第2章:カラスの囁き
夢を見ていた。
それは夢だとわかっていた。
少なくとも最初のうちは。
路地裏の奥。
どこかで見たことのある場所。
石畳は濡れていて、鉄と泥の匂いが混ざっていた。
目の前には男がいた。スーツ姿。
知らない顔のはずなのに、何かが疼いた。
喉の奥で、唸り声が上がる。
俺の声じゃなかった。
意識が浮かんでいる。
それは、天井のどこか、骨の奥、皮膚の裏側に浮遊するような感覚だった。
自分の手が動くのを、俺は止められなかった。
指先に毛が生え、爪が鋭く伸びていく。
「やめろ」と言ったつもりだった。
でも声は出なかった。
代わりに出たのは、低い唸り声。獣の、音。
男が逃げようとした。
俺の体が動いた。
跳躍。
着地。
爪が胸を引き裂いた。
鮮血が飛び散る。
その感触が、指先から俺の脳へと届く。
でも、俺はそこにいなかった。
見ているだけだった。
映画の観客みたいに、ただ席に座って、黙って見ていた。
喉が裂ける音。
骨が砕ける音。
肉が剥がれる音。
すべてがあまりに現実的で、生々しくて、
……だからこそ、これは夢だと思いたかった。
それでも、夢にしては——感触が強すぎた。
男の瞳の奥に、俺が映っていた。
いや、違う。
“俺の中にいる何か”が映っていた。
ナイト。
あれは、ナイトだった。
狼のような顔。人間の骨格を残したまま、口元が異様に伸びていた。
その目が、俺の目と重なった。
「これがお前だ、ジョナサン」
「思い出せ。これは、もう三度目だ」
次の瞬間、目が覚めた。
息が荒かった。
心臓が、殴られたみたいに脈打っていた。
手のひらは汗で濡れていて、爪が……爪が……
いや、ただの爪だ。人間の爪。短く切り揃えた指先。
だけど、どうして——
なぜ血がついている?
ベッドから立ち上がり、洗面所へ向かう。
水を出し、顔を洗う。
鏡を見た。
見慣れた顔の奥に、一瞬だけ何かが動いた気がした。
毛に覆われた、別の顔。
呼吸を整えて背を向けようとしたとき、視界の端で何かが見えた。
窓の外。
屋根の上。
そこに、黒い影がいた。
ナイト。
風に髪を揺らし、夜の端に立っていた。
こちらを見ていた。
そして、にやりと笑った。
口元には、まだ血がついていた。
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