第14話:最初の試練、グライダー箒型

地下深くの古の工房。

熱気に満ちた空間は、

今日、特別な緊張感に包まれていた。

工房の一角には、先日完成したばかりの、

「グライダー箒型」試作機が置かれている。

その前には、職人たちが徹夜で築き上げた、

緩やかな傾斜を持つ人工スロープ、

通称「滑走台」が設けられていた。

表面には滑らかな魔導素材が敷き詰められ、

その下には、万が一の事態に備えて、

フィリップが植物魔法で強化した、

分厚いクッション性の高い芝が敷き詰められている。

今日の目的はただ一つ。

この試作機で、本当に空を飛べるか、

その第一歩を刻むことだ。

空気は、期待と、わずかな興奮で震えていた。


「姫様、準備はよろしいですか?」

ゼファーが、手元の計測器を構えながら尋ねた。

彼の顔には、微かな疲労の色が浮かんでいるが、

その瞳には、研究者としての、

純粋な高揚が宿っている。

フィリップは、滑走台の下で待機していた。

彼の植物魔法が、もしもの時に備える。

「どうか、今回は穏やかに……」

彼は、そう祈るように小さく呟いた。

アリアンナは、輝く笑顔でゼファーに頷く。

その瞳は、一点の曇りもなく、

ただひたすら空を見据える者の光を宿していた。


「もちろんだわ、ゼファー!

早く乗りたい!」

アリアンナは、嬉しそうに、

グライダー箒型へと駆け寄る。

それは、彼女の夢の形を映し出す、

最初の具体的な一歩だった。

板に跨ると、冷たい金属が肌に触れる。

全身に、魔力を集中させる。

板の魔導符が、ボッと音を立てて光り輝いた。

内部の魔導炉が唸りを上げ、

軽く推進補助モードに入る。

ゴゴゴ、とスロープが微かに振動した。


ゼファーが固定を解放する合図を出すと、

グライダー箒型は、自重と重力に引かれ、

スロープを勢いよく滑り降り始めた。

ヒューン、と風を切る音が響く。

速度が増していく。

そして、その瞬間は訪れた。

滑走台の終わりで、グライダー箒型は、

風を受けた翼がしっかり揚力を生み出し、

フワリ、と地面から浮き上がったのだ。

「やった! 浮いたわ!

見た?ゼファー、フィリップ!

風がちゃんと翼を持ち上げたのよ!」

アリアンナの歓声が、工房に響き渡る。

彼女の顔は、喜びと興奮で、

最高に輝いていた。

ゼファーは、手元の計測器に目を凝らす。

フィリップの表情も、わずかに緩んだ。

試作機は、低空を、

スルスルと滑らかに滑空していく。

およそ10メートルほど、

低空での滑空に成功したのだ。

「すごい! こんなに安定するなんて!」

アリアンナの喜びは爆発的だった。

彼女は、まるで夢の中にいるかのように、

板の上で体を揺らした。


しかし、喜びは、ほんの一瞬で、

次の段階へと移った。

アリアンナは、滑空中、魔力を軽く流し込み、

推進補助を入れた。

魔導炉から、カッと魔力の光が噴き出す。

推力自体は、想像以上に強かった。

一気に加速するグライダー箒型。

だが、その速度に対応するための、

方向制御が、まだ荒かった。

バランスが取れない。

グライダー箒型は、急激に揺れ始め、

制御不能な状態に陥る。

アリアンナの身体も、大きく傾ぎ、

「きゃあああーーっ!」

彼女の短い悲鳴が響き渡る。

機体は、不規則な軌道で実験区画内を飛び回り、

突然、急上昇。

次の瞬間、速度を失い、翼がストールする。

ストン、と機体が失速し、急降下。

ぐらぐらと旋回し、スピンを起こした。

そして、盛大な音を立てて、

区画の隅に設けられた、

土を盛った安全用の壁に、激しく突撃した。

ガシャァァァン!!

土煙が舞い上がり、機体は激しく震える。

機体は軽く損壊したものの、大破には至らなかった。

アリアンナは、泥だらけになりながらも、

機体の残骸から、ひょっこりと顔を出した。


「あ、あはは、また失敗しちゃった!

でも次があるわ!」

彼女の顔は煤だらけで、ドレスもボロボロ。

だが、その瞳は、一点の曇りもなく輝いている。

「大丈夫! 痛みはほとんどないから!」

そう言って、ゼファーとフィリップに元気よく笑いかけた。

ゼファーは、手元の計測器のデータを確認しながら、

小さく唸った。

「なるほど……揚力は完璧だ。

しかし、推進と尾翼の微調整が課題ですね。」

フィリップは、そんな姫のあまりのポジティブさに、

思わず苦笑する。

「姫様、すごいですね!

これだけ派手に失敗しても、全然へこたれないなんて。」

フィリップの言葉に、アリアンナは胸を張った。

「当然でしょ! だって、これからが本番なんだから!」

「はあ……そりゃあ、姫様にとってはそうでしょうが……」

フィリップは、呆れたように呟く。

「……また芝の張り替えですか……。」

フィリップのぼやきに、アリアンナはにっこり笑った。


アリアンナは、壊れた魔導機の残骸を前に、

目を輝かせながら、ゼファーに語りかける。

「でも、分かったわ! ちゃんと滑空することはできるのね!

問題は、やっぱり推進方向の制御と、

バランスと安定性!

そして、物理の翼に揚力を任せるのは、

間違ってなかったわ!」

彼女は熱心に説明を続けた。

「だから、魔法は推進と補助に絞るべきよ!

そうすれば、もっと効率的になるはず!」

ゼファーは、姫の言葉に、目を大きく見開いた。

「なるほど……。揚力を物理に任せ、

推進制御をより細かく分岐する魔導回路。

それは、発想の転換ですね。

姫様の魔力なら、補助と推進だけでも、

規格外の飛行が可能になるやもしれない。」

彼の顔に、新たな興奮の色が浮かぶ。

職人たちも、姫の執念に半ば呆れ、

半ば感銘を受けつつ、顔を見合わせた。

「また、とんでもないことを言い出すぞ……」

彼らは、そう心の中で呟いた。

だが、姫のあまりのポジティブさと、

尽きることのない国庫の資金力に、

逆らう術はなかった。

「これじゃあ、まだ私が夢見た箒にはほど遠いわね。」

壊れた試作機を前に、アリアンナは呟く。

職人たちは、姫の頭の中では「空を飛ぶもの=箒」

という図式が揺るぎないことに気づき、苦笑する。

この失敗を通じて、姫の夢が「ただ空を飛ぶ」だけでなく、

「箒で空を飛ぶ」という具体的な形に強く執着していることが、

改めて描かれた。

フィリップも、そんな姫の執着に、

呆れつつも、その常識外れな発想と、

底知れない魔力に、内心で強い好奇心を抱き始めていた。

彼は、姫の行動は理解できない。

だが、その魔力と発想に、何か「未知の可能性」を

感じ取っていた。

工房の中は、姫の夢への新たな情熱に包まれていた。

人類が空を飛ぶという、

壮大な物語は、今、

次の段階へと、確実に歩みを進めていた。

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