象牙色のお客様

 カランコロンカランコローン


 心地よい軽いベルが扉が開くと同時に鳴った。そこには制服の女の子が立っている。中をおずおずと眺め入るのを渋っていると、奥から一人の女が出てきた。

「はじめましてお客様。ようこそ、追憶工房の乖離屋へ。私はキリコ。ここの店のオーナーで切り絵師です。」

 キリコと名乗った女は穏やかに少女を迎え入れた。歳はきっと二〇前後。年齢の割に背丈は低い。今の時代から見たら少し古い着物を着て、切り揃えられた真っ黒な髪をしていた。目元は黒い布で隠れていてよく見えない。周りはごちゃごちゃと物が薄高く積み上がっていた。ついさっきまでいた街とは一線を画す。まるでここだけ昔の世界に戻ったようだった。

「どうぞこちらへ。」

 そのまま手を引かれて少女は店へ入っていく。



「どうしてここへ?」

 キリコは奥のソファへ女の子を座らせると、向かい側へ座った。かすかにお香の匂いがする。それは不思議と少女を安心させた。

「私の記憶をどうにかして残したかったんです。」

 ほぅ、と言うようにキリコは女の子を見た。すると、奥から立派にヒゲを蓄えた初老の男が入ってきた。側にしゃがみ込み持っていたトレイの上にあるカップをローテーブルに置いた。

「ここの従業員のびいどろよ。」

 すくっと立ち上がりびいどろは深々と頭を下げる。

「わたくし、びいどろこと玻璃本(はりもと)正宗と申します。本日は足を運んでくださり誠にありがとうございます。」

 叩き込まれた美しいお辞儀をすると、キリコの後方へ向かい、そのままそこに立った。

「安心して、びいどろは私の執事みたいなものだから。」

 そう言ってカップの中身をすする。どうやら紅茶が入っているようだ。不思議なことに先ほどまでしていたお香の匂いはどこかへ行って、今は紅茶のベルガモットの香りしかしない。それも悪くない匂いだった。

「話を戻しましょう。あなたは『記憶を残したい』のよね。」

 淡々とキリコは話を進めた。異様なほどの静けさなせいで、キリコの声がよく響く。

「はい。」

「それはどうして?」

 間髪入れずにキリコは訊いた。少女は何か言いづらそうに顔を背ける。すると、そこに一匹の真っ黒な猫がやって来た。キリコの髪と同じ真っ黒な猫。

「あら、呂色。」

 首についている鈴がチリンと鳴る。少女の膝の上に乗ると、ゴロゴロと喉を鳴らして気持ちよさそうにする。その様子を見て、キリコはふふふっと笑った。

「呂色が初対面でそこまで懐くなら、きっと本当に何かあるのね。」

 そう言ってキリコはびいどろに目線で指示を送る。びいどろは億へ戻ったあと、少し大きな箱を持って戻ってきた。

「そういえば、お名前は?」

 キリコが箱に手をかけた。

「清水架純です。」

 箱がカチャリと開く。いくつもの棚が展開されると、ありとあらゆる色紙が出てきた。

「私の能力のこと、ご存知?」

 すると、架純は首を横に振った。ふと見つけた店がなんだか懐かしい気持ちになって、気がついたら入っていた。何も予定なんかなかったのに、『記憶を残して欲しい』と口走っていた。何もかもが不意に起きたことだった。

「そう、ならこの店に呼ばれたのね。」

 柔らかく笑ってキリコは色紙を架純の前に出す。

「この紙に触れてみて。」

 目の前には真っ白な紙。あんなにいろんな色の紙があるのに、架純の前には何色にもなってない真っ白な紙。きっと高いんだろうな。

「――えい!」





 



 なんとなく、その日の足取りは重かった。なんとなくなんかじゃない、確実に。私はハッキリと分かりやすく気が沈んでいる。みーんなみんな、楽しそうに笑ってるのに、たった一人私だけが気が沈んだまま。ダメだな、ちゃんと笑わなきゃ。

「おはよー架純!」

 後ろから衝撃が来た。明るく私を名前を呼んできたやつ。

「悠!」

 私の友達の悠。親友の悠。部活でよく焼けた肌が眩しかった。飛んできたままの勢いで私の肩に組んできた。

「どーしたん、浮かない顔して。」

「はえ!?そんなことないよ。」

 なんだか冷や汗が止まらない。確かに暑いけど、なんだか違う湿っぽさ。

「なら良いんだけどさ。」

 少しムッとして悠は言う。きっと私に隠し事されて淋しいんだろうな。悠は私のこと大好きだから。

「いつか話すよ。」

「やっぱなんかあったんじゃん!!」

 あ、しまった。悠がそんな顔するから。いらないこと言っちゃった!

