2025年 25歳冬

第2話 故郷の街 下関市

 バスを降りた途端、ひんやり凍りついたような空気が肌を覆う。


 久しぶりに降りた御裳川みもすそがわのバス停は相変わらず人通りは少なく、『関門トンネル人道入口』の明かりさえなかったらあたりは真っ暗だっただろう。


(もう少しライトアップされていてもいいのに)


 世間では歴史好きを明言している女の子たちが増えてきていると聞くのに、道路を挟んだ先の歴史的スポットは全くなにも見える様子はない。


 かつて、源氏と平家が最後の戦いを繰り広げたというこの場所は令和の今ではずいぶん静かなものだ。


 いや、ここが賑やかだったことを見たことない。


 じっと視線を向けていると何か見てはいけないものを見てしまいそうで、そっと目を逸らす。


 慣れた場所のはずなのに、怖いものは怖い。


 ふぅと息を吐くと空気が白く色を染めた。


『え~、万美子まみこ、もう帰っちゃうの?』


 高校時代からの親友に泣きつかれたのを思い出す。


『まさか万美子が一番に結婚すると思わなかったよ~』


 結婚の報告をしたら四方八方から質問の嵐で、絶対にすぐには帰れそうになかったため、近しい友人たちにだけ挨拶をして駅前の飲み屋からそそくさと退散してきたのだった。


 五年ぶりに戻った懐かしい場所は、あのころとちっとも変らない。


 ちょっとくらい変わってもいいじゃないと思うものの、ほんの少しだけほっとしている自分もいる。


 壇ノ浦の戦いの跡地である『みもすそ川公園』が真っ暗なのに対して、少し先に聳える関門橋やそれよりもっと先に見える海の向こうの街の明かりはこことは比べ物にならないくらいきらきらと輝いて見えた。


 久しぶりに来るのはいいものだ。


 大嫌いだった場所に再び立ち、その景色を眺めて懐かしく思えるのはわたしも大人になったという証拠だろう。


 毎日毎日ここへきてはふてくされて海を眺め、泣いていた不安定な背中が見えるような気がした。


 人なんて、大嫌いだった。


 家族も友達もいらない、どこか誰も知らないところへ逃げてしまいたかった。


『万美子が一番に結婚するなんて思わなかったよ~』


 そんな言葉を思い出して、苦笑する。


 わたしもそう思うからだ。


 かつてここで早く大人になりたいと願っていたわたしは、今のわたしのことを想像することができるのだろうか。自分でもおかしくなる。


 ずっと眩しくて憧れていた。


 向こうに見えるまばゆい景色も、そこに住む人たちのことも。


 明るくて眩しくて、わたしとはまるで別世界に見えた。


 わたしはここに来たかった。


 大切な人と、新しい世界を作っていく前に、過去の自分と決別したかった。


 ここから向こうへ渡ることができなかった自分に、もういいんだよって言ってあげたかったのだ。





 何もかも諦めていて、すべてのことが大嫌いで、世界は常に真っ黒で。


 それでも母の言いつけは破ることができなかったわたしが、唯一わたし史上に残るような大きな冒険をして警察にお世話になったのは、今日とは真逆の暑い夏の夜のことだった。

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