第4話 壇之浦古戦場跡
「セイ、聞いてる?」
「聞いてる。続けて」
「うん、それでね……」
大丈夫だと自分に言い聞かせて努めて笑顔を作ると、彼女は安心したようにまたおしゃべりを始める。
これだけ話すのが好きな子なのだ。
学校でももっと話したいのだろうなと思うことはある。
友達がいなくていつもひとりだと言っていたけど、マミちゃんは家庭環境の影響で自分を過小評価するところがあって自虐的なところがある。
まわりには彼女と話したい子もいるだろうけど彼女があまりにも美人だから近づきにくいのだろうなとは想像はつく。
話せばとてもいい子なのにと思う反面、誰かに呼び出されている姿を想像すると複雑な心境が何度も矛盾を繰り返して心の奥でぐるぐる回っていた。
「セイって絶対に賢いよね」
「そんなことないよ、普通だよ」
「ノートが賢い人の書き方だ」
漠然とした話はするけど、部活動など最も関わりのあるものの話は聞いてこない。
一緒に過ごすうえで、なんとなくマミちゃんの独自のルールがわかる気がした。
人との距離感を彼女なりに見極めているのだ。
ギリギリのところまで踏み込まないように。
こんなにも近くにいるのに、彼女と俺の間にはとても大きな溝があった。
木曜日はだいたい十七時頃にみもすそ川公園の近くに到着するとベンチに腰掛けたマミちゃんが立ち上がって近づいてくる。
壇ノ浦の戦いの跡地であるこの場所は、かつては血の色に染まったであろう決戦の地だったというのに、ただ彼女がそこにいるだけで今では美しい花が咲いたように感じられ、歴史は移ろい、新しい時代の訪れを感じる……などと自分でも頭のおかしなことを考えることが増えたくらいだ。
最初のころはほんの少し世間話をするくらいだったけど、少しずつ時間が伸びていき、気づいたら関門トンネルが閉められるギリギリ時間まで彼女と過ごすことになった。
リミットは午後十時。
他愛もない会話をして、少し離れたコンビニまで夕食を買いに行ったり、それぞれの課題をしたり、日が落ちてしまうと真っ暗になってしまうから大半は話していることが多かったけど、長いようであっという間に時間は過ぎていった。
下関市にあるみもすそ川公園から九州にある門司港に続く関門トンネルを通って自身が住む門司港レトロ地区に向かう間の数分間、その日の余韻に浸ったりもするけど、山口県から福岡県に続く県境が見えてくると少しずつ冷静になっていく自分がいた。
もちろん彼女と会っていない日はほとんど部活動に専念している。
本当は木曜日以外も自転車を使い、関門トンネルを通って(トンネル内は下車して歩くのだけど)みもすそ川公園付近から学校まで向かっている。
でも、このことは話していない。
距離感を間違えてはいけないのだ。
一度雨の日に行き違いがあったため、連絡先も教えたし知ってはいるけど、彼女が一瞬戸惑いを見せたため、連絡もしたことがない。
「七夕も今日みたいに晴れたらいいのに」
空を眺めて口角を上げる彼女に、いつしか自然に笑うようになったなと思う。
しかしながら、天は見方をしてくれない。
「でもセイの言うとおりずっと雨模様のままだった」
木曜日は試合の日と同じくらい天気予報をチェックしている。
ちょうど木曜日と被った今年の七夕も例外ではない。
「大丈夫。てるてる坊主を作っておくから」
「セイは大丈夫しか言わない」
そう言いながら少しずつここではないどこかを眺めるマミちゃんの姿が目に入り、口をつぐむ。
いつも現実的な話し方をするマミちゃんが珍しく神話を口にするのは、七夕の物語のように遠く離れた東京の先輩でも思い出したのだろうか。
「涼しくなったら門司港に遊びに行ってみようかな」
「……え?」
「きらきらしてて、すっごいきれい」
マミちゃんの瞳は、いつの間にか遠く海の向こうでぼんやり光る明かりをとらえていた。
「わたしは電車でしか行けないけど」
初めて俺について関門トンネルの中まで見に来たマミちゃんは狭いところが苦手だと怖がっていたのを思い出す。
「大丈夫。門司駅で一回乗り換えはあるけど、下関駅から三十分くらいで着くから」
マミちゃんにとっての乗車時間の三十分はどのようなものなのかわからないけど、ここ最近何度か関門トンネルの最終時間に間に合わず、やむを得ず下関駅に移動して電車で帰ることが何度かあったため、意外と行きやすい距離にあるということを伝えたかった。
「あ、唐戸市場から船も出てるけど」
「そうなの?」
船には乗ったことがないからなぁ……とそれでも瞳に光を宿しているマミちゃんは今まで見た彼女と少し違って見えた。
「案内するよ」
「え?」
距離感を間違えていないかドキドキしたけど、思わず口にしてしまったからには仕方がない。
「あ、マミちゃんがよかったら、だけど」
「いいの?」
「門司港は庭みたいなものだし」
不自然なほど早口になりそうなのをぐっと抑え、笑顔を作る。
断られたら、また適当に流せばいいし……
「ありがとう!」
「う、うん」
予想外の反応に驚きながらもできるだけ平静を装うよう努力する。
一歩……少しずつだけどまた一歩だけ、彼女が自身の殻を破って前に進んでいるように感じられた。
「迎えにくるから!」
セイの木曜日が都合いいのよね、と自身のスマホを眺める彼女に思わず声を荒げてしまった。
「楽しみだなぁ」
驚いたように大きく瞳を見開いてから、花が咲いたように笑った。
迎えに行くよ。
雨が降ったって、海があったって、君が望むのなら。
そのとき、本気でそう誓ったのだった。
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