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「え〜、あんなところに、扉なんてあったっけ〜。それに、なにか出てきてるんだけど……」

 ジジは、正門の近くに作られた実況席から、のんびりとした声を上げた。

 もはや実況役ということを忘れたのか、普段の口調に戻りかけている。が、そのうち、黒い泥のような影が増えていき、手を伸ばすようにこちらに向かって動き始めると、様子が変わった。

「え、え……あれって、なに?なにが起きてるの〜?」

 ジジの、すっとんきょうな声が響くと、観客たちの視線がわっと黒い影に集まった。

「な、なんだあ、あれは!?」

「うわあ、気持ち悪い」

「こっちに来てるけど、さわって大丈夫なの!」

 あちこちで叫び声が上がり、グラウンド全体が、不安な空気に包まれた。

「ど、どうしよう〜、なにか言わないと……」

「コナー君、落ち着いてください!」

 アーケオ先生が、実況席に座るジジの横にかけ寄った。

「あ、アーケオ先生〜」

「まずは君が冷静になって。それから、観客に避難を呼びかけてください」

「で、でも先生〜、あれがこっち向かってきてますけど……」

 心配無用です、とアーケオ先生が言ったとき、一人の魔女が黒い影の前に立ちはだかった。

 一冊の本を持ち、眼鏡を押し上げた、細身の魔女。

「あれが何であろうと、コールマン先生が対処してくださいます」

 コールマン先生は、本を持った手を、虫を追い払うように横ざまに振り抜いた。

 その一振りで、黒い影は吹き飛ばされた。引きちぎられて、いくつもの黒い破片に変わる。

「す、すごい……」

 ジジが見る先、コールマン先生は、こんどは本を頭上にかかげると、振り下ろした。その次は、押し戻すように本を前に突き出す。

 まるで、見えない巨人がコールマン先生と同じ動きをするかのように、先生が腕を振るたび、黒い影が吹き飛ばされた。

 十度も本を振るったとき、とつぜん、グラウンドに、ものすごい悲鳴が上がった。

「ぐ……」

 コールマン先生の肘から先、本にいたるまで、べったりと黒い影が泥のように張り付いていた。

「コールマン先生……」

「コナー君、すぐに観客に避難を呼びかけてください!私はコールマン先生を助けに行きます!」

「——み、みなさん……どうか落ち着いて!いま出てきたものは先生方が対処してくださいますので、落ち着いて、ゆっくり避難してください!落ち着いて——」

 ジジの浮足立った声が流れたとたん、辺りは大パニックにおちいった。観客が一斉に悲鳴を上げて、てんでばらばらな方向に走り出したせいで、あちこちで人と人がぶつかり合い、我先に逃げようと小競り合いが起き始める。

 そんな中で、リナリィは、コールマン先生の後ろ姿をじっと見つめていた。

「もしかして、あれってあたしのせい……?」

 アーケオ先生が助けに行こうとしているが、コールマン先生の周りには、再びあつまった黒い影がぐるりと取り囲んでいる。

「あたしが変にならなかったら、こんなことにはならなかったのかな……」

「そんなこと、そんなことはありませんわ……。“魔法使いの夜マギ・ナイト”には、だれがあなたのようになってもおかしくないのですから」

 リナリィの肩に手を乗せて、ナタリアは、必死で逃げようとする観客と、それに迫る黒い影を見た。

 そのとき、ナタリアの耳元で、だれかの声がした。

「……リア……ナタリア……ナタリア、竜に……竜になれ……」

「お父様……!」

 それは、そこにいるはずのない、スラグの声だった。

「——民を守ることを忘れ、夢に走ろうとした結果がこれなんだ……自分の力が弱いから、民を守れず、多くを失うんだ……」

「お父様……それは、ちがいますわ」

「ナタリア……叶わない夢に自らの才能をかけるのはやめてくれ……竜になれ。竜になって力を解放し、先生を、友人を、街の人を守るんだ……」

 ナタリアは、強く首を振った。

「違う!!力で押さえつけても、魔はより強くなって反発するだけですわ!」

『あまりに強い魔力におぼれてしまい、制御できずに魔法を使うものを“魔”と、そう呼ぶのです』

 アーケオ先生の言葉を思い出す。“魔”は、コントロールを失った力そのもの。

「それなら、“魔”に器を与え、力を正しく制御する、その導きこそが必要なのです!」

 ナタリアは、一歩前へ出た。

「私は力で相手を打ち負かすことを望みません。私と、私の魔法が、魔に役を与え、みなを守ります!」

 ナタリアは、自分の視界が急に明るくなったのを感じた。見ると、自分の書いた劇脚本の原稿がナタリアの前に浮かんでいた。

 ナタリアの原稿が宙に舞う。

 原稿から、金色の文字があふれ出した。原稿に書かれた言葉が一つ一つ、ナタリアの周りを回りだす。

「これが……」

 ナタリアがおどろくと、今度は、グラウンドのはしからはしまで、すべるように赤いカーテンが現れた。

 空から降りてきたカーテンは、観客と、ナタリア達と、黒い影を囲むように広がって、舞台を作り上げる。

「これが、私の固有魔法オリジン……」

 ざわめきが静かになった。

 だれもが、おどろき、目を見張っていた。

 その中心で、ナタリアは、りんと胸を張った。

「“大劇場テアトロ・グランデ”、開演ですわ」

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