左腕と引き換えにS級ダンジョンボスをソロ撃破したら、使い魔と仲間達の目が曇ったんだが
きのこすーぷ🍄🥣
第1話 なんか生きてた
それは、何の前触れもなく現れた。
東京都心部。高層ビルが立ち並ぶ一角に、突如として黒々とした異空間が姿を現したのだ。真昼の陽光すら吸い込むかのような、その巨大な亀裂──それこそが、S級ダンジョンの入り口だった。
即座に警戒網が敷かれ、周囲一帯は封鎖された。国は異例の速度で緊急対策本部を設置し、世界中の探索者ギルドに向けて共同討伐を要請する。
S級──それは、既存のランクの中でも最も危険とされるダンジョンであり、これまでに数例しか確認されていない。そのどれもが、数百人規模の犠牲を伴って、ようやく踏破されたという記録しか残されていなかった。
だからこそ今回、世界屈指の実力を誇る探索者たちが名乗りを上げた。
その誰もが世界に名を轟かせる、名実ともに最高戦力を揃えた二十名がレイドパーティーを結成し、S級ダンジョン攻略に挑んだのだ。
その一部始終は特別許可の下、国際ネットワークを通じて世界中にライブ中継されていた。
入口から数時間。彼らの進行は順調に思えた。
襲い来る魔物は、確かに強大だった。だが、彼らはそれを上回る力で押し切っていった。連携、技術、戦術。すべてが高水準に統制され、視聴者たちの間には次第に安心感すら広がっていく。
──だが、それは最奥に到達するまでの話だった。
岩肌に覆われた広大な空洞。その中央に、悠然と横たわる巨影。
体長数十メートル。漆黒の鱗をまとい、息を吐くだけで周囲の空気が焼け焦げるような、圧倒的な存在。
ドラゴン──それも、これまでのどの記録にも存在しない特級の個体だった。
◆ ◇ ◆ ◇
──聞き慣れた、声がする。
「ご主人っ、ご主人ッ……! お願い、起きて、早くぅ……!」
泣きじゃくる声が、遠くのようで、すぐそばのようで。耳の奥でぼやけていた。
頭が重い。体が鉛みたいに動かない。全身がぐしゃぐしゃに踏み潰されたみたいに痛い……いや、それもよくわからない。ただ、まともに意識を保てていないことだけは、かろうじて自覚していた。
「やだ……置いていかないで……ご主人……!」
その声に、何かを引き戻される。俺はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
霞んだ視界の先に、泣き顔があった。白い狐耳を震わせて、顔をくしゃくしゃにしている小さな少女。血と土にまみれながら、それでも必死に俺の名を呼んでいる。
「……わりぃ……寝てた……」
かろうじて声を絞り出だす。
そして、安心させようと頭を撫でようとして──。
刹那──風が、巻き起こった。
いや、違う。巻き起こったのは、圧だ。上から、全身にのしかかるような質量。
その場から離れろと、直感が叫ぶ。
視線を上げた瞬間、空が、黒に染まっていた。
漆黒の鱗。信じられないほど巨大な腕が、まるで山が崩れるような勢いで、こちらに振り下ろされようとしていた。
俺は咄嗟に少女の腕をつかみ、そのまま転がるように横へ跳んだ。
「っ……!!」
次の瞬間、凄まじい轟音とともに、大地が砕けた。
先ほどまで俺たちがいた場所が、拳大の岩に砕かれてえぐれ、砂煙が舞い上がる。
背中を強く打った。呼吸が詰まる。でも、それどころじゃなかった。
「大丈夫、か……?」
腕の中で、少女──銀子が小さく頷いた。声も出せないほど震えながら、それでも、生きていた。
……よかった。
だが安心している暇なんて、ない。
砂煙の向こう。黒い巨影が、再び身じろぎする。
その咆哮が響く前に、俺は周囲を見渡した。
……ひどい有様だった。
岩壁に叩きつけられ、血を流して倒れている仲間たち。呻き声だけを漏らし、立ち上がろうとすらできない者もいる。動けているのはほんの数名。全員が死と隣り合わせの瀬戸際にあった。
これ以上戦えば──全滅する。
そう確信した俺は踏み抜くように地面を蹴り、声を張り上げた。
「全員、一旦撤退だ!」
振り向いた仲間たちの目に、一瞬の希望が宿る。
だが──それを打ち砕くように、空間が軋んだ。
