第6話 埋蔵金
「うっふっふっふ……埋蔵金を手にして一生あぶく銭で賭博に酒に女と楽しんで生きていけたらどんなに幸せか、わっはっはっは……わっはっはっは……」
江戸時代末期の1867年に江戸幕府が大政奉還「幕府(徳川慶喜)から朝廷(天皇)に政権を返す」に際し、密かに埋蔵したとされる徳川埋蔵金(とくがわまいぞうきん)は、幕府再興のための軍資金と見られている。埋蔵金は金塊(きんかい)あるいは貨幣とされ、現在もマスメディアや個人などにより発掘が試みられているが、発見には至っていない。
江戸城開城時にこつ然と消えた徳川幕府の御用金400万両(約20兆円)は、当初群馬県赤城山に隠されていると思われていたが、そこにはなかった。
※江戸開城(えどかいじょう)とは、江戸時代末期の慶応4年(1868年)3月から4月(旧暦)にかけて、明治新政府軍と旧江戸幕府(徳川宗家)との間で行われた、江戸城の新政府への引き渡しに至る一連の交渉過程をさす。
実は…埋蔵金の行き先が、戦国時代から江戸中期まで金を掘っていた金井沢金山だったことはほぼ確実で、現在の片品村山中にある金井沢金山の跡だ。
幕末の慶応4年春、武士団が8頭の牛に細長い木箱を2個ずつ背負わせて通過した目撃談が残っているらしい。昭和30年代に古い坑道の奥で16個の千両箱を見つけ、1個だけを持ち出した人物がいるらしいが、果たして……。
赤城山より北に位置する現在の群馬県利根郡昭和村、みなかみ町、片品村(かたしなむら)などには『幕末、利根川をさかのぼってきた川舟から大きな荷物が陸揚げされた』とか『牛や馬で荷物が運ばれた』という目撃談が残っている。
それではなぜ、上州(群馬県)北部を選んだのか?
それは…新たに幕府を開いたとき、西から攻められて、江戸にもしものことがあった場合、上州に本拠地を移すことが決まっていたからなのだ。
また、幕末に西からやって来た新政府軍と最後の戦いをするために、赤城山周辺にも幕府の武士たちが行動していた形跡があるのだが、最初は上州の赤城山に御用金を持っていこうと計画した形跡があるというのだ。
江戸時代末期の慶応3年(1867)10月13日の事だ。700年もの間、江戸幕府が預かっていた政治の権力を、 徳川慶喜は二条城で「大政奉還」を表明、翌14日に朝廷に申し述べ、政権を返上した。
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幕末の慶応4年春、武士団が8頭の牛に細長い木箱を2個ずつ背負わせて通過した。
現在の片品村山中にある金井沢金山にやって来た一同は細長い木箱を金を掘ってあった穴倉に埋めていたと、その時武士団の頭領利信が、家来の一人に手で合図を送った。
正義感に燃える曲がった事は大嫌いな頭領補佐官道長を、煙たく思っていた頭領利信は、この男を何とかしたい。そうかねがね思っていた。
我慢の限界の利信の指図で、道長は首を切られ生首を片品村山中の谷底に棄てられてしまった。道長についていた家来も数名殺害され、その埋蔵金は2箱だけ埋めて残りは持ち逃げした。
何故全部持ち帰らなかったのかと言うと、牛が長旅で相次いで2頭死んだからだ。
だが、その中の1人が、埋蔵金を盗むことなど断じて許せないと、強硬手段に出た。実は…勘定奉行大栗(現在の財務官よりちょっと上)に大層可愛がられていた英明はまだ23歳なのに、出世街道まっしぐら。だから誠実に仕事をこなして大栗の元に戻り、手柄を立てた事を喜んでもらいたい。
「埋蔵金を山分けする事は絶対にダメです。ちゃんと指示通り埋めましょう!!!」
「貴様!ガタガタ言うんじゃない!オイ……やっちまいな!」
そう言うと部下が剣を取り出し英明の首目掛けて振り下ろそうとした。
「ヤヤッヤメテクレ!」
「もう生意気な口は聞くな。言う通りにして無駄な抵抗はよせ!💢💢💢」
「ハハッ💦💦ハイ!」
「てめえは逆らったから皆の2倍働け!」
英明は道理を説いただけなのに逆切れされ、不公平にも自分だけ重労働の割には分け前が少なく恨んだが、この武士英明は道長の最も信頼する知性と剣さばきにも定評のある優秀な男だった。頭領利信にすれば、憎い道長のお気に入りだったので真っ先殺害したいところだったが、優秀だったがためにこんな横柄な口を叩く男でも命を長らえることが出来た。
それは他の部下から比べて知識もあり間に合うので、いくら横柄な口を聞くと言っても間に合うから殺害しなかったのだ。
このような状況下、埋蔵金の運搬頭領として頑張ったので警察官の要職に就くことができた利信だったが、江戸から明治に年号が変わり、明治初期の生活は非常に厳しいもので、特に都市部では急激な社会変化と経済的混乱の中で、多くの人々が貧困に苦しんでいた。
