙が浮かんでいます。わたしはようやく呼吸を落ち着け、ヴィルム様を見上げました。


「それで? どういうご用件ですか?」

「今日は、俺も仕事終わりで……。いや、違う。ええと、そうだ。夕飯は食べたか?」


 なぜかしどろもどろのヴィルム様。いつもの威厳のある態度はどこへ行ったのでしょう。表情もよく見えないし、わたしは首を傾げながら答えました。


「いいえ」

「よ、よければ、このあと食事に行かないか?」

「え」

「ああ、無理にとは言わない。嫌だよな。疲れているのに俺みたいなむさ苦しいやつと。代わりに何か差し入れを買ってくる」


 わたしが答えるより先に、ヴィルム様はものすごい早口で言い募りました。待ってください。まだ何も言っていません。


「あ」

「どんな食べ物が好きだ? なんでも言ってくれ」

「ちょ」

「腸詰か? ならいい店を知っている。ではちょっと行ってくる……」

「ちょっと待ってください!」


 わたしは先ほどから握られたままの手で、ヴィルム様の手を握り返しました。彼はビクッと肩を揺らして言葉を止めました。わたしも普段なら大きな声を出したりはしません。でも、彼があまりにもおかしな方向へ向かおうとしているので、びっくりして叫んでしまいました。


「いいですよ」

「え?」

「お食事、行きましょう。お腹が空きました」

「よし! 行こう」


 ヴィルム様の声が嬉しそうに弾みます。暗がりに少し慣れてきた目で見つめると、ヴィルム様の頬が赤らんでいるのが分かりました。わたしは少し余裕ができて、自分の要望を伝えました。


「王都は不慣れなので、ヴィルム様のおすすめのお店を教えてください。できれば庶民的なお値段のところがいいです」

「俺がご馳走する!」

「いけません。自分の分は自分で出します」

「わかった……」


 わたしが強めに断ると、ヴィルム様の表情が曇りました。でも、まだお知り合いになったばかりの方にご馳走になるのは気が引けます。

 隊長の職務を離れ、「俺」と言うヴィルム様は、少し幼いような気がします。こちらが彼の素の顔なのでしょうか。なんとなく、故郷に残してきた弟の顔が浮かびました。

 もしかしたら、わたしが思うよりお若い? そういえば彼の年齢を知りません。何も知らずにもやもやするよりは、この際なんでも聞いてしまいましょう。

 わたしはそっと手を離し、ヴィルム様と並んで歩き始めました。


 職人区からほど近い繁華街の中に、ロスナー酒場はありました。ここは騎士団御用達の店だとヴィルム様が教えてくれました。制服を着た仕事帰りの騎士さまや、非番と思しき男女が、賑やかにお酒や食事を楽しんでいます。もちろん、町の人もいるのでしょうけど、わたしには区別がつきません。でも、庶民的なお値段のお店で一安心です。

 メニューに戸惑っていると、ヴィルム様は先ほど言っていた腸詰を注文してくれました。お店の女性は名物のクエバスの蜜酒を勧めてくれましたが、明日もお仕事なので断りました。クエバスは人間の男性の拳大ほどの虫の魔物ですが、無害な生き物です。フルシュカという白い花から蜜を採取し、その蜜を使って作る蜜酒は甘く薫り高いのです。お休みの前の日なら飲みたいですね。


「ヴィルム様はお酒を飲まないのですか?」

「ああ」

「体質ですか? あ、もしかして飲酒してもよい年齢ではないとか?」

「いや、飲めるには飲めるが。50は超えてるし……、ええと、人間の年齢で言うと23くらいだな」

「わたしは25くらいかしら」


 獣人や魔族は長生きだし、種族によってばらつきがあるので、人間を基準に年齢を言い合うのがなんだか面白いです。それにしても年下だったとは……。ちょっとした驚きです。

 それにしても旺盛な食欲ですね。決してお行儀が悪いわけではないけれど、一口一口が大きくて、気持ちがよいほどに山盛りのお肉がなくなっていきます。スマートにカトラリーを操る横顔を見ていたら、ヴィルム様の耳が少し赤くなりました。


「……本当は今日、間に合えば、あなたの作品を買いに行こうと思っていたんだ」

「昼間にご来店くださればよかったのに」

「仕事中だから」


 ヴィルム様は真面目なのですね。窓に張り付いていたら同じことのような気もしますけど。

 わたしがそう言うと、ヴィルム様は今度こそはっきり赤くなって、目をあらぬ方に泳がせました。


「実は、エルネスタの店に出しているあなたの作品はほとんど持っている。ずっとどんな人が気になっていた。まさか本人にお会いできるとは」

「そうなのですか? でっきりお姉さまかお母さまのご趣味かと思っていました」

「まあ、最初は……。でも作品に触れるうち、温もりのある繊細な手仕事に感銘を受けた。知ってるか? あなたの染める色はファンの間では『アリューネカラー』と呼ばれている。だから今日はユリウスが自慢してきたのが悔しくて」


 ああ、だから昼間外にいた時、あんな顔をしていたのですね。職人冥利に尽きますけど、なんだか照れくさいです。わたしは俯いてナプキンの端を無意味に弄びました。


「ユリウスさんと仲がよろしいのですね」

「幼馴染だから、気心は知れてるな。口が悪くて横柄なやつだ。ついでに言えば足癖も悪い」

「女性にそんなことを言ってはいけませんよ」

「……なぜ女性だと?」


 ヴィルム様が驚いたように金色の目を瞠りました。そして探るような眼差しを向けてきます。その眼光の鋭さにひやりとし、彼が騎士であることを思い出しました。これは秘密でしたっけ。


「叔父が言った訳ではありません。わたし、見たらその人の性別もサイズも分かるのです」

「それはすごい。でもこのことは内密に」

「もちろんです」


 それきり少し気まずい雰囲気で食事を終え、ヴィルム様に店まで送っていただきました。彼は気にしなくていいと言ってくれましたが、このことはわたしの心に微かな波紋を残しました。


 でも一次試験の開始はもうすぐです。余計なことを考えず、意識を集中して臨まねばなりません。一人になった部屋で、わたしは決意を新たにするのでした。

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