落ちた小銭が導く未来
奈良まさや
第1話
第1章 光の点が教えてくれたこと
新宿西口地下広場の片隅で、田中孝志は目を閉じて深呼吸をした。12月の夜の冷気が、薄いジャンパー越しに骨身にしみる。52歳の体には、コンクリートの冷たさが特に堪えた。
目を閉じると、頭の中に不思議な地図が浮かび上がった。半径3キロ圏内に、小さな光の点がぽつぽつと現れる。500円玉が歌舞伎町の角で、誰かのポケットから滑り落ちた瞬間を感じ取る。100円玉が伊勢丹の前で、買い物袋から零れ落ちた音を聞く。
「今日はどうだ、孝志?」
隣で段ボールの上から身体を起こした渡辺健二が、息を白くしながら尋ねた。55歳の健二の顔には、路上生活半年の疲れが刻まれていた。
「まずまずだな。歌舞伎町方面に500円、代々木に50円」
孝志が立ち上がると、もう一人の佐藤勝利も毛布を片付けながら伸びをした。48歳の勝利は三人の中では一番若いが、几帳面な性格で常に周りを気遣っていた。
「よし、行くか」
三人は手慣れた様子で荷物をまとめ、地下広場を後にした。
孝志には、"近くに落ちている小銭の位置が分かる"という不思議な力があった。最初は信じなかった健二と勝利も、今では孝志の能力を生命線として受け入れている。
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第2章 それぞれの転落
歌舞伎町の雑踏を縫って歩きながら、孝志は自分の過去を思い出していた。
静岡で小さな喫茶店「陽だまり」を営んでいた頃、妻の美香と一人娘の恵美と、慎ましくも幸せな日々を送っていた。
「お父さんのコーヒー、すごく美味しいね」恵美が中学生の頃、よくそう言ってくれた。あの笑顔が、孝志の生きる支えだった。
しかし、大型チェーンの進出と共に客足は激減した。必死に頑張ったが、借金は膨らむばかり。ついに店を手放す日、美香は涙を流しながら言った。
「私たち、実家に帰らせてもらうね。孝志さんも、落ち着いたら連絡して」
プライドが邪魔をして、孝志は「すぐに迎えに行く」と答えた。あれから5年。一度も連絡していない。恵美はもう18歳になっているだろう。
健二は元タクシー運転手だった。一人娘の由美が高校受験を控えていた矢先、糖尿病が悪化し、長時間の運転が困難になった。
「お父さん、私バイトして学費稼ぐから」由美の言葉が、健二の心を砕いた。
男としての価値を見失い、酒に溺れた健二を、妻は見放した。離婚後、連絡先も分からなくなった。由美は今年で23歳になる。元気でいるだろうか。
勝利は中小企業の経理担当だった。几帳面で真面目な性格が災いし、社長の脱税に巻き込まれた。無実を訴えたが、証拠は揃わない。解雇され、業界での再就職は不可能になった。
「正しいことをしたのに、なぜ俺が…」その無念さが、勝利の心を深く傷つけていた。
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