宮殿から飛びだしたお姫さま! ー恋愛はそっちのけ!好きなように人生を謳歌しちゃってる!-
五平
第1話:退屈な王女と空の夢
──空を、飛んでみたい。
どこまでも広がる青に、翼を伸ばして。
誰にも縛られず、私だけの風に乗って。
そんなありふれた夢を、この退屈な箱庭で、ずっと抱えている。
それは、私の全てだった。
眩しい朝日に、アリアンナはゆっくりと瞳を開けた。
目覚めてまず視界に飛び込むのは、天蓋から優雅に垂れ下がる黄金の刺繍。
陽光を浴びて、キラキラと輝くその糸は、
まるで朝露をまとう妖精の羽みたいだった。
はぁ……今日もまた、いつもの一日が始まるんだ。
セレスティア王国第一王女、アリアンナとしての、
豪華絢爛で、だけどちょっぴり退屈な毎日が。
この完璧な日常には、何の不満もなかった。
ただ、何か、足りない。そんな漠然とした欠落感だけが、
いつも心の片隅に張り付いていた。
ふかふかの羽毛布団から身を起こすと、
足元には、絹の滑らかなローブと、
真珠が散りばめられたスリッパがそっと置かれていた。
窓の外からは、鳥たちの楽しげなさえずりが聞こえる。
王宮はいつも、完璧なハーモニーを奏でていた。
訓練された侍女たちの軽やかな足音。
遠くで聞こえる騎士たちの剣の音。
すべてが規則正しく、寸分の狂いもない。
でも、その完璧さが、時にアリアンナの心を締め付ける。
まるで、巨大な歯車の一部になったような、
逃れようのない感覚だった。
前世の星野葵だった頃の記憶は、
この世界の暮らしにすっかり馴染んでいた。
だけど時折、ふと頭をよぎるんだ。
あの頃は、スマホ片手に流行りのスイーツ巡りとか、
友達とカラオケではしゃいだりとか、
もっとこう……指先一つで世界と繋がれるような、
刺激的な毎日だったような気がするんだよね。
今思えば、なんて自由だったんだろう。
でも、今のアリアンナには、この王宮での完璧な日々がある。
侍女たちが髪を丁寧に梳かし、
朝の光を受けて輝く宝石を耳元に飾る。
ドレスは毎日違うものが用意され、
その生地は最高級のシルクやベルベット。
食事は、毎日五種類以上の焼きたてパンと、
色とりどりの新鮮な果物、そして三種類から選べる紅茶。
何を望んでも、どんな贅沢も、すぐに用意されるのだ。
文字通り、指一本で。
お姫様として、アリアンナはなんでもできた。
学者の間でも天才と謳われるほどの知力で、
古びた分厚い外交文書をあっという間に読みこなし、
複雑な国家戦略すら立案してみせた。
剣術訓練では、屈強な騎士隊長も舌を巻く腕前。
「姫様は、まるで風のようだ」と、彼はいつも感嘆していた。
舞踏会では、誰もが息をのむほど優雅に舞い、
その視線は常にアリアンナに釘付けになる。
政治。歴史。経済。礼儀作法。魔導の基礎。
あらゆる科目を完璧にこなし、
常に最高の成績を収めていた。
誰もが認める、文武両道のスーパーお姫様!
それなのに、どうしてだろう。
心の奥底にはいつも、ぽっかりと穴が開いたような、
満たされない感覚があった。
まるで、どれだけ豪華な箱庭にいても。
結局は、その中に閉じ込められている。
そんな感覚だった。
この窮屈さが、アリアンナの心を縛り付けていた。
窓の外に広がるのは、どこまでも青い空。
雲一つない、吸い込まれるようなターコイズブルーが、
アリアンナの心を捉えて離さない。
あの空を自由に、誰にも縛られずに飛べたら、
きっと退屈なんて吹き飛んで、心が弾けるのに。
そんな漠然とした思いが、いつも胸のどこかにあった。
手の届かない、だけど限りなく近い夢。
いつも、空を見上げては、そう願っていた。
そんな空への思いを抱き始めたのは、
前世、星野葵だった頃──。
小さな頃から、魔女に憧れていた。
地球の図書館で読んだ、分厚いファンタジー本。
擦り切れたページを開くたびに、
夜空を箒で駆ける魔女の挿絵が、
いつまでも頭から離れなかった。
その絵は、まるで魔法のように、
私の心を高揚させた。
でも地球には、魔法なんてなかった。
どれだけ夢見ても、どれだけ願っても、
空を飛ぶことなんて、できなかった。
それは、叶わない夢だと諦めていた。
それが今、この世界には魔法がある。
もしかしたら、今度こそ飛べるんじゃない?
前世じゃ、絶対に無理だった夢が。
でも、この世界には本当に魔力がある。
私だって、その魔力を身体に宿している。
子どもの頃にずっと夢見た、あの魔女みたいに。
箒にまたがって、どこまでも。
誰にも縛られず、大空を自由に翔けたい。
空の果てまで、この目で見てみたい。
だから私は──。
前世で叶わなかった夢を、この手で叶えてみたいんだ。
そう強く願うたび、胸の奥が熱くなった。
この世界には、まだ「人間が空を飛ぶ魔法」は存在しない。
だからこそ、私が、それを、創り出す!
その日も、夕暮れの庭園でのお散歩の時間だった。
王宮の庭は、いつも手入れが行き届き、
季節の花々が美しく咲き誇っている。
バラの香りが風に乗って運ばれてくる。
夕焼けに染まる空が、まるで絵画のようだった。
侍女たちが少し離れたところで、
楽しげにおしゃべりに夢中になっているのを確認する。
ここぞとばかりに、アリアンナは周囲に誰もいないことを確認すると、
足元に落ちていた、ちょうどいい太さの木の枝を拾い上げた。
それは、まさに童話の魔女が持っていたような、
まっすぐで、手触りの良い枝だった。
ずっしりと、それでいてしなやかな感触が、
手に心地よかった。
「ふふ、これで私も魔女さんね!」
そう呟いて、おもむろに股がってみる。
見よう見まねで、童話の魔女が箒に魔力を込めるような、
ちょっと背伸びしたポーズを取った。
そして、ぐっと地面を蹴り、身体ごと跳ね上がる!
枝が、きしむように震え、魔力の光を放つ。
だが、アリアンナの身体は、宙に浮くことはなく、
跳ね上がった勢いそのまま、ドスン!と力なく地面に落ちた。
「あ痛っ! あはは、やっぱりこんなんじゃ無理かー!」
スカートの裾に土をつけながら、アリアンナは心底楽しそうに笑った。
その無邪気な姿に、遠巻きに見ていた侍女たちは、
呆れ半分、微笑ましさ半分といった表情で見守っていた。
「姫様ったら、またご機嫌なご様子で」と、ひそひそ話す声が聞こえる。
彼女にとって、それは退屈な日常に開いた、
小さな、だけど確かな、空への窓だった。
この小さな試みが、やがて世界を変えるなんて。
この時のアリアンナは、まだ少しも気づいていなかった。
ただ、空を飛ぶこと。その夢に、胸を焦がすばかりだった。
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