第3話

漆黒の車は、重厚な門をくぐり、石畳の道を滑るように進んでいく。左右には手入れの行き届いた庭園が広がり、季節外れの花々が咲き誇っていた。その壮麗さに、悠人はただ圧倒されるばかりだった。


やがて車は洋館の玄関ポーチに到着し、花村が素早くドアを開けた。


「ようこそ、神崎様。麗華様のお召しです」


悠人は車を降りた。目の前にそびえ立つ洋館は、まるで絵画から抜け出してきたような美しさだった。しかし、その美しさの中に、近寄りがたいほどの威圧感が漂っている。


「さ、行きましょう、悠人」


麗華が悠人の腕を取り、館の中へと誘う。その指先が、ゾッとするほど冷たい。しかし、彼女の瞳は熱を帯びていた。


館の内部は、外観に劣らず豪華絢爛だった。天井にはシャンデリアが輝き、壁には高価な絵画が飾られている。磨き上げられた大理石の床には、悠人の姿がぼんやりと映り込んでいた。


「どう? 私の別荘」

「すごい……の一言しか出ない」

「ふふ、気に入ってくれた? ここは、私のお気に入りの場所なの。誰も邪魔が入らない、私だけの空間」


麗華は嬉しそうに微笑んだ。その笑みは、まるで純粋な少女のようだった。だが、悠人は知っている。この美しい笑顔の裏に、どれほどの狂気が潜んでいるのかを。


「悠人、こっちよ」


麗華は悠人の手を引き、広いリビングルームへと案内した。そこには、すでに数人の人物が待っていた。


リビングの中央には、アンティーク調の豪華なソファセットが置かれている。その一つに、麗華によく似た、しかしさらに威厳のある女性が座っていた。彼女の隣には、厳格そうな初老の男性が控えている。


「あら、麗華。お待ちしておりましたわ」


ソファに座る女性が、悠人を値踏みするように見つめた。その視線に、悠人は思わず背筋を伸ばす。彼女が、麗華の母親なのだろうか。


「ママ、ご紹介します。彼が、神崎悠人君よ」


麗華が悠人を母親に紹介した。悠人は慌てて一礼する。


「神崎悠人です。はじめまして」

「ふふ、ご丁寧にどうも。麗華から話は聞いておりますわ。あなた、うちの麗華をどうするおつもり?」


母親の言葉は穏やかだったが、その中に含まれる圧力に、悠人の額に汗が滲んだ。どうするつもり、と言われても、麗華に引きずり込まれただけだ。


「ママ、そんな言い方しないで。悠人が困ってるじゃない」


麗華が母親を窘めるが、その顔にはどこか嬉しそうな色が浮かんでいる。まるで、悠人が追い詰められる様子を楽しんでいるかのようだ。


「そうね、ごめんなさい。でも、あなたには、麗華の責任を取ってもらわないと困るわ」


責任、という言葉に、悠人の頭に昨夜の情景がフラッシュバックする。麗華の母親は、昨夜の出来事を知っているのか。それとも、麗華が何かを吹き込んだのか。


「あの……責任、とは具体的に……」

「あら、とぼけないでくださる? あなた、うちの麗華と、もう深い関係にあるのでしょう?」


母親の問いに、悠人は言葉を失った。やはり、知られている。麗華が話したのか。いや、この屋敷の人間なら、麗華の行動は筒抜けなのかもしれない。


その時、リビングの扉が開き、新たな人物が入ってきた。メイド服に身を包んだ、若く美しい女性だ。彼女は一見するとメイドだが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。彼女の登場に、麗華の母親がわずかに眉をひそめた。


「失礼いたします、奥様。先ほど、お嬢様宛てに、こちらの小包が届きました」


メイドは恭しく小包を差し出した。小包を受け取った麗華は、その包みに書かれた文字を見て、一瞬、表情を硬くした。


「……また、あの子から、ね」


麗華の声が、わずかに低くなる。その変化に、悠人の心臓がざわついた。麗華の口から「あの子」という言葉が出たということは、他にも麗華に執着する存在がいるということだ。


「麗華様、何かございましたか?」


メイドが心配そうに問いかける。彼女の視線が、小包から悠人へと移った。その瞳に、警戒の色が宿るのを悠人は見逃さなかった。このメイドも、麗華の味方なのか。


「ええ、少しね。まったく、しつこいったらありゃしない」


麗華は小包をソファの横に置くと、再び悠人に向き直った。しかし、その表情は先ほどまでとは違い、どこか不機嫌そうだった。


「悠人。あなたには、今夜、ここに泊まってもらうわ」


麗華の言葉に、悠人は息をのんだ。泊まる。つまり、この館から、今夜は出られないということだ。


「明日からは、私の大学の、私のクラスに来てもらうわ。転校の手続きは、すでに済ませてあるから」


麗華の言葉に、悠人は頭が真っ白になった。転校? いつ、誰が、そんな話を。


「麗華、何を言っているんですか!」


突然、後ろから声がした。振り返ると、そこには藤原陸が立っていた。彼の顔には、明らかな困惑と、そして怒りの色が浮かんでいる。


「悠人君は、僕が麗華様からお守りします!」


陸はそう言い放つと、悠人の前に立ちはだかった。その様子に、麗華の母親とメイドが、同時に冷たい視線を陸に向けた。


「陸、余計なことをするんじゃないわ」


麗華の声が、冷たく響く。その声に、陸の体がぴくりと震えた。


「だって、麗華様! 悠人君を、そんな風に……」

「黙りなさい、陸。これは、私の問題よ。あんたは、口を挟まなくていい」


麗華の目が、陸を射抜く。その視線に、陸は何も言えなくなった。彼の表情には、悔しさと、そして深い悲しみが混じっていた。


悠人は、この状況をどう理解すればいいのか分からなかった。麗華の家族、そして彼女を取り巻く人間関係。それぞれが、複雑な思惑を抱えているように見える。そして、自分は、その中心に巻き込まれている。


(この屋敷から、俺は生きて帰れるのか……?)


悠人の背筋に、冷たいものが走った。

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