螺旋の天糸 〜お仕事一筋のはずが、モフ耳白騎士に不器用に迫られています〜

鳥尾巻

第一章 王都での始まりと新たな出会い

王都はこわいところです

 王都ニギス。ここへ来れば、わたしの努力が認められる。そう信じていました。


「おい、そこのお前! こっちに来い!」


 いささか乱暴な声が投げかけられた時、わたし、アリューネ・エルネスタはあんぐりと口を開けて城壁の頂きを見上げていました。


 青空に向けてそびえ立つ王都の城壁。その威容が、列を為す人々を圧するように東西に連なっています。お城を守る騎士さまたちが、城壁の上を行き来しているのが遠くからでもわかります。

 お堀に架けられた跳ね橋の上を、人々は粛々と進んでいきました。わたしの背は彼らより頭半分ほど高く、青く長い髪をなびかせながら、それでもなるべく目立たないように歩いていました。


 門の両脇にはこのシュラム王国の始祖である王と、かつて魔王から国を護った英雄ヨセフ・フォン・コフラーの像が並んでいます。

 英雄伝説はわたしの好きな恋物語も含んでいます。蛇の化身である美しい娘と若き英雄の恋。なんてロマンチックなんでしょう。うっとり。


「そこの青い髪の女、何をぐずぐずしてる! こっちに来いと言ってるだろう!」


 あ、凛々しい英雄の彫像を眺めている場合ではありませんでした。先ほどからこわい顔をした門番さんがイライラしてわたしを呼んでいたのです。

 両親と姉が「王都はこわいところだ」と言っていましたが、どうやら本当のようですね。


「はい。わたしですか?」

「他に誰がいる……って、でかいなお前」


 列から外れて門番さんのところへ歩いていくと、いきなり失礼なことを言われました。たしかに、わたしは人間の女性の平均より背が高いかもしれません。それは男性よりも女性の方が大柄である我が一族の特徴であり、自分の意志ではどうにもできないというか……。

 少し低い位置にある門番さんの顔を見下ろすと、彼は目を合わせないようにして、わたしから一歩距離を取りました。なんだか警戒されていますね。どう見ても体格に合っていない甲冑をつけた貧相な……あら、失礼、細身の男性です。


「お前ではありません。アリューネ・エルネスタと申します」

「ふん、魔族が王都になんの用だ」


 若い門番さんは小馬鹿にしたように鼻を鳴らしました。汗じみた茶色の髪をわざとらしく撫でつけ、居丈高に肩をそびやかします。


 ああ、またですか。


 怒りよりもまず先にため息が出ました。

 北海に浮かぶ故郷のエルネスタ島を出て、南にある王都への道すがら、幾度となく目にした反応です。金・銀・茶・黒などの髪色が一般的な人間とは違い、獣人や魔族は鮮やかな色や特徴的な姿形を備えています。わたしの髪色が青なのですぐに知れたのでしょう。

 人間・獣人・魔女・精霊や妖精、魔族が住むこの大陸では、大昔は迫害の歴史があったと聞いています。時代が進み、他種族との共生が当たり前になった現代でさえ、魔族への偏見は根強いものだと身を以て知りました。

 他種族との隔たりをなくすために尽力した英雄の子孫のいるこの王都なら、そんな目に遭わないかもしれないと淡い期待を抱いていたわたしが甘かったのです。


「このたびは王太子殿下、ならびにお妃となられるご令嬢の婚礼衣装の職人選抜……『ニギスマイスターの儀』のために参りました。予備選考通過の書類と通行許可証もあります」


 わたしは両手に提げていた鞄を地面に置き、いつも肩に掛けている革製の鞄から、革の書類入れを取り出して門番さんに差し出そうとしました。でも彼はそれを受取ろうとせず、代わりにわたしの手の甲を覆う紫のレースの手袋に目を留めました。指先と爪だけ見える指なしタイプです。エルネスタ特有の植物から採取した染液で染め上げた糸で編みました。感覚を鈍らせず、なおかつ手の甲に浮かぶ人間とは明らかに違う特徴を覆い隠すためのものです。


