交わる線

じゅにあ

最後の手紙

雨が降っていた。


 探偵・結城蓮は、依頼人の家を訪れた。古びた洋館の玄関前に立つ彼を出迎えたのは、喪服姿の若い女性だった。


「初めまして、結城先生。私が依頼人の、楠木玲奈です」


 玲奈の父である楠木真一郎は、三日前に洋館の書斎で死亡していた。死因は服毒死。警察は自殺と断定したが、玲奈は納得していなかった。


「父が遺した“最後の手紙”には違和感があるんです。彼は完璧主義者で、誤字脱字ひとつ許さない人だったのに……あんな手紙を書くなんて」


 その手紙にはこう記されていた。


《玲奈へ。すべてに疲れた。生きる意味が見出せない。許してほしい。——真一郎》


 文末にある父の署名も、いつもの楷書体ではなく、震えた筆跡で走り書きされていた。


「他殺の可能性があると?」


「はい。ただ……屋敷には鍵がかかっていて、父が一人きりだったのは確かです。でも――絶対に自殺なんてしません」


 蓮は黙って頷き、調査を始めた。


 屋敷には、玲奈のほかに三人の人物がいた。

 一人は家政婦の千草、もう一人は父の秘書だった篠原優、そして、父の旧友を名乗る古賀仁志という男だ。


「三人とも、事件当日はこの屋敷にいましたか?」


「はい。ただ、父の部屋には誰も近づいていないと……」


 蓮はまず、書斎を調べた。窓は内側から鍵がかかっており、出入口も一つ。完全な密室だった。


 しかし、机の上に置かれた手紙を見て、蓮はすぐに違和感を抱いた。


「この便箋、他の文房具と違うブランドですね」


「え? 本当だ……。父はいつもM社の便箋を使っていたのに、これはN社のもの」


 そのささやかな違和感が、やがて大きな糸を引き寄せていく。


 次に、蓮はそれぞれの証言を聞くことにした。


家政婦・千草の証言:


「事件当日は、私は台所で食事の準備をしていました。先生の部屋から物音などはありませんでした」


秘書・篠原の証言:


「私は外出しておりました。帰ってきたら、先生が倒れていたと玲奈さんに聞かされて……信じられませんでした」


旧友・古賀の証言:


「私は応接室で読書をしていたよ。真一郎が死んだなんて……まさかあいつが自殺するなんてな……」


 蓮は、三人の部屋を見て回った。

 すると、古賀の部屋のゴミ箱から、切り刻まれた便箋の一部が見つかる。そこには、うっすらと「死は…終わりではない」と書かれていた。


 それを見た蓮は、確信を持った。


「彼は、“手紙”を作っていた……?」


 二日後、蓮は全員を応接室に集めた。


「みなさんにお伝えしなければならない事実があります。楠木真一郎氏の死は――自殺ではなく、殺人です」


 その場が静まり返った。


「密室でどうやって殺せたのよ!?」玲奈が叫ぶ。


 蓮は頷き、語り出した。


「まず、あの“最後の手紙”――実は真一郎氏が書いたものではありません。筆跡が明らかに違う。そして、便箋も彼が常用していたものとは異なる」


 そこで、古賀が小さく目を見開いた。


「また、彼の部屋にあった毒物は“睡眠薬と青酸化合物の混合”でした。ですが、コップの縁からは別の唇の痕跡が検出された。つまり、コップに毒を入れたのは――彼本人ではない」


 蓮はゆっくりと視線を古賀に向ける。


「決め手は、あなたの部屋のゴミ箱から見つかった便箋の切れ端です。“死は終わりではない”という、あなたらしい宗教的な言葉がそこにあった」


 古賀はしばらく沈黙していたが、やがてふっと笑った。


「……まさか、それだけで俺が犯人だと?」


「いいえ、証拠はもうひとつ。あなたの指紋がついた“同型の便箋”が、書斎の引き出しに忍ばされていました。おそらく、あなたが“手紙を偽造するために持ち込んだもの”が、引き出しの中に紛れてしまったのでしょう」


 古賀は顔を歪めた。


「……チッ、余計なことを」


 玲奈が震える声で問う。


「なぜ、父を……?」


 古賀は静かに目を閉じた。


「30年前、俺の父を“詐欺で潰した”のは、あの男だ。俺の家族を地獄に突き落としておいて、やり直すチャンスもくれなかった。……だから、復讐しただけだ」


 事件は解決した。

 だが、蓮の胸には引っかかる点が残っていた。


――“最後の手紙”の文面。

そこに込められた、微妙な違和感。


玲奈は言っていた。「父は誤字脱字を許さない人だった」と。

だが、あの手紙には明らかに“文法的な違和感”があった。


「すべてに疲れた。生きる意味が見出せない」


この文章、何かが変だ。


蓮は改めて手紙を見返した。そして気づく。


――縦読み。


頭文字を縦に読むと、そこにはこう書かれていた。


「すいまん ゆるせ」


(睡眠薬……許せ)


蓮は小さく息を飲んだ。


「……まさか」


楠木真一郎は、毒を盛られたことに気づき、“手紙をすり替えられる”ことすら予想していたのだ。

だからこそ、自分が本当に書いた“最後の手紙”を、あえて目立たぬよう縦読みで仕込んだ――娘に届くように。


玲奈は父の遺品から、本物の便箋に書かれた手紙を発見した。


《玲奈へ。

もしこれが君の目に届く時、私はもういないだろう。

だが、決して悲しむことはない。私は君の強さを信じている。

——真一郎》


玲奈は涙を流しながら、静かに言った。


「ありがとう、お父さん……そして、結城先生」


 雨が止み、空が明るくなっていた。

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