第2話
引っ越し先を探しはじめて一週間ほどした頃、夜帰宅した俺が何気なく壁と天井の境目辺りに目を配ると、あり得ない生き物がそこにいた。
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タ、タランチュラ!?
目に見えるものに理性が追いつかず、やっとその名前が出たとき、俺は既に部屋の外に飛び出していた。
嘘だろ、掌くらいの大きさはあったぞ!
細かい毛に覆われてたし、縞々も見えた!
おいおい、あんなの日本にいていい蜘蛛じゃないだろ!
涙目になって最寄りのコンビニにダッシュで駆け込み、脳裏に焼きついた先ほどの光景を思い出す。
着替える前だったのでスマホを持っていたのはラッキーだった。
特徴で検索して「アシダカグモ」の名前にたどり付き、無毒なこと、臆病で人は襲わないと知って、俺はやっと冷静さを取り戻した。
しかしビジュアルえげつないな……
安全だと言われても同じ部屋にアレがいるって、無理だろ!
そうは言っても朝までコンビニで過ごすわけにもいかず、俺は意を決してアパートに戻ると、先ほどと変わらぬ場所に拳大の大きな蜘蛛がじっとしていた。
カブトムシなら怖くない。
全然関係のない言い訳を自分自身に言い聞かせながら部屋に入る。
虫嫌いの俺が巨大な蜘蛛と一つ屋根の下にいるなんて考えられないが、勇気を出して部屋に入ったのは、ネットで知った「アシダカグモはゴキブリの天敵」という情報だった。
毒をもって毒を制すという言葉もあるが——いや、この蜘蛛には毒はないが——引っ越しが終わるまでにゴキブリの数を可能な限り減らしてほしいと考えたからだ。
そこまで過剰に期待しているわけではないが、ゴキブリが日に日に数が増えていくのは恐怖でしかない。
いつの間にか姿を隠したアシダカグモは期待通りの……
いや、期待を大きく上回る、というか目覚ましい活躍をしてくれた。
あれからゴキブリを見る回数が確かに減っているのだ。
床だけに飽き足らず、テーブルの上まで好き勝手に徘徊していた黒い害虫を最後に見たのはいつだっただろうか。
アシダカグモがかかったら困るからと、ゴキブリホイホイを全部撤去したにも関わらずだ。
アイツ、想像以上にやるじゃないか!
そんな頼もしさもあってか、いつしか俺は新たな同居人を「サブロー」と呼ぶようになっていた。
サブローと呼んでいるが雄か雌かも知らない。
昔飼っていた犬がジローだったという些細な理由だった。
それが不思議なもので、名前で呼ぶようになってから妙な愛着が湧いてしまった。
ただの数いるアシダカグモから、世界で一匹のサブローになったのだ。
といっても懐くことはない。
夜帰宅して電気を点けてサブローを見かけた日は、「ただいま、サブロー」と声をかけるのだが、サブローは何の反応も示してくれない。
まあ、俺の一方的な感情というやつだ。
ここまでゴキブリを見なくなるなら、貯金減らして引っ越しなんてしなくてもよかったかもな?
なんて考えているうちに引っ越しの日はやってきた。
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