「まるで貴族の令嬢気取りだな。こんなレース、魔族風情が持っていいような高級品ではないぞ」

「……これはわたしが編んだものです」

「嘘をつくな。さては男を誑かして買わせたものだろう」


 あまりの言い草に言葉も出ません。まるで値踏みするような視線がわたしの上をなぞっていきます。

 たしかに魔族というのは男女を問わず、妖艶な容姿の者が多いかもしれません。わたしも例外なくその資質を受け継いでいます。何も考えていなくても流し目のように見える切れ長の目や、つやつやしてぽってりした唇。背は高めですが、くびれた腰に突き出た胸、メリハリのある肢体です。

 だからと言って初めて会った方にそのようなことを言われるのは心外です。この機会を得るまで、わたしが会ったことのある人間といえば、両親が衣類を卸していた北の砦の方々くらいです。誰かを誘惑する暇などあったら自分の技術を研鑽することに使いたいものです。


 通り過ぎる人々の好奇の目やくすくす笑いの声、気の毒そうにわたしを横目に見る者も、巻き込まれるのを恐れてか、割って入る者はいません。

 だからこそ、ここは自分でしっかり抗議しておかねばなりません。わたしが意を決して口を開きかけたその時――。


「そのへんでやめておけ」


 低く落ち着いた若い男性の声がしました。背後の、それもずいぶん高いところから。振り返ると、最初に飛び込んできたのは紺の騎士服の胸元。いつもなら、わたしの目と同じ高さにあるはずの相手の顔が見えません。あら……?

 逞しい胸元から目線を上げると、筋肉質な太い首と引き締まった顎が見えました。まだ上があるのですね。意志の強そうな厚めの唇から高い鼻筋、少し眠そうではあるけれど、きりりとした眉毛の下の奥二重の瞳は蜜のような金色です。短い髪はお日様の光に揺れて、銀の輝きを放っています。


 わたしは声を発するのも忘れてその方に見入ってしまいました。エルネスタの厚い雪雲の間から差し込む一筋の陽光のような瞳。そこにいるだけで、金糸銀糸を織り込んだ一点のタペストリーのような立ち姿です。英雄の彫像にも引けを取らないほどに雄々しく、しかもわたしより遥かに大きな男性にお会いするのは初めてでした。

 彼はぼうっとしているわたしを一瞥すると、その大きな背中で門番さんからわたしを護るように立ちはだかりました。彼の体の陰からそっと覗くと、門番さんは気圧されたように数歩後ろに下がるところでした。


「い、いま怪しい女を尋問中だ」

「尋問というよりなんの落ち度もない女性を辱めているように見えたがな。しばらく王都を離れている間に騎士の質も落ちたものだ」

「なんだと? きさま、どこの所属だ」  

「ヴィルム・グレイシアル。第三騎士団大隊長。北方の砦より帰還した。本日付で王都警護の任に当たる」

「……身分証を見せろ」


 ヴィルム様? の態度は堂々たるものです。門番さんもいったん肩の階級章に目をやり、怯みながらも負けてはいません。一応、王都の門を護るプライドはあるのでしょう。

 わたしは怖いというより完全に好奇心が勝って、二人のやり取りをドキドキしながら見守っていました。

 門番さんは身分証を確認した後、急にサッと顔色を変えて直立不動になりました。


「失礼しました! グレイシアル団長のご子息でしたか。お通りください」

「父は関係ない……彼女も通っていいな?」

「ですが……」

「彼女の書類は正規のものだ。引き留めておく理由はない」


 細かいことは分かりませんけど、どうやら門番さんより立場が上の方のようですね。それでもなお食い下がろうとする門番さんに、彼は喉の奥で低い唸り声をあげました。周りの空気がビリビリと震えるような怒気が背中から伝わってきます。

 あ、これはちょっと怖いです。わたしは気配に敏感なのです。彼は気遣うように振り返って頷くと、黙って先を歩き始めました。

 不満そうな門番さんに睨まれながらすれ違う時、ほとんど聞き取れないような小さな声で吐き捨てるのが聞こえました。


「チッ、……獣人がえらそうに」


 小物というのはこういう方を言うんでしょうね。それにヴィルム様は獣人だったのですか。道理で人間離れしていると思いました。わたしは彼に聞こえているのではないかとハラハラしながら目の前の背中を見上げます。


「きみのことは上官に報告しておく。獣人は耳がいいのを忘れずに」


 ヴィルム様は振り返りもせずに言い捨てて、ゆったりと歩いて行きます。ついて行っても……良いのですよね? 赤くなったり青くなったりしている門番さんは放っておいてもよさそうです。

 

 なんだか波乱含みの幕開けですけど、ひとまず問題は解決したということでしょうか。

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