更には治安が非常に不安定で、盗難や暴力事件が多発、特に都市の貧民街では、窃盗・スリ・強盗が頻繁に発生していた。
このような不安定な状況下、警察官といっても命の保証はない。金は腐るほどあるのでバカらしくてやっていられなくて早期退職してしまった。そこで…埋蔵金を元手に呉服屋を始めたが、商才が全くなく大借金を抱えて倒産した。
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生活が苦しくなった利信は、道長の部下で優秀な男英明が繊維(せんい)産業を中心とする軽工業で大儲けしている事を知り英明を頼ってやって来た。
「お前さん会社を興して大層儲かっているらしいじゃねえか?おいらは事業を起こしても失敗続きでスッカラカンさ。そこで……お金を少々工面してくれねえか?」
「何を言っているんだい。俺の大切な親方道長をあんなひどい目に遭わせやがって。御免だね。フン!💢💢💢」
「おめえ!でっかい口叩けたもんだなあ。俺は怖いもんはな~んにもない。もうこれ以上落ちようがないからなあ。だけどよ。お前さんは今や日本一の繊維問屋の社長さんだ。埋蔵金を盗んだとなっちゃ……お国が黙っちゃいないさ。ふっふっふっふ」
「いい加減にしろ。今は手元に10円しかない。これで帰ってくれ!」
【1円は、今の3800円】
「社長さんよ。冗談も休み休みにしてくれよ。ハン💢💢💢」
その時、余りの言い争いに妻の夕花が奥から玄関先に現れた。利信は余りの美しさに心を奪われてしまった。
「どうしたのですか?大きな声で……何かあったのですか?」
「イエイエ……へっヘッヘッヘ💖💝💓」
そう言うとあれだけ息巻いていた利信だったが、余りの美しさにビビビッ!と来て今までの怒り口調で話すのが、恥ずかしくて帰って行ってしまった。
だが、余りの美しさに忘れられなくなった利信は考えた。
(何とか自分のものに出来ないものか?貢ぐ為には違う方法を考えないと……)
何も……あんな頭の良い奴から、たかろうと思わず、もっと気弱な人の話を直ぐ鵜吞みにする奴が何人かいることを思い出した。
(3人そういえばいたな。3人を調べ上げよう)
1人は埋蔵金で米屋を営んでおり、大層羽振りが良いらしい。早速訪ねて行った。
「おう!義正元気そうじゃないか。おいらは仕事がうまく行かなくてチョット入用なんだが、用立ててくれないかい?」
「いい加減にしてくれよ。あんたとの思い出に良い思い出なんか、一つもないんだから帰っておくれ💢💢💢」
「デカい口が叩けたもんだなあ。埋蔵金の話ぶちまけてやるからな💢💢💢」
「もう止めておくれよ。手持ちのお金100円だけだけど……これで帰っておくれ!」
「ああ!ありがとよ」
もう1人の酒屋も羽振りがよさそうだ。こうして…「埋蔵金の話ぶちまけてやるからな💢💢💢」と脅かし、お金を手にして行った。そして……そのお金であの英明の美しい妻に接近して行った。
(あの美しい夕花の事が忘れられない。あああああああ!どんなことをしても俺のものに……💓💝💖😍)
※明治時代に入り明治維新で幕藩体制は崩壊したが、江戸時代の行政が破綻していたわけではなく、明治維新後も、読み書きができ武士階級はインテリ階級だったので再就職先として、警察官や地方自治体の役人になったり、教師や国鉄職員などになったが、下級武士は商売に手を出したりして大損する場合も多かった。
【秩禄処分】
江戸時代に武士がもらっていた俸禄(ほうろく)を,明治政府が廃止。明治政府,はじめ士族しぞくに俸禄を支給していたが,国家財政のうえで重荷になったため,俸禄を打ちきった(1876年)。代わりに政府は,退職金にあたる数年から十数年分の公債(国がだす借金証書)をあたえ,一部の高級士族は公債を資本に実業界に進出した。
金禄公債を売って慣れない商売をはじめ、元も子もなくしてしまう、という武士も大勢いた。いわゆる「没落士族」による「武家の商法」である。彼らは、汁粉屋、団子屋、炭薪屋、古道具屋などを始めたが、ほとんどがうまく行かず、1年持つものは稀だったという。
また士族の多くは、新しい政府での官職を求めようとした。武士というのは、江戸時代は役人でもあったのだから、明治になっても役人になろう、というのは当然のことだといえる。
しかし新政府は、「能力のあるものしか採用しない」という建前をとっていた。
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