「一番最初に悠に話すから許して〜!」

「今すぐ言えー!」

 学校に着いた頃には汗だくだった。こんなに暑いのに密着してじゃれ合ったから。ずっとこんな日が続くといいのに。



 終わりがあるなんて神様は酷いよね。毎月定期的に行ってるところから『大事な話がある』って電話が来た。お母さんと何があったんだろうって言って急いで向かった。そこで言われたのは、



「白血病と見られる症状が出てきました。かなり深刻です。」




 そんな。その一言に尽きた。別に体が悪い感覚はなかった。なんとなく最近息切れが多くなったことくらい。

「出血ひどくありませんか?」

「あ、そう言えば。」

 歯ブラシが少し歯肉に擦れたぐらいで、かなりの血が出た。

「まさか。」

「初期症状は思い当たる節がたくさんあると思います。」

 そんな、私、病気なんて。私よりもお母さんのほうがショックが大きいみたいで、なんだか変な冷静さが湧き上がってきた。

「正直、ここまで来ると完治までは難しいです。もともと治すのが難しい病気ですので……」

「じゃあ娘は!?」




「おそらく、今年が最期かと。」




 もう既に今年は半分過ぎていた。ああ、私あと半分しか生きられないんだ。お母さんはずっと先生に聞いていて、先生もどうすることもできないの一点張り。ただ私だけが静かに現実を受け止めていた。




「最近歩いて来んけど、どした?」

 お母さんが過保護になって、車で送り迎えしてくれるようになった。だから、もう歩いて登下校してない。悠はずっと私を待ってくれてたみたい。なんだか淋しそうだった。そうだね。悠は私のこと大好きだもん。

「ごめん!最近体調良くないんだ。」

「そうなの?んなら、無理だけはしないでよ。」

 そう言ってまた笑ってくれた。その度に、私は苦しくなる。あ、私はもうこの顔を



 見れなくなっちゃうんだな。



 悠は一人残されちゃうんだ。私がいなくなったら絶対悲しんじゃうんだろうな。






「私、親友に残したいんです。私がちゃんとあの子の側にいるって感じてもらえるものを残したいんです。」

 架純は涙を浮かべながら、まっすぐキリコを見つめた。手に取った色紙は、柔らかい白色をしていた。大事なものだろうから、万が一涙が落ちても濡れないように変な体勢をしている。

「――そう。」

 短く相槌を打つと、キリコは目線を送ってびいどろに紙を持ってこさせた。紫紺色の文字がキラキラと輝いていて、一番上に『誓約書』と書かれている。

「私は少し特別な力があるの。感情を代償に思い出を切り絵として具現化出来る能力。それが私の力よ。」

 そう言ってちらりと架純の方を見る。布越しなのに、目線がハッキリと架純の方に向けられているのを感じた。

「ここの誓約書にサインをして感情を差し出してくれるなら、私はあなたの望み通りにあなたの記憶を形に残しましょう。どう?」

 そう聞いたキリコの話を遮るように架純はペンを取った。そして自分の名前を書く。

(何この変な感じ。)

 架純の中の何かが吸い取られていく心地よい感覚があった。誓約書には至極色で『清水架純』の文字が輝く。一瞬の出来事にキリコは驚いたようだったが、すぐに誓約書を見て笑った。

「ふふ、あなたの感情しっかりと頂きました。また取りに来てくださいな。」

 そう言ってキリコは象牙色の色紙を大事そうに箱に戻した。架純もなんだか変な感じが浮足立ってそのまま扉へ向かった。

「あ、あの!」

「どうかされましたか?」

 びいどろが見送りをしようと架純の後ろをついてきていた。

「一つお願いしてもいいですか?」





 時間は過ぎて、すっかり凍てつく寒さがやってきた。




 カランコロンカランコロンカラーン



 心地よいベルが鳴った。びいどろがすぐ駆けつけると、そこにはよく日に焼けた肌の少女が立っている。びいどろは何かに気づいてすぐにキリコを呼んだ。

「よく来たわ。こっちに座ってちょうだい。」

 キリコは奥のソファへ案内する。びいどろはトレイを持って二人の前のローテーブルにカップを置いた。湯気がふわふわと立っている。寒い冬にはちょうどいい甘いミルクティーだった。

「これをあなたに。」

 すっと差し出された箱を少女は開く。そこには白くて温かな蝶の切り絵があった。

「清水架純さんから、あなたへ。」




『私、きっと来れないので悠に来るよう頼めませんか!?』




 架純のお願いだった。目の前の少女の悠は大事そうにそれを持ち上げた。そのまま泣き崩れてしまった。呂色がそばに寄って頭を擦り寄せていた。またその空間はひどく静かで、悠の泣き声だけが響いていた。





「お嬢様。」

「なに?びいどろ。」

「蝶にされたのはなにか理由があるのですか。」

 散々泣いた悠はスッキリした顔で店を去っていった。嵐が過ぎ去った静けさは本来の姿を取り戻したように寒かった。

「どこかの国では死者の魂は蝶に変わるのでしょう?」

「左様でございますか。」

 びいどろはまた奥へと戻っていく。




 象牙色。意味は『信頼』。あの子らしいわ。相思相愛だったのね。あの子もさっきの子もお互いに大好きそうだったもの。だから、端々に金を散りばめておいたわ。お互いにお互いが光だったと思うから。


 ――そういうこと、あの子は「羨望」を渡したのね。残される子を羨ましいと、それが恨めしいと思わないように。




 人間ってなんだか分からないわ。変わりゆくものなのに、なんでこんなにも愛着を持ってしまうんでしょう。


 でも、私も私ね。私にもなくしたくない一人と一匹がいるもの。

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