ドラゴンが頭をもたげ、口元に禍々しい光を宿し始めていた。収束する魔力の奔流。空間ごと焼き尽くすような、巨大な魔法陣がその前に展開される。
「……マズい」
ブレスだ。全員が走り出した今、動線は一本道。避けようがない。撃たれれば、一網打尽だ。
逃げようとする仲間たちの背に、魔力の熱が追いつこうとしていた。
──このままじゃ、全員死ぬ。
俺は、決断した。
「ここは俺に任せて、逃げることだけに集中しろッ!」
叫ぶと同時、ドラゴンの真正面へと駆け出す。
魔力の奔流がこちらに向けられる。その凶悪な視線を一身に浴びながら、俺は仲間たちの背を、信じて追い越す。
ブレスの照準をずらす。それが、今の俺にできる唯一のことだった。
「ご、ご主人ッ!? やだ、ダメだよ……ッ、ご主人も逃げてよ……!」
泣き声が、背後から追いすがる。
銀子だ。俺を追ってきている。
振り返れば、必死の形相でこちらに手を伸ばしていた。服は破れ、脚を引きずりながら、それでも諦める気配を見せなかった。
「銀子──来るなッ!!」
近くにいた仲間の一人に、叫ぶ。
「お前、銀子を──あの子を頼む! 無理やりでも連れて行ってくれ!」
「ッ……了解!」
男が銀子を抱え上げる。その瞬間、銀子の細い腕が虚空を掻いた。
「ご主人っ、ご主人! いや、いやぁぁぁぁぁあ!!」
銀子の絶叫を背に、俺は真正面から、ドラゴンと向き合った。
口元で魔力が収束する音が聞こえる。
空気が焼け、皮膚がひりつく。逃げ道はない。だが、俺は逃げない。
この命に代えてでも、この一撃をしのぐ──。
そう決めた俺は、背中の刀に手をかけ静かに納刀し、居合の構えをとると──全身に微細な震えが走った。
深く息を吸い込み、体の奥底から静かに、しかし確実に生命力を魔力へと変換していく。
血潮が熱を帯び、筋肉の奥から燃え上がるような感覚が刃へと伝わる。命の一滴一滴が、刀の芯に溶け込み、濃密な力の塊となっていった。
やがて、刃は静かに光を放ち始める。
その輝きはゆっくりと強まり、まるで刃が生きているかのように波打つ。
全身を貫く痛みを呑み込み、刀をゆっくりと振り抜く。
──刹那、世界が閃光に包まれた。
◆ ◇ ◆ ◇
白。
まぶたを通して、やわらかな光が差し込んでいる。
天井だった。病院特有の、どこか乾いた白。
そして──ゆるやかな音。
心拍モニターの電子音と、カーテンを揺らす風の音が、静かに耳に届く。
目を開けると、部屋の隅に置かれたテレビから、報道番組の声が小さく流れていた。
画面に映っていたのは巨大な空洞の奥、黒く染まったドラゴンと──光の刃。
俺だった。
命を魔力に変えて振るった、あの最後の一撃。
巨大な魔法陣ごと、あのブレスを斬り裂いて──ドラゴンの喉を貫いた、あの一閃。
まるで神話の一幕のように、映像は繰り返されていた。
『──この一撃が、ダンジョン崩壊の引き金になったと見られています。まさに英雄的な──』
ニュースキャスターの興奮した声が、どこか遠くで反響する。
……あのあと、どうなったのかは、覚えていない。
意識はあの光に呑まれて、すべてが白く焼き尽くされた。
でも──生きていた。
ゆっくりと視線を落とし、左手を……いや、肩を見やった。
そこには、もう腕はなかった。
白い包帯が、肩の断面を静かに覆っている。
……まあ、仕方ないか。
代償としては、安いほうだ。
命を落とすよりは、ずっと。
小さく息を吐いて、ふと横を見る。
隣の簡易ベッドに、小さな身体がうずくまるように眠っていた。
銀子だった。
白い尻尾を抱え込み、静かに寝息を立てている。
目元はまだ真っ赤に腫れていた。
泣き疲れて、そのまま眠ったのだろう。
額には冷えピタ、手には俺の着ていた上着を握りしめたまま。
まるで、絶対に離さないとでも言うように。
俺は、そっと視線を戻す。
静かだった。
あれほど荒れ狂っていた世界が、今は嘘のように穏やかで、やさしい。
この静けさを守るために戦ったのだと思えば、悪くない。
もう一度、深く息を吸って──小さく笑った。
……生きてて、よかったな。
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