役立たずの僕と引退した魔王様の優しい城暮らし

自己否定の物語

第1話 いてくれるだけで、救われるのよ

 何もできないまま、大人になった。

 それが、僕の成人式だった。


 魔力は測定器にすら反応しなかった。

 剣を握れば手が震えた。

 文字の読み書きはできたけど、それで何かが変わるわけじゃない。


 僕は、ただ“役に立たない人間”だった。


 


「土地も仕事も与えられない。追放処分とする」


 


 村長の言葉に、誰も何も言わなかった。

 家族も、友人も、ただ目を逸らしていた。

 そうなることなんて、ずっと前から分かっていたのに──

 それでも、胸が苦しかった。


 


 その日のうちに、村を出た。

 手ぶらだった。水も、食べ物も持っていない。

 どこへ行くかなんて、考える気力もなかった。


 


 気づけば、足は勝手に歩き続けていて、

 目の前には、灰色の古城がそびえていた。

 砕けた門、崩れた塔、すすけた石壁。

 まるで、誰からも見捨てられたような場所だった。


 


 僕は重たい足を引きずって、城の中へ入った。

 冷たい床の上に腰を下ろし、壁にもたれかかる。


 もう、どうでもよかった。

 目を閉じた。

 このまま眠ってしまえたら、それでよかった。

 何も考えず、何も思い出さず、静かに終われたら──。


 


 ──意識が、ふっと途切れた。


 


 目を覚ましたとき、僕は知らない天井を見ていた。

 石材は古びていたけれど、綺麗に整っていた。

 体の下には、柔らかな布。

 あたたかな毛布にくるまれていて、空気は冷たかったのに、不思議と寒くなかった。


 


 ゆっくりと身を起こすと、腕が痺れていた。

 でも、ちゃんと動いた。


 


 足音が近づいてきて、扉が開いた。

 黒い衣をまとった女性が、木の器を手にしていた。


 


「……飲みなさい。冷めてしまうわ」


 


 凛としていながら、優しさを含んだ声。

 金の瞳が、まっすぐ僕を見つめていた。


 


 声を出そうとして、出なかった。

 喉がひどく乾いていて、それに、匂いのほうが気になっていた。


 


 女性──彼女は、そっと器を差し出した。

 木の器。中には、うすいスープ。


 


「無理に飲まなくてもいいわ」

「でも、あなたの体がまだ“生きたい”と思っているなら、手は動くはずよ」


 


 誰かに、そんなふうに言われたのは初めてだった。

 命令でも拒絶でもなく、僕自身に任された言葉。


 


 気づけば、僕は手を伸ばしていた。

 震える指で器を持ち、口元へ。


 


 冷めかけていたけど、それでも飲めた。

 味は分からなかった。けど、喉はちゃんと動いてくれた。

 少しずつ、少しずつ、体に染みていった。


 


「……あなたは、誰?」


 


 かすれた声で、ようやくそれだけ言えた。


 


「この城の主よ」

 彼女は穏やかに言った。

「あなたは?」


 


「……役に立たない、ただの人間……です」


 


「“ただいるだけ”で救われることって、あるのよ」

 彼女は器を床に置きながら、静かに言った。

「私は、そういう者に助けられたことがあるわ」


 


 意味は、よく分からなかった。

 でも、怒られていないことだけは分かった。

 怖くもなかった。


 


 僕は器を見つめた。

 毒でも罠でも、もう関係なかった。


 


 手が震えながら器を持ち、また口をつけた。

 スープは冷めていたけれど、喉は受け入れてくれた。


 


 飲み終えたとき、少しだけ手の震えが止まっていた。


 


「役に立たなくても、隣にいてくれる人が、一番助かるときもあるのよ」


 


 彼女はもう一度、そう言った。


 


「……そんなこと、誰にも言われたことがない」

 思わず、こぼれるように声が漏れた。

「生まれてから一度も……」


 


「だから、私が言ったの。今日が、その日だったのよ」


 


「……ほんとうに、何もできませんよ」


 


「できなくてもいい。あなたが“いてくれる”ことを、私は望むわ」


 


 どこかが、少しだけ軽くなった気がした。


 


 毛布を持ってきた彼女は、それを僕の足元に置いて、微笑んだ。


 


「……いても、いいんですか」


 


 怖かったのに、聞いてしまった。


 


「ええ。あなたがここにいてくれるだけで、私はとても……救われるのよ」


 


 涙は出なかった。

 でも、心の奥がほんの少し、あたたかかった。


 


 僕は毛布にくるまり、そっと目を閉じた。

 怒られなかった。責められなかった。

 無理に励まされることもなかった。


 


 静かで、あたたかな、初めての夜だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る